スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

連載小説「保健室のロボット先生」

LOG

 明け方は、いくら騒がしい町だって静寂に沈む。
 ただでさえ静かなこの町は、物音一つしない完璧な静寂を体言していた。もう少し時間が立てば、都会をつなぐ唯一の道路から大きな荷物を載せたトラックが、法定速度を置き去りにして走り始める。
 もう少し早ければ、都会からやってくるタクシーで帰路につくくたびれたサラリーマンが結構な数見ることが出来る。
 だから、この時間だけが静寂になるのだ。夜明け前、まだ朝日が顔を出さない薄明るい光に照らされた、夜。
 ルチルは、そんな静寂に沈む夜の町へ繰り出していた。

 こういうとき、寝る必要性の薄いロボットは便利だと一人ほくそ笑む。実際は、寝なくては体に負担をかけるのだが、だからと言って睡魔という物が在るわけでもない。
 せっかくこういった時間に、元気に散歩できるのなら、少しぐらいの負担なんて、どうってことはないのだ。
 そして、それぐらいこの静寂に支配された町は面白かった。
 家はマンション、エレベーターの降下スイッチを押せば、スタンバイモードへ移行していたエレベーターが唸りをあげて目を覚ます音が聞こえる。
 電圧のかかる音は、電圧安定機の起動音と同一。低いくせに、高いような、目覚めに似た音がする。
 そして、ゆっくりと熱を帯びていくモーターが、じわりと軸を一回まわす。
 一度回ってしまえば、後はまるでドミノのように止まらない回転が始まる。最初だ、最初の一つの音が重要なのだ。
 あの低いのに高い、唸り声のような音が。
 そんな音に酔いしれてればすぐにエレベーターは、目の前にやってくる。
 ドアの隙間から、ゴンドラの中の光が漏れる。自分の階の隙間と、ゴンドラの高さが合い始めると、光がしたからやってくる。
 ゆらりと。
 始めは薄く、次第に光を重ね足元から駆け上がって、最後には目線の高さに光が溢れかえっているのだ。そして、扉が開く。エレベーターの扉は、シリンダではなくてチェーンで駆動している。一瞬の光の明滅でそれがわかる。電気が、一気にモーターに流れる瞬間中の電気に回らなくなるしゅんかんだ。普通なら、人には見えない一瞬、ルチルだって気をつけてないとわからないその一瞬、まるでエレベーターが頑張って居るように思える一瞬である。
 開ききった扉に、ゆっくりと体を向かわせてコンクリの床から、鉄のゴンドラへ。
 それは、支えの在る地面から、つるされている板への移動。あの一瞬は、間違いなく哲学だと、ルチルは思う。どこがどう哲学なのかは説明できないが、あの一瞬、体は世界から解き放たれるのだ。
 一階につき、地面へと足を踏み入れる瞬間もそう。だから、無駄だとわかっていてもそのまたぐ瞬間はゆっくりと歩いてしまう。
 マンションのエントランスには、常に薄い明かりが付いている。高級感をだしたいのだろうが、掃除が行き届いて居ないエントランスはどちらかと言えば、お化け屋敷の方が近い。
 大理石調の印刷が施された壁は、既に手垢にまみれ薄汚れ、床は足跡と何かを引きずった跡が縦横無尽に走っていた。
 薄明かりを頼りに、外に出るとまだ明け方の冷たくとがった空気が体中を突き刺す。
 けれどそれは嫌な冷たさではなくて、心地のよい刺激。
「んー」
 関節部分の熱を開放するように、ルチルは体を伸ばし静寂に沈んだ明け方の町へ繰り出すのだ。
 
 アスファルトをたたく、サンダルの軽い音が前方に見える塀に当って帰って来る。左右を埋めるのは、生垣で音が反射する事は無い。
 足音のラグは、ちょうど半歩。踏んで帰ってきて踏んで帰ってきて。まるでサッカーのドリブルのように、それはルチルの足元でいったりきたりしている。
 次第に音の返ってくる速度は速くなり、ついに足音は同時にしか聞こえなくなった。そこでルチルは顔を上げる。上げれば当然のように目の前に塀がそびえていた。
 少しずつ、空が明るくなる。それはあまりにもゆっくりだけど、〇からの出発から考えればすぐにわかるほどの差。
 ふとルチルは足を止めた。
 自分以外の音を聞いた気がしたのだ。こんな静かな朝を楽しんでる人がいるのか、と気になって彼女は周りを見回す。けれど人どおりは無く、車の音も聞こえない。
 不思議に思いつつも、聞こえた事は確信に近い。
 首をかしげ、もう一度音が鳴らないかと耳に注意を向ける。
「――」
 と、やはり何かが耳に届いた。
 金属質の、高い音色。けれどそれは単音ではなくて、和音を重ねリズムを刻んでいた。
 ――歌?
 しかし、人の声にしてはやけにエフェクトがかかっている。エコーにしてはかけすぎで、なんだか薄い。あまりにも遠方から届く音のように、中間の音がそぎ落とされている感覚。
 空気を伝う間に、削られ砕かれ、それでもなお歌として前に進み続けた音。研磨され、研ぎ澄まされたその音は、あまりに少量であまりに静かだった。けれどしっかりとした存在感が在る。
 まるで薄い刃。氷で出来たナイフのように、透明で鋭利で、そして儚い。
「――、――――」
 歌だ。疑問は確信に。音の聞こえる方向は、あまりにも小さくおぼろげな方角しかわからない。けれど、その方向へ近づけば近づくほど、音は大きくなるはずだ。
 ルチルは、空を見上げる。
 薄い青に染まった明け方の空。大地も、家も、人も、空も、全て青く染める空。あまりにも薄くて空に上ったときにはほとんど夜にまぎれて紺色になってる。けれど町に視線を落とせば、まるで夕日の真逆のように青く世界を染め上げていた。夕日のように、強く激しい物ではない。もっと静かで、凛とした色だ。
 そんな世界を、歌が走る。どこまで行けるのか自分を試すように、屋根に当って飛沫になり、地面にあたって砕けて散る。生垣に当っては一人ぼっちになって、塀に当って故郷に戻る。そうやって、数を減らしてそれでも前を望んだ歌が届いている。
 ルチルはうれしくなって、駆け出しそうになった。何とか踏みとどまり、耳を済ませる。
 足音で、歌が聞こえなくなってはいけない。もっと丁寧に歌を追わなければ行けない。繊細で儚い青い青い歌。
「――……」
 そして、歌は朝日にまぎれるように消えた。
「あ……」
 消える瞬間はわかった。まるでここでおしまいだと、まんぞくしたというように静かなトーンダウンで終了。
 ルチルは取り残された気分になって、寂しくなる。
 空を見上げれば、朝やけに空が染まっている。赤いというよりは、白に近い強い光。まるで歌は光から逃げるように消えた。既に時間は六時を過ぎていた。駅前の方は、少しずつだか熱気を帯び始める時間だ。車が目を覚まし始める。代わりに歌は寝てしまった。
 ――また、聞けるかな。
 空を見上げたら、朝やけに照らされて輪郭を輝かせる雲が見えた。

スポンサーサイト

コメント
トラックバック
この記事のトラックバックURL