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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG


 きっと、そうだ。
 それは細かいノイズと共に残って、ルチルの思考に残った残骸のようなものだった。頭の裏っ側を引っかくような、そんなかすかな違和感にも似た予測。
 目の前に広がった空き地で、ルチルはそんな予感にも似た記憶を思い出した。

 子猫が一匹、学校にまよいこんだ。それが、すでにおかしかったのだ。子猫が学校にくる、それがどれほどの苦労を伴うのか予測できなかったわけではない。ただ彼女は自分の手のひらから、自分のことを見上げた真っ黒な子猫の姿にそれを忘れようとしていただけだった。
 ため息が知らずにもれて、ルチルは我に返って顔を上げる。
「ルチル、どうするの?」
 秋末の言葉が一瞬わからない。ただ声に呼ばれただけのような、ほうけた顔でルチルは振り返った。
「え……」
「どうするの、この子」
 はっきりとした秋末の声、それはルチルの思考にナイフを遠慮なく突き立てる。
 声もなく困った顔をして、ルチルは秋末を見た。足元を駆け抜けるように風が吹く。その感触がいやにねっとりと感じた。
「どうするって?」
 その先を、その言葉を聴きたくはなかった。だが意識とは逆に、口はしっかりとその疑問を吐き出した。わかりきった、そして選択したくなかった道を聞く疑問。
「このままか、それとも――」
 聞きたくなかった。
「保健所か」

 野良が生きていける道理はない。腐りかけた世界は、なんとかぎりぎりの線で壊れないですんでいる。他者を傷つけることでしか己を保てない人間というのは、いつの時代だっていたのだ、ただそれが問題になる量になってしまっただけ。どこに閾値があったのかなんて、いまさら議論したところで何の意味も持たない。すでに閾値を超えれば、スイッチが入る。そう、二度と戻らないスイッチだ。まるで値下げしか出来ない電話代のように、一度すすみ出せば永遠と転がり続ける。
 判っていることは、飼われているペットですら散歩するのは危ないほどだということ。国がおざなりにつくった理由には『殺された動物の死骸による感染症の危険を減らすため』としていた。それが嘘か本当かなんて、やっぱり一般市民であろうが公務員であろうが、知ることは出来なかったし、知る必要がなかったけど。
 つまりは、放っておいても殺されるか保健所に連れて行かれる。
 だから選ばなければならない。
 見殺しか、引導を渡すかを。
「私は……」
 ルチルはつぶやく。
 その声に反応したのか、猫が振り返りルチルを見上げて短く鳴き声をあげる。
 猫をみて、ルチルは口をつぐむ。そんなルチルをみて、秋末は腕を組み長くため息をついた。
「私も、あなたもペットを飼えるような家に住んでないしね。ただでさえ、ペットを飼うのだけでも難しいんだから、引っ越すときの手続きを考えれば、置いて行かれたと考えるのが妥当じゃないかな。さ、少なくても飼い主を見つけても喜ばれる事もない。どうする? ルチル」
 一度だけ、ほんの一瞬だけルチルの目が秋末をみた。助けを求めるような、まるで迷子の子猫のような目だ。
 しかしそんな目も一瞬だった。ルチルはちゃんとわかっていた、秋末に助けを求めてはいけない。これは、自分が手を差し伸べた結果であり自分が選んだ未来なのだから。
 そんな一瞬の逡巡のあと、ルチルは猫を見下ろす。
「私は……」
 しかしどうしても選択ができなかった。後一言を言えば、すべて終わるのに。ルチルはその場からうごけず、口も動かす事が出来ずじっと猫を見下ろしている。
「ナ」
 無口にもほどがある。黒猫は、鳴いたか鳴いてないのか判らないほど短く声を上げると、空き地の中へと入っていった。
「あ」
 ルチルは猫に引っ張られるようにぎこちなく猫の後を歩き始めた。
 空き地とはいえ、今まで家があったというのがわかる程度の荒地。家を取り壊し、基礎を取り壊した後に残った土。家の重さに固まり続けた、硬くゆるぎない土。草すら生えることを許さず、小石ひとつ入る隙間のない土。そんな場所がところどころに見受けられる。
 そして、そこに庭に続くための縁側であろう並びがあった。
 ルチルの目には、等間隔で並んだ石の後と、その前にひとつ大きな石が見える。それは、縁側に下りるための足置きに使われた石のあったばしょ。
 そして――
 あの猫のお気に入りの、日のあたる暖かい場所。

 いつもあったはずの石を探し、その大きな石の後の周りをぐるぐると猫は回る。
「ナァ」
 首をかしげ、猫が鳴く。
「ナァァ」
 寂しくもなく、悔しくもなく、ただ判らないといったようにその声が広場に響く。
「もう……、ないの。そこにはもう――なにもないの」
 ルチルは猫のそばでしゃがみこむと、ぐるぐると回る猫の背をなで顔を伏せた。
「ルチル」
 かけられた声に、振り向かず彼女は顔を振る。
「わ、たしには。選べません……」
 手の平のした、猫がぐるぐると回る。いつもの場所を探してただぐるぐると視点を変えれば見えてくるのだと信じて疑っていない。
 必死で考えても、どうやったって猫をどうにかしてやれる方法は見当たらなかった。何で自分の頭はこんなにも悪いのだろう。何度法律をあさっても、借りている家の規則を何度見直しても猫をルチルが飼う方法は見つからない。
 知らず涙がでた。猫を哀れに思ってでも、猫を捨てていった家族にたいした怒りでもなく、自分の無力さに。
 助けて欲しかった。自分を、そしてこの猫を。誰かに助けて欲しかった。でも、いったいだれに願えばいいのだろうか。自分たちに神なんていうものは存在しているのだろうか。神がいないのなら、一体何に祈ればいいのだ。一体だれに――
「た、すけて……」
 だれに? どうやって? 
「判ったわ」
 答えが後ろから返ってきた。神がいたのだと、ルチルは振り返る。
「――え? あき、まつせんせい」
 ほうけたルチルの頭を軽く叩くと、秋末が笑う。
「私もいえじゃ飼えないし、普通にペットを飼うにも結構届出とか、やっかいなんだよね。でもね、ルチル。あなたなら出来る事があるの」
 そして、あなたにしか出来ない事よ。そういいながら秋末は、ルチルの手のひらの下にいた猫を抱きかかえ立ち上がる。
「いったい」
 答えは、自信に満ち溢れた笑顔だった。秋末の腕の中で猫が短く鳴いた。



 出先で、なんとか。

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