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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG

 空は赤に浸され、雲すら押し流していった。
 下校放送がスピーカーからノイズと一緒に途切れ、校庭にいた野球部とサッカー部もいつのまにか居なくなっている。
 気がつけば誰も居ない校舎は、赤い夕日に熱を奪われ次第に冷たくなっていく。
 カップから上がる湯気だけに温度があるような錯覚。ルチルは、赤い校庭を見てすぐに視線を机に戻した。
『ルチル?』

 漏れ聞こえた声は、ルチルの前に置いてあるノートPCからだった。ディスプレイには、黒髪の女性が映っている。
「あ、いえ。なんでもないです。それより先輩、信じてないですよね」
 ルチルが、ディスプレイに詰め寄るとディスプレイの向こうの女性がうろたえる。
 黒髪でセミロング、ディスプレイ越しでもわかるほど漆黒の目は、うろたえても尚力強い意志を宿していた。
『いや、信じてるって。疑りぶかいやつだなぁ、大体お前の観測データも見たけど、確かに本物だった。それに、ルチルが壊れてないのは私が保証するよ』
「そう、ですか……」
 ディスプレイに詰め寄るのをやめ、ルチルは背もたれに体を預ける。安物の椅子が、鉄の軋む悲鳴をあげる。
『心配なら、製造元いって調査してもらうか?』
「いえ……そこまでは。長期休暇開けで、もうすぐ健診ありますし今休むわけには」
 そういって、しかしそういっていない目で、ルチルは机にあったカップを手に取る。インスタントコーヒー独特の粉っぽい匂いが鼻に届く。
『私は科学者じゃなくて養護教諭だから、このデータをみて、在り得ないねルチル君、君の観測機器が壊れているのではないのかね? とはいわないさ』
「ぷっ……それ、誰の真似です?」
 先輩の抑揚の効いた言葉に、ルチルは噴出した。
『あ、これ? 教頭の真似。きみぃ、あれとってきてくれたまえ、アレ。あれだよ。わからないのかねぇ?』
 口ひげを撫でる真似をしながら、ディスプレイの向こうでは物まね大会が始まっている。
「ははは、ひぃ、ははは。先輩、やめてください。教頭先生に、ひ、は――はは、失礼、あははははは、ですよ」
 余りに面白かったのか、ルチルは体をくの字して笑いを必死で抑えようとしている。ぷるぷると震える肩が、全てを物語っていた。
『とまぁ、冗談はさておき。現象の再現性はないだろう、それにこのデータだけでは証明できても検証できるものではないな』
「そう、ですね」
『――心配か?』
「いえ、破損チェックルーチンも、完全に稼動していますし」
『じゃないよ、その生徒のことだよ』
「……」
 ルチルは答えられない。押し黙り、俯き、彼女は寂しそうな目をしていた。
「私は、ロボットですから。不確定なことが起こると、エラー以外に疑うものがないんです。感情は只の反射プロセスによるもので、人間の本当の感情をトレースしきれるものではないです。だから、麻ちゃんが本当に教室に戻りたかったのか、あのとき私は一人つっぱしったんじゃないかって。勝手に麻ちゃんの願望だと思って、勝手に彼女を引き合わせたのは私の独断で――」
『ルチル』
 スピーカー越しにすら、伝わってくる重たく、そして存在感のある声。ルチルは、口を噤む。
『少なくても、私が同じような生徒をみたら、ルチルと同じ事をしたと思う。お前は間違ってないよ、先延ばしにしてもきっと何も良くなんかならなかった。生徒が教室に戻れたんだ、何が間違ってるもんか』
 夕日が沈んでいく、空が青と赤に染まっていた。交わらない赤と青は、ゆっくりと風に煽られるように形を変え、色をかえ、闇に落ちていく。
「ありがとうございます」
 ルチルの言葉に、先輩は薄く笑う。
『ん。んじゃ、私はそろそろ帰るから』
「あ、はい」
 ディスプレイ越しに、先輩が手を振った。ルチルも手を振り返し、そして通信が切れる。
 ウィンドウには、NoConnectの文字だけが残り、ほかにはなにも残っていない。麻に手伝ってもらった水質調査の結果ファイルを、マウスでつつきながら、ルチルは小さくため息をついた。
 と、同時扉がノックされる。
「はーい」
 返事をすると、ゆっくりと扉が開かれ、秋末が顔を出す。
「ルチル、帰ろ」
 すっかり、教師の仮面が剥がれた秋末が保健室に入ってくる。
「また、車目当て?」
 ため息混じりに、ルチルはノートPCを閉じると立ち上がる。
「えへへへへ。部活の後は、つかれてるのだ」
「わかったわかった、いこっか」
 戸締りの確認をしながら、ルチルは羽織っていた白衣を脱ぐ。後ろで髪をしばっていた髪留めを外すと、一度頭をふって髪を揺らす。
「美味しい小料理屋みつけたんだ、いこ」
「私、味とかわかんないんだけど……。まったく、味覚なんかにお金かけてどうするの」
 先を歩く秋末に、愚痴を投げたところで秋末が止まることは無い。いつものように、彼女は肩で笑ってごまかすのだ。
 扉をしめる瞬間、ベッドのカーテンが揺れる。少しだけ、まだ保健室に残った麻の匂いがゆっくりと動いた気がする。
 鍵を閉め、振り返る。同期の教師は我関せずとばかりに、廊下を大またで歩いていた。
「まったく」
 秋末を追いかけるように、ルチルは小走りになる。静かな校舎の静かな廊下に、軽い足音が響いた。


了。



 先輩は、あの人。

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