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連載小説:005

005:log
 オニギリ一つで、高校生の腹が満たせるわけが無かった。
 授業中に空腹による腹痛で、興はもだえ苦しんでいる。いまも、机につっぷし彼は無言で空腹と戦っていた。
 昼飯、といって渡された握り飯を食べようか食べまいか、それ以外に頭には無く教科書を朗読するだけの教師の声は耳に入ってこない。頬にあたるノートの感触が、少しだけ心地が良い。開ききった窓から、興の席は遠い。暑くるしい風にうんざりしながら、彼が窓のほうを眺めると、小崎が興を見ていた。驚きに、一瞬にして上体を起こす興。
「どうした、美甘。居眠りはもう終わりか」

 教師の言葉に、一瞬にして興に視線が集まった。
「え、や……起きてましたよ」
 愛想笑いをしながら、興が答えるとガタイのいい教師は、一度興を覗き込むと、眉をしかめて笑いを浮かべる。
「ほう、じゃぁ今やってた数式も覚えてると」
「も、もちろんじゃないですか!」
「じゃぁ、これ。これ、答えて見ろ」
 いいながら、教師が黒板に並んでいる数式の一つを指差す。
 あわてて、ノートを見下ろす興。たしか、途中まではノートを取っていたはずだ。ソレを思い出し、必死に似たような文字列を探す。が、
「……げ」
「どうした? お前の頬にかいてある数式だぞ?」
 思わず頬に手を当てる興。
「……ん」
 教師が、顎で廊下をさした。うなだれる興。
「顔洗って来い、美甘」
 つまり、廊下に立っていろ。ということだ。ため息混じりに、立ち上がると彼はゆっくりと教室を出て行く。
 視界の端、小崎の姿が一瞬見えた。
 そう思った瞬間、興の視界は横に流れる。
 ――え?
 疑問すら横に流れていくなか、何か重たい物が落ちる音が聞こえた。
 世界が九十度回転している。そこでやっと自分が倒れたのだと、興は理解した。

 いきなり立ち上がったとおもったら、床に倒れこんだ興をみて、クラスは騒然となった。変な病気かと心配そうに覗き込む女子と、面白いパフォーマンスだと笑い出す男子。まったく気にも止めない生徒も居る。騒ぎに乗じて、休み時間の会話の続きを始めるものも居た。
 ガタイのいい教師が、生徒の山を駆け抜けながら興に走りよる。
「おい、美甘!」
 ごつい手の平で体を持ち上げられて、やっと興は意識を取り戻す。見たくも無い教師の顔が目の前に迫ってきていて、興は顔をしかめる。
 興が目を開けたことに安心したのか、周りからは安堵のため息が漏れる。
「おい、保健委員。美甘を保健室に」
 保健室で寝れれば、少なくても昼までは持つかもしれない。そんなことを考えながら、焦点の合わない目で興は周りを見渡す。
「私が、連れて行きます」
 その声に、一瞬にして目が覚める。あわてて立ち上がろうとするが、朝のように無理は効かなかった。
「ん? 小崎。お前が保健委員か」
「いえ、違いますが私が連れて行きます」
 一瞬にして、教室は阿鼻叫喚にもにた騒ぎに包まれた。
「え、なに? 美甘と小崎ってつきあってたっけ?」
「むしろ遠まわしの告白?」
「なんか弱みとか――」
 小声だが遠慮の無い噂をもろともせず、小崎は興の前までやってきた。
「しかしだな……」
「下僕の面倒は、主である私が取るのが筋です」

 騒ぎは爆発した。
 噂は自然なカップルの話しから、一気に深い方面へと流れ込む。中にはまったく話しに乗れない、純真無垢な生徒もちらほらと見かけられるが、ほとんどがほとんど大騒ぎになる。
「おい、主って」
「マジ? なに、肉奴隷デスカ?」
「既にそこまでっ! 美甘めぇ!」
「愛ゆえにか」
「やっぱ弱みを――」
「つーか、あの二人ってそんな仲よかったっけ?」
 既に遠慮という文字は、好奇心の三文字に塗りつぶされた。騒ぎを聞きながら、痛む腹を押さえる興。間違いなく、この痛みは空腹だけの物ではない。彼は唇をかみ締め、自分を担ぎ上げる小崎を恨めしげに見やった。そのの視線に気がついたのか、小崎は一度だけ興に視線を投げるとそのまま歩き出す。
 背中から、はやし立てるような声が響いてくる。違う、そうではない、否定を叫びたいがその言葉はついに出ることがなかった。
 
 またしても、授業中に廊下を歩くことになり興は言いようの無い違和感を味わう。
 反響する教師たちの声と、自分の足音はいつ聞いても落ち着かない。教室より幾分か涼しい空気に、少しだけ落ち着きを取り戻す。
 日に二回も女の子に担がれるというあまりにも情けない醜態をさらし、ただでさえズタボロな興の精神は既に風化寸前だった。そこへ、教室での騒ぎがフラッシュバックし、さらに思い出しダメージをうけ、興は涙を流す。
「そんなに私の下僕がいや? さすがに泣かれるとへこむんだけど」
 さめざめと泣いていた興は、あわてて顔を上げた。目の前に、至近距離に女性の顔があることに、一瞬たじろぐが何とか平静を保ちつつ口を開く。
「わざわざ、教室で言わなくても……」
「だったら倒れないで。情けない」
 言い返せず、興は言葉を詰まらせる。
「でもさ、本当に何から俺は守るのさ。俺、別に体力もないし、喧嘩なんてしたこと無いんだけどさ。役に立つわけ?」
「下僕が役に立つか立たないかは、私が決めること。それと、興。空腹で倒れるなら、なぜオニギリをたべなかったの」
「え……あ……その……」
 食べなかった理由がいえなかったのではない、それより生まれて初めて名前を呼ばれた事でまるで心臓を掴まれたような感覚が襲ってきたのだ。
 興は心の隅っこで、いいようにもてあそばれてる自分にため息をついた。

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