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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG

 一番近く似合った、鉄扉に手をかける。
 冷たい鉄製のドアノブが、掌の温度を一瞬にして奪っていった。
 冷たくなった掌に力をいれ、ルチルは扉を押したり引いたりする。だが、扉が動くことは無かった。ノブは十分に回転するのだが、なぜか張り付いたようにドアは動かなかった。
 首をかしげ、もう一度揺するように扉を前後させる。まるで、隙間が見えるが見えなくなったところでくっついてるのではとかんぐりたくなるほどにぴったりと。
 まったくの遊びもひずみも無く、扉はびくともしない。ただドアノブが、乾いた音を立てるだけだった。
 ルチルはあきらめて扉から手を離す。

 バネの反動で、ノブが元の場所へと戻る。同時、まるで何も引っかかり無く、何も軋まず、扉が開いた。
 いや、それはまるでずれた様にかすかでそして無音。
「……」
 もう、ちょっとやそっとの事でルチルは驚かなくなっている。
 ゆっくりと開いていく扉を無言で見ながら、じっとたたずんでいた。
 扉の向こう側。なぜか湿った空気が向こう側から、流れてくる。なんとはなしに、
『彼は、そのいくつもあるドアのどれか一つが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。』
 小説の一説が思い出された。
 残念ながら、扉が夏に通じる事は当たり前のようになく、猫のピートもここにはいない。
 でもなぜだからルチルは、その扉の向こう側の空気は夏のようだと思った。湿気と温度はそこまで告示していない、ただ湿気ているといった程度の空気だというのに。
 まるで夏を閉じ込めていたような扉に思えたのだ。



 扉の向こうは、駅よりもさらに薄暗いほとんど何も見えないところだった。
 ホームから差し込んだ光に照らされている扉の向こうは、扉と同じ幅の通路が続いている。
 それもすぐに光が届かなくなり、どこまで続いているのかわからない。
 ただ生暖かく、湿気た空気だけが流れ出していた。
「……」
 ルチルは、ゆっくりその通路へと足を向ける。
 扉の幅しかない通路は、その場所に立ってみるといやに圧迫感が在った。天井は高く、ライトが在るようだがそれがどれほどの高さかわかるほどの光量をしていなかった。
 かすかな光だけが、ゆらゆらと廊下を照らしていた。
 そんな廊下を、ルチルは歩く。ゆっくりとした足取りは、まるで暗闇を歩くようなすり足。
 何も無い。思わず振り返ると、まだ開いている扉からうっすらと光が差し込んでいる。
 意を決し、ルチルは前を見る。視覚機構を暗視に切り替えたところで、赤外線が見えたり、ソナーによる立体構造把握ができるような高性能な視覚をつんでいない。変えたところで、ほんの少しだけ視覚明るくなるだけだった。
 それでも足元が確認できるぐらいにはなる。壁についていた手を放し、ルチルは前に歩き出した。
 
 廊下の中に、自分の足音だけがこだまする。
 同じタイミングで刻まれる足音が、同じタイミングで壁に反射しこだまする。
 音が消える前にまた足音、さらに足音、こだまして、足音が重なる。
 音は音に重なり、波は在る一定の量で増え続けていく。総量としてそれは永遠に増え続け、そしてそれは無限へとなだらかに続く線を描く。
 足音が聞こえる。
 ――なんだっけ
 トン、トン、トン、トン
 足音が増えていく。まるで大勢の行進のようだ。ぬめるように肌にまとわりつく湿気た空気と、無限に増加していく足音。
 トン、トン、トン、トン
 壁に当たって跳ね返り、まるで踊るように狭い廊下を埋め尽くしていく。
 トン、トン、トン、トン
 ――なんだっけ
 そして、ルチルは上を見上げた。
 変哲の無い廊下は、相変わらず薄暗く足音に満たされていた。
 そして思い出す。赤い山を。
 ルチルをみて、微笑んだあのもう一人の麻を。
「ね、先生」
 足を止めた。無限増え続けていたはずの足音は一瞬にして霧散する。
「ねぇ、先生。先生は誰?」
 今度はしっかりと、声だけが聞こえる。
 誰? 誰だろうか。ルチルは首をひねって考えるが、ヤッパリわからない。
 誰といわれても、自分はTiO2:K78MAHI5・TYPE―YuKiという製品番号、養護教諭専属二種の資格を持ったロボットである、という答えしか思いつかなかった。
「ねぇ、先生は誰?」
 声はなおも上から降ってくる。
 誰だろうと考えても、やはり答えは変わらない。電子脳を取り出された場合、人間と違い確実に電子脳にのみ意識がのこって、体は動かなくなる。では、電子脳が自分であり、それこそが私だろうかとルチルは考える。だが、電子脳の情報を丸々コピーした場合、コピーに出会わない限り自分はここにいるといって否定するものが無い。
 情報自体が自分かといえば、情報自体が自分を認識できるわけが無い。
 認識こそ自分だといったところで、では過去の記憶が無くても自分でいられるのかといえば否だ。ルチルは首をかしげる。
「わからない」
 私は私を知らない私。
 私は、私を知らない私だということを知っている私。
「先生、私は誰?」
 声が聞こえる。遊んでいるような、ころころとした楽しそうな声。暗い廊下なのに、聞いた瞬間だけ周りが明るくなるような声だった。
「貴方は――」

「麻ちゃんでしょ?」
 
 声は答えない。ただうれしそうな気配だけが帰ってくる。
「貴方は、私の知っているもう一人の麻ちゃん。貴方は貴方の事を知らなくても私は貴方の事を少しだけ知ってるわ」 
「……」
 沈黙が降りる。数秒がやけに遅く感じた。
「ありがと、先生。さ、電車がきちゃうよ。速く戻って」
 いきなり音が来た。風が吹き、重たい車両がレールをたたく音が聞こえる。
「また、会える?」
 答えは無い。ルチルも答えを聞かずにきびすを返して走り出した。
 走りながら、走ってはいけないといった博士の顔を思い出して少しだけ笑う。まぁ、今は緊急事態だ、そう言い聞かせてルチルは駆け出した。

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