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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG

 皆が皆、状況を飲み込めていなかった。そんな中ただ一人、秋末だけが行動を起こしていた。
 後になってルチルは、秋末のその選択がたった一つ取りえる、唯一の選択だったのだと気がついた。あの在りえない状況に理解という言葉を捨て、ただあるがままを受け入れた彼女だけに見えた選択肢だったのだろう。
 だから、ルチルは思う。こうして今もなお保健室から青い空を見上げ、苦味だけを強調させたインスタントコーヒーを飲み、メールのやり取りをできるのは、麻の勇気でもなければ自分の行動の結果でもなくて、あっけらかんとして大雑把で、どんな事も笑って受け入れることのできる秋末という同僚のおかげなのだと。
 
 
 目を見開き、硬直している南井がいきなり揺れた。秋末が南井の腕を、掴んだのだ。細身の南井は、現役でバレー部の顧問をしている秋末の力に逆らえず、オモチャのように揺れた。
「南井先生! 職員室に戻りましょう」
 有無を言わせず、彼女は南井を引っ張り階段を下りていく。
 ルチルと麻は何事か理解できないまま、秋末と引きずられていく南井を見送った。

「秋末先生、いま、あそこ! あれ? だって、あそこに、こ――」
 叫び声のような悲鳴のような南井の声が、引きずられて一緒に消えていった。
 去り際秋末がした目配せが、ルチルの脳裏に張り付いて離れない。後は任せたいうような、そんな感じだろうか。だけどロボットのルチルには、いまいち理解できなかった。ただ、少なくてもこの場所を離れろという視線ではない、それだけは判った。
 二人の教師が居なくなって急にその場が静まる。
 麻は、いまだ心配そうに階段の下を見たり、ルチルを見上げたりを繰り返していた。
「あの、先生……」
 足音が聞こえる。軽い体をのせた小さな歩幅の足音。リノリウムの床に、リズム良く足音を刻んでいる。
「麻ちゃん、私はどうして保健室に来てるかは聴かないわ。でも、麻ちゃん。本当は、教室にいきたいんじゃないの?」
 ルチルの言葉に、麻は俯いて答えない。ただじっと、時間が過ぎるのを待つように動かないでいる。
 足音がする。
 ゴム底が、廊下を叩く音。
「麻ちゃん」
 自分が壊れたのかもしれないという、漠然とした恐怖は頭から離れなかった。恐怖を紛らわせるために、何度も何度もルチルは質問信号を飛ばしつづけている。
 そのたびに返って来る返事は、問題なしという簡素な物だった。
 あそこであのとき見た光景が本物なんだ、と信じることが出来ない。人間なら見間違いなのだ、と見て見ぬふりができるのかも知れない。けれど、ルチルにはそれが出来ないのだ。
 見た記録は確かな物で、調べた結果は間違いの無い物で、自分の体はどこも壊れていない。
 だから。
 そう、だからこそルチルは信じようと思う。
 足音が止んだ。
 いまこの目の前の事実を信じようと思う。
 麻の手が、ぎゅっとルチルの手を握りしめる。
 この暖かさが、この細い指が、本当なんだと伝えてくる。
 自分の目が、真実を映していると信じようと思う。
 
 目の前に、もう一人の麻がいることを。
 
 嫌な空気というよりは、驚愕と恐怖。
 ドッペルゲンガー。ダブルウォーカー。自然現象による、投影現象。脳障害による、自己境界線の決壊。出会えば三日後に死ぬという怪奇現象。幽体離脱。姿如何に関わらず、それが自分自身だと確信して疑わない、ソレ。廊下からやってきた麻の姿は、今の麻と同じ姿をしていた。
 拙いツールしかないが、それでもルチルは必死で辺りを走査する。音響、光学、温度、全てのセンサーが、手を握り締めている麻だけではなく、目の前にも麻が存在していると声をそろえて言う。
「わ、たし?」
 掠れた麻の声が、いやに廊下に響いた。
「麻ちゃん……」
 廊下から、正確には教室からやってきた麻は、保健室からやってきた麻を見て微笑んだ。


 カップから上がる湯気越しに、ルチルは、空を見上げる。保健室から見える空は、左側に体育館が立っているため半分ぐらいしか見えない。そのため、ルチルの机は保健室の右側ギリギリにあったりする。空と校庭が一番見える場所だから。
 麻のいなくなったベットをみて、ルチルは笑うように息を吐いた。
『先生、わたしね保健室から見える青い、青い空が好きなんだ』
 ふと思い出した麻の言葉に、ルチルは疑問を覚えた。聴いたときは、特にそんな気になる言葉ではなかったのだが、麻がいなくなりそのベットが空っぽになって、ルチルは初めて気がつく。
 ――ベットには体育館の影が落ちている。
 ためしにその場所にいって、麻がしていたように寝転がって窓を見上げてみた。
 空は見えなかった。
 体育館の二階を覆う窓が見える。体育館にわだかまる闇を吐き出すような真っ暗な窓だ。
 麻はあの闇の向こうに何を見ていたのだろうか。ルチルは、じっと窓を眺める。
 

 ゆっくりと伸ばされた手。それは麻の手で、麻の手ではない。
「麻ちゃん」
 ルチルが背を押すと、麻は一度小動物のように震え、手をさしだす。
 触れると同時だった。光も、音も、風もなく、まるで何も無かったように廊下からやってきた麻は消えた。
 さっきまで、息遣いすら聞こえていたというのに。麻もわけがわからない、といったふうにルチルを見上げる。
「先生……わたし」
「うん」
 麻の頭を軽く撫でる。麻は目を細め、ゆっくりとルチルから手を離した。
「わたし、いくね」
「一人で行ける?」
 そうルチルが聴くと、麻はしっかりと頷いて笑った。
 

 ベットに寝転がり、ルチルはじっと体育館を見上げている。
 体育館の二階、窓ガラスが並ぶそこにゆっくりと雲がながれていった。
 ルチルは気がつく、麻はあの窓越しに空を見ていたのだ。あの窓に映る空を、彼女はみあげていたのだ。
 だが、ルチルのカメラが捕らえるガラスの色は、青ではなくて黒。
「私には青く見えない、かな」
 いつかあの空が青く見えるだろうか。
 昼休みも半分ぐらい過ぎただろうか、校庭で遊んでいる生徒達の騒ぎ声が窓越しに聞こえる。廊下を走り、笑う生徒達の声が聞こえる。
 水質調査をしなければならない事を思い出し、ルチルは立ち上がる。
 この学校は、余り保健室に人気がない。不良と呼ばれるたぐいの子供達も、保健室登校をする子供達も、あまり居ない。それは多分、自分がロボットだというのもあるのだと、ルチルは思う。ロボットでは、きっと人の子供の相手など出来ないのだろう。
 知らずため息が漏れる。
 麻が居ない保健室は、なんだかいつもよりがらんとして冷たく感じた。
 水質調査用の道具を取り、ルチルは扉に手をかける。
 一度だけ彼女は躊躇い、ベットを振り返った。もう誰も居ないベットだ。
 目を細め、そして扉を――
 向こう側から扉が開いた。
 顔を出したのは、
「先生、手伝いにきたよ」
 数時間見ていない癖に、いやに懐かしい笑顔だった。

了。


 

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コメント

もう一人はロボットだと思ってたのに。

  • myu
  • 2005/10/24 18:48

 たぶん蟲。
 うそです、ドッペルでいいじゃまいか。なんだって、いいじゃまいか。

  • カミナ
  • 2005/10/24 21:03
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