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連載小説:003

003:log

 既に人気が引いた道。登校時の賑わいは既にどこかに行ってしまったかのようだ。そんな、寂しくなった道を興はトボトボと、重い足取りで歩いていた。
 まだ急げは1時限目の授業に間に合うだろう。だが興の足取りはまるで間に合わせる気のないそれだった。うなだれ背を丸め、初夏の日差しに背を照らされたまま彼はゆっくりと学校を目指す。走ったために吹き出た汗が気持ち悪いのか、興は張り付いた服を剥がすように身震いをした。
「うう……」

 勢いと怒りが収まれば、自分のやっていたことも冷静に見つめなおせる。彼は、空腹と怒りで勢い任せに小崎・朝弓の家を訪れたことを後悔していた。
「大体……携帯があるんだから連絡とればよかったんだよ」
 居ないと突きつけられて、やはり居なくて気が動転していたのだろう。どうかしていたのだ、そう言い聞かせてポケットに入っている携帯を取り出す。母親から連絡は来ていない、同じクラスの友人から、新しいアイスのチェーン店が開業したというどうでもいいメールが一つ。
 興はメモ帳からおもむろに母親の電話番号を見つけると、通話ボタンを押す。
「……あれ?」
 電話が普通にかかって驚く。どこかで、あの女が言っていたことを信じていた自分を見つけ、興はうんざり顔になる。
 ――そうだ、ちょっと急用ができて……。
『はい、もしもし』
 母親の声。驚きもしたが、安心もする。思わず吸い込んだ息に咽た。
「母さん? なんで家に居ないのさ」
『あ……こう……、……さ…………』
 突然走り出すノイズに、驚いて興は携帯から耳を離した。
「母さん、すごい雑音なんだけど」
『……やっぱ……ね、かあ……ま…………帰れないの……』
「は!?」
 最後の、帰れないという言葉だけがいやに耳に届いた。
 帰れない。今まで性質の悪い悪戯か、運の悪さによる偶然だとばかり思っていたものが、一気に現実として目の前に降りかかってきた。
『お父……、……だ…………めん――』
 その言葉を最後に、耳障りなノイズを残して電話は一方的に切れた。
「な、んだよ。それ」
『――だから、君には見つけられないと言ったのに……。まったく、もう少し利口になってくれないか?』
「……はぁ!?」
 その声は、いきなりやってきた。先ほど興をたきつけた女の声だ。
『それとも、ママのおっぱいがないと生きていけないのか君は。しっかりしてくれ、先が思いやられる』
 言うだけを言うと、電話が「もう一度」切れた。
「あ、おい! あんた!」
 しかしもう、電話の向こうは電子音で接続が切れたことを知らせてくるだけ。仕方なく携帯を切ると、興はまたトボトボと歩き出す。
 一時限目には間に合いそうにもない。

 ◇

 空腹で目が回る。
 その表現が、実際にあるのだと体で理解したころには既に遅かった。鞄がいやに重たく感じ、興は学校指定のその手さげ鞄をもてあましながらふらふら歩く。目の前に校門が見えてくるが、興には見えていない。
 自分の体が倒れないように前に進むのだけで精一杯なのだ。
 ――腹が……。
 空腹はめまいを通り越し、腹痛と寒気すら呼んできた。唾ですら、腹の足しになるかと必死で嚥下するが、よだれすら出てこない。
 ――あ、やべ……。
 アスファルトが近づいてくる。落下感が体中を支配したかとおもうと、すぐにそれはなくなる。代わりになにか、重たいものが落ちる音が聞こえた。体がどうなってるかは判らないが、三半規管だけが正常に働いて自分が横になってることを教えてくれた。
 白みがかっていく意識のなか、興はダイエットは苦行だということを悟った。
 頬にアスファルトの感触。倒れたのだな、とまるで他人事のように興は思う。母親は居ない、多分父親もだ。ペットのベーコンもきっと居ない。
 そして、誰も帰ってこない。既に家を出ている姉と兄を思うが、今更電話をしたところでどうにもならない気がした。
 
 ふと、目の前が暗くなった。それでやっと、自分が先ほどまで目を開けていたのだと興は気がつく。
 ――だれだ?
 しかし疑問は空腹にかき消される。
「美甘・興君」
 名前を呼ばれ、ふと我に返る興。道に横になったまま、体を丸めていたが声の主を確認しようと、仰向けになるように転がった。太陽を背に、逆光になった人影が目に入ってくる。
「美甘君。起きなさい」
 どこかで聞いたことがある声、だけどドコで聞いたかを興は思い出せない。まどろんだような視線で、自分の頭の上に立つ人影を見上げている。
「腹が……」
「お腹が?」
「へった……」
「はぁ……」
 心底こまったような返事をする人影。スカートが風に揺れているのが見える。そこでやっと、頭上に女性が立っているのだと理解した。その瞬間、一瞬で脳みそに血が上る。
 逆光とはいえ、姿がわからないわけではない。目の前で、スカートがひらひらと揺れているのだ。
 ――水色。
 一瞬だけでも空腹を忘れることが出来たのは幸運だったのかもしれない。
「……授業が始まるけど。保健室へ行きたい? それとも、教室?」
 確実に視線が会った。見咎められたようで、心臓が飛び出しそうになる。一瞬で赤くそまった顔を隠そうとするが、体が言うことを聞かない。
 気まずすぎる空気が流れる。スカートの中を覗いたのがばれたか。いや、確実にばれただろう。しかし何も言わない。疑問と恐怖と不安が一瞬にして頭の中を埋め尽くしていく。
 からからだったはずの口の中が、さらに渇いたようにすら思えた。
 何か、返事をしなければ。興は必死で口を動かす。
「きょ、う室へ……」
「そ。じゃぁ肩貸してあげる」
 そういって彼女はしゃがみこむと、仰向けになっていた興の体の下に手を差込み起こしてくれた。
「ど、うも……」
 歩き出した女性の横顔をみて、興は教室の場所をしってるのだろうかと疑問に思う。というか、なぜ名前を。疑問を口に出そうとした瞬間、すっと彼女が振り返る。
「同じクラスでしょ? 美甘・興君。それとも忘れた? これから貴方の主人になる顔を」

 興は目の前が真っ白になるのを感じた。
 現実は、間違いなく目の前にあったのだ。

「それと私のパンツ、安くないから」

 いや、地獄は目の前にあった。

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