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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG
  
 月齢、〇.〇八七三。新月。地球から見て太陽と月が同じ方向になる瞬間を朔(さく)または新月と言いう。
 そう今空には月が居ない。
「え……」
 ルチルの視覚機構を動かす音が、静かな廊下に響いた。視覚機構だけは静音化が完璧ではない、というもののものがものだけに、小さくさらに高性能を要求されてしまうからだ。眼球のように作らなければ今度は、骨格がおかしくなる。だから、人工義眼として使えるような高性能かつ低性能。人間の可視光しか捕らえられず、突然暗くなれば周りが見えない。そんな低性能な部分まで再現した高性能というあるいみ矛盾を抱えた物ができた。

 ひとえに製作者の意地と根性と血と汗の結晶だ。だから、静音化だけは実現しなかった。とはいえ、眼球自体を動かす音はしない。するのは焦点を合わせたり解像度を上げようとしたとき。小型レンズの駆動系が上げる、ギアの摩擦音。
 鉄が軋むような軽い音があたりに響く。
 しかし、そうやって何度も空を見上げたって月が消える事は無かった。
「見えるかイ?」
 ルチルは無言で頷く。
 空には、綺麗な満月が昇っている。
「満月が」
 日付を確認、座標の確認、視覚機構へ――
 そこでルチルは心配するのを止めた。
「アレが何かわかるカい?」
「いえ、お月様に見えますが」
「マ、本物の月は今はうらっかわだね」
 ルチルは、無言で頷き返事をする。
「でも月に見えるのならそれでもいいのかもしれない。ただ、アレは月でも錯覚でもなくて、天津甕星だ」
 聞きなれない名前に、首を傾げる。
「アマツミカボシ、ですか?」
「そう、神様だよ日本ノね。別名、香香背男。日本神話では悪神は珍しくてね、こんな私でも知ってるぐらいだ」
 言いながら博士は空をまぶしそうに見上げていた。
「今は大甕神社に奉られているかな、岩になってね封印されてるンだ」
「金星でしたよね?」
 ルチルが言うと、博士はゆっくり頷く。
「神様なんて居ないと思うかい?」
 どうだろうか、ルチルはなにも言わず考えた。
 信仰としての神は、信仰の上に成り立つという前提条件で存在している。それは触れるという事や、見えるという意味での存在とは少々ちがった話しになる。神は基本的に試す事は出来ない、信じることによってのみ存在を証明する。
 信じない人にとっては、居ないも同然ということだ。でも、それは人の話。
「ロボットに神様は居ないと思います」
「それは信仰の神様の話ダね?」
 違うというのだろうか。では、ほかに神様が……。天津甕星。
「神話の神様……」
「そう、そっちの話だ。何せ人を救わない奴等の方が多い。喧嘩したり、騙し合ったり、なんともまぁ、人間臭いやつらの話サ」
 もしかしたら、まだ世界があやふやだった頃。神様はいて、人と遊んだり、喧嘩したりをしていたのかもしれない。
 ふと、空を見上げるともう月は居なくなっていた。
「認識の問題でしかないのなら、自分を信じるだけでいいだろう。特に気に病む事でもない。だから、君の至った答えは正しいと私は思う」
 何も信じられないのなら、せめて自分を信じてやろう――
 自分はきっとゆるぎない真実なのだから。
「でも、それはある意味危険思想だ」
 音も無く、博士は振り返る。静かだった。外は真っ暗で、音もなく闇に沈み、薄明かりが照らす何処までも続く廊下は、シンと静まり返っていた。
「自分の真実は、共有してない時点で自分の物でしカない。例えば、今私は月を見ていなかったら? 君だけに見えた月ならどうかな?」
「自分を信じるなら……」
「そう、君は私を信じる事が出来なくナる。気が付けば他人を信じる事が出来なくなるだろう。もしこの先も、「今まで在り得ないと思っていた事実」に出くわしたとき、次第に君の自我は削り取られていく。他人と共有できない真実は、刃物にしかならないのだよ。だから、危険だ」
「でもそれじゃ」
「君は物事をはっきりさせすぎる。あるがままを受け止めればいいものを。GOLDEN Meanだ、中庸とか、そのあたりの思想だね。必要なのはバランスだよ」
 言いながら、博士は歩き出した。ゆっくり、まるで散歩をするように。
 彼の足音が廊下に響いている。
「私がもし、天津甕星を見れなくて、ルチル君が見れても、そう言うものだ。私には見えなくて、君には見える。ソれが真実。それでいいし、それ以上もない。ま、本当にどうだっていい話なんだけどね」
 ゆっくりを弧を描く廊下。まるでディスクの上に居るような錯覚。反響し減衰しない足音の向こう、ルチルは思いつきもしない。
 一体どれだけ歩いているのかなんて。
 
 ルチルは自分の車に乗り込むと、躊躇い無くアクセルと踏み込む。窓から顔をだして、
「それじゃあ博士!」
 そういって手を振った。
「あア、定期メンテナンスにまた」
 気が付けば博士の側には、メイドさんも佇んでおり二人で手を振っていた。
 負けじとルチルは手を振り、アクセルを踏む。
 加速と同時、出していた顔に風を感じた。
「自宅へ」
 呟くと、フロントガラスが一瞬にして淡い光を放ち経路計算を終える。ハンドルは動いているが、既にルチルが動かしているわけではない。
 ゆっくりとした流れのまま、車は研究所を離れていく。真っ暗だった道から、次第に大通りへと。
 暗闇をライトの輪郭だけが走っているようにすら見える。それもだんだんと多くなり光の川に変わっていく。
 溺れそうな光の洪水、その中を全く波風を立てず流れるように車は進む。皆に合わせとまり、時には隙間に入り込んで前へ。一人とまって、誰かに譲り、皆と一緒に走り出す。
 コレがあるがままなのかもしれない、ルチルは運転席に座りながら周りを見る。
 空にはつきは無く、真実も何処にも無い。
「でも、それでいい――」
 車が走り出す、心地よい加速が体をゆっくりと押さえつけた。

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