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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG
  
 湧き上がったのは、喜びの言葉。焦点の合わない視界の向こう、肌色が見える。
 音域が選択して拾えていないのか、やけに焦点のぼやけた喧騒に聞こえる。風が木の板を叩く音。人間の呼吸音。電機製品が立てる高周波。遠く道を走り抜けていく車。自分自身が立てる、低くこもった駆動音。そして――
 喜びの声。
 音域を選択し始めたのか、やっと人間の声がクリアに聞こえ始める。
「おはよう」

 野太く、力強い声。外装を振るわせるほどの存在感がソコにあった。いまだ焦点は合わず、日に焼けた黒い肌が眼前にあることぐらいしか判らない。
 声に反応したのか、視覚機構が音を立てて周りを確認し始める。が、いかんせん旨く行かない。何処に焦点を当てていいのか迷っているような、そんな手探りの視界。
「おーい」
 言葉と同時、目の前に何か物体が動いた。経験則から、それが目の前で降られた手の平だという事をルチルは理解する。
 しかし、この視界は余りに情報が少なすぎる。ルチルは首をかしげようとして――
 焦点が合った。
「みえてるか? 言葉、わかるか?」
 一拍の間を開けて、視界が縦に揺れる。頷いたのだ。しかし、だれが? ルチルは周りを見ようとして……からだが無い事に気が付いた。
 反応が無いのだ、驚きに片っ端から質問信号を飛ばし、薬物点火をして反応をまつが全く反応が無い。
 一体これはどういうことか。ルチルの思考をよそに、視界は既に目の前の男を捕らえていた。
「これから宜しくな」
 外装を力強く叩かれる音、体中に響く雑音。
 ――この音は。
 自分の体からこんな音はしない。するとしたら、それはきっと。
 ――あの調理ロボット。
 記憶が混線したのか、それとも上書きされている途中だろうか。だけども、何か出来るわけではない。既に体を動かすためのドライバすら反応が無い、割り込み要求を確認しても何も入ってこないし何も返って来ない。既に意識だけ。他にはなにも無い。
 しかたなくルチルは自分の意識を、繰り広げられる映像へと向けた。

 既に場面は切り替わって、一室から先ほどルチルがつれてこられた海の家になっていた。
 だが、調理場は簡素な物で海の家自体は老朽化もしておらず壁などは綺麗だった。
「これがコンロで、こっち元栓な」
 一つ一つ、調理場の説明をしていく男性。彼の指すものをしっかりと確認していくロボット。
 男性は、先ほどルチルをつれてきた男ではなかった。顔の作りは似ているが、本人ではない。多分親兄弟といったところだろう。
 と、視界の端を小さな影がよぎった。視界の持ち主も気になったのか、顔を上げてそれを確認する。
 小さい子供が、ロボットを見上げてにんまりと笑っていた。
「へへへ」
 ルチルは自分を連れてきた男を思い出す。笑い方がそっくりだったのだ。きっと本人だろう、確証はないがルチルはおぼろげにそんな事を思った。

 また視界は移り変わった。
 喧騒が聞こえる。油に汚れたレンズが必死で手元に焦点を当てようとしている。腕はそんな視界の中でせわしなく動き、料理を作りつづける。
 注文の声を聞き逃さないように、耳をそばだたせ喧騒の中から注文を拾い上げる。
「焼ソバ、二皿」
 声が飛ぶ。その声にあわせて、腕がせわしなく動く。とびちる油が体についても気にせず、ただもくもくと。廃熱は背中、足元から空気を吸い上げ料理の熱に悲鳴をあげる関節部分を必死で冷やす。スペック的には、こういった状況下でも何の問題もないはずだ、もとよりコレを想定して作られてきたのだ。しかしロボットの腕関節は悲鳴をあげている。
 型が古いからではない、それは浜辺と全てを遮られた調理場。風通しが悪く、照りつけた日の光を貪欲に吸収する外壁のせいだった。
 しかしロボットは不平の一つも言わず、黙々と手を動かしつづけている。
 ――むちゃだ。
 端から見ても限界である。いつ関節から沸騰した冷却液が噴出したって不思議じゃない、それほどに酷で厳しい場所だった。
「タルク。大丈夫?」
 声に、視界が動く。ソコには先ほどみた子供……より少し大きくなった少年が居た。
 無言で、視界は縦に。だが、少年は納得しなかったのか一度ロボットの体に手を触れると、驚いた顔をしてその場から離れていった。
 視界はすぐに鉄板へ向き直り焼ソバを混ぜている手もを移した、
 と、水の音。
 一瞬にして視界がクリアになり、間を置いて聴覚機構の反応がよくなった。
「どう? 涼しくなった?」
 少年の声に、視界が振り向く。足元を確認すると、水がまかれていた。
 熱気うずまいていた場所は、その水のおかげで一気に温度を変える。
 視界が縦に振られる。
 それをみて、少年はハハハと豪快に笑った。

 視界が移り変わる。
 静かな海の家に、もう青年になった少年が居る。海の家はしまっているのか、既に椅子はテーブルの上に上げられ調理場も火は落とされている。
「今年もお疲れさん」
 日に焼けた、健康的な肌。顔を豪快に歪ませ、男が笑っている。油に滲んだ視界の向こう、薄暗い海の家が映っている。そして、そんな視界でも海の家に染み付いた熱気が感じられる。耳を澄ませばいつだって喧騒が聞こえそうなほどだった。
 視界の隅で、チェックシステムが動いている。
 ルチルの意識はそこにむかった。
 関節パッケージの交換時期の超過。冷却液残量の低下。モーター出力低下とメンテナンスランプ。記憶野に、少量だが巡回冗長検査でエラーが発見された報告。
 ああ、既にこのロボットは限界だったのだ。
「いま綺麗にしてやるからな」
 ロボットの視線は、じっと青年を追う。
 耐用年数の倍は動いているだろう。ひとえに大切にされてきた結果である。こんな、適当なメンテナンス――外装と関節の油さし程度でロボットの体が持つわけが無い。だが、ロボットの事を扱えないなりに、大切にされてきたのだ。
 そのただ一つ、大切にされた恩を返したいという思いで、ロボットは壊れかけた体を動かしつづけてきたのだろうか。もとより意識は無い、だがルチルにはこの調理ロボットの心がわかるようだった。
 意識が混濁する。記憶が上書きされるような圧迫感。もうだめだろうか、ルチルは一度意識のなかでため息をついた。

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