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連載小説「保健室のロボット先生」

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 電車が刻むレールの音は、どこまでも続いていてまるでレコードの上を走っている気分になる。
 ずっとぐるぐると回るように、でもいつか着いてしまう寂しさをつれて。
 ルチルは、電車の座席に座りじっと外を見ている。体を電車の揺れに任せ、なすがままに椅子もたれている。ブレーキのたびに倒れそうになり、進み始めるたびまた倒れそうになる。
 彼女は電車に乗ってること自体を楽しんでいる様にも見えるが、本人としてはそんなつもりは無いだろう。ただじっと、彼女は外を見ていた。
 ――私は、私を知らない私の事を知っている私。

 まるで、自分を上から見ているような麻の言葉は、じっとりとルチルの頭に張り付いていた。
 私は、私の事を知らない。けれど、その事は知っている私。無知の知。
 
 昔ソクラテスの友人が、アポロンの神殿に赴いたとき友人は聞いたという。
「ソクラテスより、賢い男がいるか」
 その言葉に巫女は答えた。
「ソクラテスより偉い男は誰もいない」
 と。
 ソクラテスとその友人は、信託の意味を考えた。
 結局二人は、有名な政治家や軍人、詩人などをたずねて問答をする事にした。
 それは、ソクラテスよりも賢い人を見つけることによって、神託に反駁しようとしたのだ。
 だが、二人は神託が正しい事を身をもって証明してしまうことになる。
 人々は、自分が知恵を持っている事を知っていながら、もっとも大切な事を何も知らなかった。
 『自分の魂のよさ』について何も知らないのだ。
 彼らはそれを知らないにもかかわらず、自分では知っているつもりになっている。しかし、ソクラテス自身は「自分がもっとも大切な事を知らない」ということを知っていた。
 その、無知の知において、ソクラテスは誰よりも賢いものはいなかったのだ。
 
 ――彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、
  これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていない――
 
 私は、私を知らない私の事を知っている。
 ルチルは思う。自分はどうだろうか。自分は何を知らないだろうか。
 体は信号によって統制され、すべては電子脳に集約される。使われているソフトは、逐一確認できるし、記憶もいつだって閲覧可能である。
 自分の事を自分は知っている。はずだ。
 電子脳は、擬似的な感情を生み出す。しかしそれは、理解はできるが理屈はわからない。心理カウンセリング用の感情トレースソフトでは追いつかない結果がそこには在る。
 ルチルは思考する自分を認識する。自分は電子脳にいるそれはやはり確かなのかもしれない。ゆっくりと首をめぐらせると、昼過ぎの電車はすいていて寂しげにみえた。
 そして、そうやって感じたのもやはり電子脳だった。自分は電子脳の中だ。それはロボットと人間が唯一違う場所のようなきがした。

 カタンと、車両が揺れた。ブレーキの鉄をこする音が聞こえる。
 アナウンスが流れ始める。もうすぐ最寄り駅につくのだと、ぼんやりルチルは思った。
 まるで現実感の無い世界で、ルチルはじっと窓越しに外を見ていた。
 一度大きく車内がゆれ、扉が開いていく。
 そういえば、駅だったとルチルは思い出したかのように跳ね起きる。
 都会に出て買い込んだ袋を両手に提げ、彼女は電車を降りる。
 ホームに着くと同時、扉が閉まった。
 空気の漏れる音と一緒に電車が動き出す低い音。続いて聞こえるのは、レールの切れ目をたたく車輪の重たい音だった。
 振り返れば、ゆっくりと電車が駅から離れていくところだ。両手には買い物袋。
 中身は、久しぶりにかった服と学校で飲むためのインスタントの類ばかり。
 基本的に食事はとらないでいいので、ロボットとしては贅沢な趣味ではある。
 ホームをでて改札をくぐる。朝通ってきたばかりなのになぜか懐かしい気持ちになった。
「あ、先生」
 声をかけられて振り返ると、麻が立っていた。
「あら、こんにちわ麻ちゃん」
 両手に袋を提げたまま、ルチルは答えると麻も答えるようにぺこりと頭を下げた。
「これからお出かけ?」
「いえ……その……落し物しちゃって――」
 あげた顔の目は赤く、潤んでいた。もう一押しでなきそうなほど弱い視線がルチルを見る。
 話を聞くと、財布を落としたらしく麻は先ほどから駅の周りをグルグルと探しているらしい。
「駅の人とか、言ったお店の店員さんには聞いた?」
 そうきくと、麻は呆けた顔をしてルチルを見上げた。
「忘れて……ました」
 恥ずかしそうにうつむき、麻は小走りに駅員のいる場所へかけていく。
 ゆっくりとルチルは歩いて麻の後を追いながら笑う。きっと財布をなくしてパニックになっていたのだろう。
「はい、はい……これで」
 駅員となにやらやっている麻を見ながら、ルチルは思う。
 自分ではどうやったって見れない自分がいるのだと。それはきっと、額の上にメガネをおいてメガネを探すような、くだらなく馬鹿らしい話であったり。
 靴下が右と左で違うような、恥ずかしくもやっぱり馬鹿らしい話であったりするのだ。
 しかし、そんなものだとルチルは笑う。
 住所と名前を書いていた麻が、顔をあげて恥ずかしそうに微笑んだ。
「あった?」
「はいっ」
 もう一人の麻は言った。私は、私を知らない私を知っている私。
 私を知らない私というのは、きっと今目の前で必死に住所を思い出そうとしている麻のことだったのだろう。
 もし自分があそこで電車を降りなければ、麻には合えなかったのかもしれない。そう考えると、あのもう一人の麻は、このためだけに自分を――
 ルチルは首を振って、麻から一歩下がる。
 考えても仕方の無い事だろう。偶然が重なっただけかも知れないし、必然として仕組まれたことかもしれない、答えが無いのならどちらでもいいのだ。
「ねぇ、麻ちゃん。これから用事?」
「え? いえ、帰りだったんで特には」
「そう、ね先生とご飯たべない? おごっちゃうわよ」
 一瞬麻の顔が固まる。視線が上のほうをさまよっているのが見えた。きっと、家に帰れば親がご飯を用意してくれているのであろう。連絡するべきか、いろいろと麻は考えているのだ。
 ルチルは笑う。今度は悪戯を思いついたような意地の悪い笑い方で。
「さ、行きましょ。おいしいパスタ屋さんしってるの」
 そうやってあわてる麻の肩を後ろから押した。あわてる麻をみて、まぁこれぐらいは許されるだろうと心の中で笑う。
 駅前は昼過ぎの喧騒に埋もれ、人ごみが流れている。二人はゆっくりとその人ごみの中へ消えていった。





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