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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG

 驚きに反応できなかった。ただ、すぐ傍で叫び声が聞こえた。叫び声、いやもっと毅然とした言葉の羅列だった気がする。だけど、それの意味を理解する方法はルチルにはない。
 天井を見上げている。視界の端で、倒れかけた点滴のスタンドが軋んでいる。
 スタンドの上のほう、黄色い液体が振り子のように揺れている。
 其処から伸びている管がまるで意志をもって逃げ出そうとしているようにすら見えた。首を掴まれた蛇のように、体をくねらせなんとか拘束から逃れようとしているようだった。
 手を伸ばしてみる。けれど、首を掴まれた蛇はルチルの手には気がつかずに、上手い事すり抜けては暴れ続ける。
 それが可愛そうで、ルチルは手を伸ばし続けた。

「センセ。ほら、行くよ!」
 いきなり思考がひっくり返るような衝撃。
 伸ばした手を掴まれ、ルチルは無理やり起き上がらされたのだ。驚いて腕の先を見ると、力強く腕を掴む看護士の姿があった。
「しっかり! センセの学校の生徒デショ!」
「……は、はい!」
 ルチルが立ち上がったのを確認すると、看護士は走り出した。サンダル履きだというのに、とんでもない速度でかけだす看護士をみて、ルチルは驚きに目を丸くする。
 が、すぐに我に返るとあとを追って走り出した。
 
 渡り廊下を抜け、階段を降りる。本館に入った瞬間に、温度さが肌をなめていく。人が多い建物は空調が行き届いていてもやはり空気が違う。
 次第にロビーから聞こえてくる音が輪郭を明確にしていくなか、ルチルは看護士の背中を追って必死で走っていた。頭の隅で、博士にゴメンナサイと頭を下げながら。
「そう、走っていった子! ドコ?」
 一足先に受付にたどり着いた看護士が受付のロボットに叫んでいるのが聞こえる。
「院長に連絡シテ! 私は追いカケルから。井田サン、三一八片付けといて。警察はイイ。ソレより、靴!」
 サンダルを脱ぎながら、受付のカウンターに身を乗り出している。その看護士の背中にルチルは追いついた。まだ温度は上がっていないが、やはり足首に違和感が残っている。
「駅方面へ向かって走って行きました」
 受付のロボットが靴を渡しながら言う。靴を受け取った看護士は、無言でうなづきながら履き替える。ただ事では無い様子に、ロビーにいた順番待ちの老人たちが彼女を見ているが特に声を掛けようとする人はいなかった。みな、彼女の雰囲気に飲まれている。
 ルチルは、立ち付くし看護士の後ろにつったっていた。
「センセ、何してるの。早く追いかけて!」
「は。はいっ」
 声に驚き、ルチルは走り出す。
 あわてた所為で、一瞬足がもつれたたらを踏んだ。目の前で自動ドアが開いていく。
 冷たい風。
 一瞬にして関節部の温度が平常値へ近づいていく感覚。
 足に力をこめて、踏み出す。
 広がったのは視界よりも音。付いてきたのは、風。
 急いで走りかける、車をつかうということも考えたがすぐにその考えを振り払う。
 駅に向かって道を進む。昼過ぎの道は、思ったよりもにぎやかで人に溢れていた。ちょうど昼ごはんを食べ終わった主婦が駅前に買い物に来ている時間なのかもしれない。
 曲がり角を曲がる。
 生徒の姿が見えた。
 声を掛けようと思ったが、名前を知らないことに気がついて声が出せなかった。
「……」
 走って追いかけながら、ルチルは先ほどきいた声を繰り返し頭のなかで聞いている。
 きっと輪郭が代わってもそうそう声が変わる事は無いはずだと踏んだのだ。顎や歯の形が変われば、声は変わるが、普通にしゃべれたところをみてもその可能性は低い。
 聞いた事がある声かどうか。誰がしゃべった声か。健康診断のときの記憶や、雑多な学校の記憶を無作為に引っ張りだしては彼の声を探す。
 鼻にかかった舌足らずな声。
 けれど膨大な量から、その声を探し出すのはあまりにも骨が折れる。
「センセ!」
 声を掛けられて振り返ると、看護士が走ってきている。とんでもない速度だった。
 肉体の作りからして全く違うといわんばかりの、その速度はまるでスプリンターのそれに近い走りだ。
 自分の速度を落とさなくても問題ないと、ルチルはうなづきを返すと前を見る。
 ちょうど生徒が曲がり角を曲がるところだった。
 
 いくら先に逃げたからといって、中学生の体では速度はたかが知れている。
 とはいえ、ルチルの走る速度のほうもたかが知れていた。
 すぐさまに、看護士に抜き去られ後ろにおいて行かれた時は、さすがに苦笑がこぼれる。
「センセ、先いくよ!」
 ソレだけを残しさらに加速。まだはやくなるのか、とルチルは目を丸くした。
 一歩一歩の速度が段違いなのだ。体を動かす速度いかんのまえに、まず足の運びが速い。空気抵抗よりも、筋肉の動かしやすさを重点に置いた走りは一体どこで覚えたのだろうか。
 まるで体中がバネ。蹴ると言うより、前に飛ぶように看護士は走る。
「マチナサイッ!!」
 ルチルの前で、看護士は生徒に追いついた。
 良かったと言う安堵のため息。またたたらをふみ、倒れそうになるルチル。
 足首の関節はまだ慣れそうに無いな、と苦笑した。
「はっ、はっ……」
 息を荒げ、ルチルがやっと追いついた時には、生徒は抵抗するのを諦め看護士に体を調べられていた。
「頭強くうったから、検査ウケテモラウヨ。さぁ、病院に帰ろう」
 首を横に振る。
「すぐ終わるから。そしたら、帰って大丈夫」
「いやだ!」
 思ったよりも大きな否定に、ルチルは生徒の前にかがみこんだ。
「ね、君の名前は?」
「……」
 無言でうつむいた生徒をみて、ルチルは苦笑。彼を捕まえていた看護士は手を離し、ルチルの方へと促す。
「一度、検査して学校へもどろ? ね?」
「なんで、センセイなんだよ!」
 あの時と同じだった。飛び出した時と。力いっぱい胸を突かれ、視界が横へ吹き飛んでいく。踏ん張ろうとした足首の関節が、何かに引っかかるように動きを止めた。しまった、と思った時には既に遅い。走り出す足音を耳に。あの時と同じ風景が繰り返される。
 違うことは、ここが車どおりの多い駅前の歩道だと言うこと。そして、ルチルは車道へと倒れこもうとしていると言うこと。
 ――そして、車のブレーキの音が聞こえた。
 嫌な音が体を伝わってやってくる。一瞬で視界がエラーに埋め尽くされた。外部からの音声も立たれる。入力機構全てがエラーによって埋め尽くされていく。一瞬にしてメモリ領域にダンプメッセージが詰め込まれ一杯になる。
 真っ赤に染まったメモリ領域のなか、一つだけ別の物が見えた。
 ――名前。
 声が、照合できたのだ。
「一宮……雄……君」
 知らず名前が口から漏れる。名前を届けなければ。けれど、電話なんかできない。エラーに埋まったメモリ領域を強制的にこじ開けて、ルチルは必死に思考する。
 何とかして、伝えないと。
 記憶がフラッシュバックした。開放ポートアドレス。あの時、ユキが教えてくれた開放されたポートが記憶に焼きついている。
 ――ボットとは、例え人の傍に居るようになった今でも、人を守るために存在するのです。例え友人となれても、ロボットはいつも人の盾になり、足になり、手になり、頭になり、目になり、いかな要求にもこたえ、かなえるために存在するのです。
 そうだ。やらなければ行けないことは、彼の名前を伝える事。いま、復旧にさくような暇はない。時間が惜しい、あと何秒動いていられるか判らない。ありったけの出力で、アンテナが焼け切れるかと思うほどの電圧で、ルチルは電波に乗せて叫ぶ。まだ、ユキがポートを開けていてくれると信じて。
 探していた生徒の名前を、届けてもらうために。

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