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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG

 玄関を開ければ、いつものようにつめたい空気が足元を流れる。
 寝起きだが嫌にはっきりした頭に、歌が流れている。
 エレベーターの降下ボタンを押すと、電圧安定器の目覚める音が低く響いた。夜明け前の空気は張り詰めていて、よく響く。
 コンクリに四方を囲まれているエレベーターが上下する空間。四角く飾り気の無いコンクリの壁に囲まれ、鉄に反射したエレベータの唸り声。壁に削られ、扉越しの空洞から届く音。
 ゆっくりと音を変え、そして扉が開く。
 溢れだした光に身を滑り込ませると、まるで待っていたかのように扉が閉まった。


 
 昨日見失った場所へ、迷いも無くルチルはやってきた。
 そして、
「――」
 やってくる前から歌は聞こえていた。
 小走りにルチルは町の中を行く。歌が消える前に、どうしても突き止めたかった。
 何の歌だろうか。誰が歌ってるのだろうか。
「――、――」
 昨日よりはっきり聞こえるのは、秋末のおかげだった。知った歌は聞き取りやすくなる、頭の中でメロディーを追いかける事が出来るから。
「――――」
 昨日見失った場所へ、十字路を左に曲がり音を追いかける。と、いきなり音が小さくなった。
「え……」
 思わず足を止めるが、音は逃げていくわけではない。後ろに一歩。音が近づいた。
 振り返っても、そこは先ほど通り越した十字路。ルチルはまた一歩十字路から離れるように動く。やはり音は離れていく、だけど音の発信源が判らない。ふらふらと、前へ後ろへ。ステップを踏むと言うよりは、目を回してると言ったほうがいい不恰好さで彼女はその場を回る。
 この辺りから出てるであろうと、辺りをつけてもそこは道路の中央で何も無い。首を傾げても判らないので、ルチルはため息を一つ付いて歩き出した。
 十字路を背に、音が小さくなるのも気にせずルチルは歩き出す。しばらく小さくなり続けた歌は、ふと音を取り戻した。
「――、――――」
 歌が聞こえる。
 こっちであっていたのだという安心感と、なんでまた音が大きくなったのかと言う疑問が頭の中でくるくると回る。
 それでももう、ルチルは足を止めなかった。
 この先にあるのは川だ。きっと川に行けば何か判るだろう。ルチルは一人自分の考えに頷いた。
「――、――」
 歌に合わせて自分も口ずさむ。歌詞も判らない歌だけど、一緒にリズムを刻む事ぐらいは出来る。
 足も気が付けば一緒にリズムを刻み、不規則だが旋律のあるテンポで彼女は川へと向かう。
 明け方の光に、ゆっくりと輪郭を浮き立たせる雲が、群青の空に浮かんでいる。風は感じないが、上空は風が吹いているのだろうゆっくりと雲は動いている。
「――――、――」
 歌が大きくなる、小さくなる。ゆっくりとだが、波を描くような上下をしていた。だけど確実に、その音は大きくなってきているのが判った。
 はっきりと聞き取れるまではいかないものの、聞こえてくると核心をもてるほどには。
 ゆっくりとなだらかなサインカーブを描いて、平均値自体はしだいに大きく。あの川に付いたら、きっと判るに違いないという思いはどんどんと強くなっていった。
 ゆっくりと川が見えてくる。それがなんだかうれしくてルチルは走り出した。
 
 走り出すと一気に強くなった風が体中を冷やしていく。特に温まって居なかった体が一瞬にして冷め切った。
「う」
 うめき声一つ、関節が軋む。冷え始め潤滑剤が硬化し始めたのだ。ざらついた感触が、関節から骨格部へと響きと軋みを伝えてくる。
 思わず体温調整のためのヒーターを付けた。一瞬でヒーターの電熱部より電熱部を駆動させる機構の方が熱を帯びる。
 既に何か間違えている設計に、ため息が出るが下手に動いて倒れるよりはましだと、ルチルは体が温まるのを待った。
 ゆっくり、熱量を持った潤滑剤が滑り出すのに時間は要らなかった。ほぼ三呼吸と行ったところだろうか。
「はっ」
 息を履くと、白い息が口から上がる。
「わお」
 呼吸をするたび、声を出すたびに白い息が漏れるのが面白いのか、ルチルは歌の事を忘れて息を吸い込み、そしてはく。
「は――」
 もわもわと、湯気が空に舞い上がり一瞬で透明になる。まるでシャボン玉を飛ばすのが楽しいといった感じの子供のように、彼女は何度も何度も息をはく。
 そういえば、ずいぶんと寒い間外にでていなかった。家からすぐに車に乗り込み、学校へ。買い物をするにも、スーパーの駐車場へとめてそのままスーパーだ、こんな長い間それこそヒーターをつけなければ行けないほどの寒さにさらされた記憶がずいぶんと無い。
「は〜」
 白い息が、空に昇っていく。
 ゆっくりと、まるで風に形を与えるようになびき薄くなり、そして消える。
 楽しくなって、笑いが漏れる、そのもれた笑いが白い湯気となってまた空に消える。ループする行いに、ルチルの笑いは止まらない。



 歌が聞こえる。
「――」
 ルチルの笑い声に乗って歌が聞こえている。
「――、――」
 冷たい夜明け前の空、歌が町に響いている。
「――――、――」
 ルチルは気が付いて居ない。そして、町の人も気が付いて居ない。
「――、――――」
 歌が町全体を覆ってることに。
 微かだけど、その歌は届くために届く。物に当り続け、輪郭すらあいまいに。響き続けて、己に己を重ねる。それでも無くならず、どこまでも遠くへ遠くへ。
「――、……」
 そして歌が途切れた。
「あ……」
 自分の白い息に気をとられ、追いかけるのを忘れていたルチルは、今更我に戻り呆然と立ち尽くす。
 もう歌は聞こえない。 

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