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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG
  
 世界は、あやふやだった。
 地面に置かれた紙のように、頼りなく安心できないものだった。風が吹けばひっくり返り、どこかに飛ばされてしまうほどに。
 だから、常識という楔は必要なのだ。残念なことに、人間の持っていた常識は面ではなくて、点。つまり、針で紙を固定している程度のものにしかならなかったのだけど。
 そんなもんだから、実は風が吹けばペラペラと捲れあがったりしてしまう。ほんの一瞬で、世界が反転することぐらい、いつだって起こるのだ。
 例えば――
 あるはずの無い扉があったりとか。
 
「でも、その理論で行くと、ルチルは一生世界の綻びに出会えないじゃないか」
 机の上にはノートPCが一台。ディスプレイの向こうで、黒い髪の女性が意地悪そうに笑いながら笑っていた。
「えー、けっこういい線いってるとおもいません?」
「たとえ話だから、端じゃなければだめとかいう突っ込みはしないけどさ、ロボットは常識の塊なんだろ?」
「そ、うですけど」
「じゃぁ、ルチルが見たのはただの記憶障害や機構障害の線を疑った方が確率はいいなぁ」
 そういってルチルの先輩は笑った。
 画面の端に見えている先輩の後ろには、整理された棚が見えていた。近くにある高校の保健室だ。言葉遣いも、考え方もぶっきらぼうな彼女だが、なぜか炊事洗濯掃除と非の打ち所が無い。一度、ルチルがなぜかと聞いたとき、メイドをやっていたと笑って答えていた。間違いなくはぐらかされたのだろう、納得は行かない。というより、ロボットの自分は整理が苦手だというのがまた納得が行かない。
 そんな、どうでもいい不満で満たされていく。
「ま、少なくても何もかもがあやふやなら、何も信じられないんじゃないの?」
 と、呟くような声にルチルは思考をもどされる。
「あ……そうですねぇ」
 それもそうだと、ルチルは頷く。あやふやな世界に信じられる物は無い。世界に括られる限り、あやふやだから。記憶も、常識もあやふやなのだ。そして、自分だってあやふやなのだ。何も信じられない、何もすがれない。
「でも、それは怖いですね」
「そうだな。だから、自分が知ってることは本当の事だって思えばいいだろ」
「え?」
「自分ぐらい自分で信じてやんないとな」
「……あ」
 ルチルは呆けた顔をする。今までどれだけ、自分を疑ってきたかそれがふと思い出されたのだ。そんな事にうじうじなやんで、もし出来たはずのことが出来なかったら目も当てられない。
「でも、やっぱり……だって廊下扉があるわけが無いし、それに山なんて近くには」
「でも。ルチルは山に行ってる。だって、ほら」
 そういって、ディスプレイの向こうで先輩が指を指す。指された場所を追うように手で触ると、髪の毛の感触以外に、乾いた感触が来た。
「枯葉……」
「ルチルの学校にある、サクラの葉じゃぁないな。それでも信じられないか?」
 ぷるぷると、無言で顔を振る。あの時やはり自分は、どこかの山を上って、麻じゃない麻にあってきたのだ。
 そんなルチルをみて、先輩は苦笑する。
「あやふやでも、信じられる証拠ぐらいはひつようだ。もし心配なら、検査いってくればいいだろ」
 と、至極まっとうな言葉を残して通信は切れた。
 手で枯葉を弄びながら、ルチルはため息を一つ。
 既に時間は夕方。運動部が校庭を走っている掛け声が、窓の向こうから聞こえてくる。体育館からも、掛け声。屋上からは演劇部の発声練習が聞こえてくる。
 授業のある午前中よりも賑やかかもしれない。そんな事を思いながら、ルチルは赤くそまった空を見る。空はまるであの山のような、赤い色をしていた。
 ふと、ポケットに重たい感触を受けルチルは手をつっこむ。硬い物に手が当たった。
「――あ」
 忘れていたことをふと思い出す。
「照度検査だった……」
 帰ろうと考えていただけあって、ルチルは残念そうにため息を一つ。ゆっくりと立ち上がった。
 扉を開ければ、静かな廊下が拡がっている。ルチルは、照度計を取り出して廊下を歩き始めた。

 ゆっくりと、廊下を確認しながら歩く。校庭に面していた保健室より、部活の喧騒は雲って届く。赤く染まった廊下が、まるで紅葉しているみたいで綺麗に見えた。
 タン、タン、タン、タン。
 足音が聞こえる。けれど足音の正体はもうルチルにとってはどうでもいいことだった。足音はいつもルチルを追い越して、追い抜いてどこかへいってしまう。でも、それでいい。空耳かもしれないし、本当に聞こえているものかも知れないし、そんなものはどうでいいのだ。あやふやだから。
 廊下を軽やかに進む足音を追いかけるように、ルチルは廊下を歩く。
 気が付けばふっと、周りが暗くなった。ルチルは顔を上げる。丁度電灯が無い廊下の端。そして視線を前に戻せば――
「扉……」
 あの扉があった。
 触れば扉がレールの上でガタンと揺れる。
 だが、ルチルは扉を開けなかった。一度だけ、曇りガラスの向こうを見て眼を細める。赤い赤い山がおぼろげながらに見える。
 きっとあの向こうには、麻にそっくりな麻じゃない麻がいる。
 少なくてもそれは、本当の事だルチルは頷いた。
 タン、タン、タン、タン。
 足音が聞こえる。

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