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連載小説:006

006:log
 特に自慢できることなんて無かった。ただ、ちょっと他人より手が長いのは便利だとおもっていた。結局背が高い人間相手には意味の無い長所だったけど。
 運動はできないけど、我慢強い性格ゆえにマラソンは結構得意だった。もちろん、陸上部の人間に叶うわけもないのだが。ある程度秀でていた物があったかもしれないが、ソレはすべて何もしていない人たちと比べて、という前提がつく。目立つという意味では、目だっていない。平凡というには、そこまで何も無いわけでもない。子供のころは、悪戯好きの友人とつるんで駄菓子屋を荒らしまわったり、賽銭泥棒未遂で町内の祭りから締め出しを食らったりと、それなりには起伏もあったのだ、と興本人は思っている。
 かといってそんな過去は、世間になのしれた人間でもなければ自慢話の一つにすらならない、取るに足らない起伏でしかない。
 自分は、取るに足らない人物だなんていう悟りが出来るほど興は年を取っていなかったし、世界に絶望するほど若くも無かった。あやふやだったのだ。彼には指針がなかったから。

 十数年の記憶の中で、空腹で目が覚めるという驚愕の事実を味わいながら、興は保健室で目を開けた。
 養護教諭はいなく、保健室はいやに静かだ。校庭から、窓越しに聞こえる体育教師の罵声と、音楽室から聞こえてくる楽器の音が、いまだ授業中だということを教えてくれる。
 興は起き上がろうと首をめぐらすも、上半身を動かすほどの元気はなく状況は確認できなかった。
「おきた?」
 と、いきなり声を掛けられて、興は声のする方向へ顔を向ける。
 小崎・朝弓。切れ目の鋭い視線と、今にも千切れそうな絹のような髪の毛。すぐに割れそうな氷やガラスで出来た刃物を連想させるような彼女の姿をみて、興は一瞬たじろぐ。
 そんなに目立つ生徒ではなかった、興はそう記憶している。大人しいわけでもなく、騒がしくもない。普通に女子グループのなかの一人としか認識はしていなかった。すこし、学校を休みがちなところと、その見た目から体が弱いのだと勝手な噂があるぐらいだ。
「無理しなくていいから」
「……どうして」
 言葉が続かずに、興は口を閉じる。名前を呼ばれ事を思い出し、心臓が跳ね上がる。
「保健の先生がいないから。さすがに置いて行く訳にも、行かないし」
 一瞬、なにか引っかかる感じを受けるが、興はとりあえずそうなのかと納得する。
「……」
 女性と二人きりという状況になれているわけが無く、興は押し黙って自分の姿を見下ろした。保健室の布団は、他人行儀な匂いがして嫌いだ。飾り気もなく、真っ白なところも気に食わない。そして、そんな汚れのない真っ白な布団に制服で寝ている状態も居心地が悪かった。
 かといって服を脱ぐわけにも行かず、興は身じろぎをして居心地の悪さを追い出そうとした。
「小崎さん、聞きたいことが」
 無言にまけ、興が口を開く。
「なに? わざわざ教室であんなことをいった事? それとも、何から守るか判らない?」
「う……あ……。えーと。両方、かなぁ」
「最初の質問は、わざわざ隠し立てして動きづらくなるのがいやだから。一時の恥で、危険が減らせるのならいくらでも辱めぐらい受けるつもり」
「そんな、勝手に……」
「私が決めたの。貴方は私の下僕。意志決定権が自分にあるとは思わないで。それに、隠し立てしてもいつかばれるのなら、騒ぎが収まるまで逃げ出せるあのタイミングは理想的だったもの。なにか、問題でもあった?」
 たしかに、何かの拍子に関係がばれて、話題の渦中に放り込まれるよりは断然よかったかもしれない。数時間もすれば、最初の衝撃は無くなり間違いなくマシにはなっているだろう。あくまでも、マシでしかないのだけど。
「い、いえ」
「それと、次の質問だけど。私は、貴方を信用していない。だから、全部は話せない。それでも構わないなら、話せるところは話してあげる。いやなら、何もかもから守るつもりで居てくれれば、それで構わない」
 一息に言葉を紡ぐと、小崎は肺に残った空気を吐き出して目を閉じる。これ以上語る言葉は無いといわんばかりの姿に、興は何も言えずうつむいた。
 どこかで、名前を呼ばれたことに対しての喜びがあったのかもしれない。どこかで、オニギリを貰ったことに愉悦を感じていたのかもしれない。どこかで、誰にもいえない秘密を共有しているという連帯感を持っていたのかもしれない。
 ――その全てが打ち砕かれた。
「どうする? 別に聞かなくていい?」
 その言葉に、興は顔を上げる。朝あったときから、小崎は何も変っていなかった。勝手に勘違いしていただけだという現実。どこかで何か自分が選ばれたのではないか、そう思いたくなる理想。しかし実際は、自分でなくても良かったのだろうし、そしてその程度でしかない現実が待ってるだけだ。腹が減っていて、頭が回らない。興はいつもの調子が戻ってこない自分に苛立ちながら何とか言葉を吐き出す。
「いや、聞けるとこだけでも……」
「貴方にその手紙を出した人。あれが人間なのかしらないけど、本来あの人が私の護衛役だった。私は、居てはいけない存在らしいから、それを――
 居てはいけない?
 疑問を口に出そうとした瞬間、扉が勢い良く開けられる音がした。けたたましい音に、小崎も振り返る。ちょうど正方形の保健室の対角線上。扉から顔を出したのは、養護教諭の姿だった。
 扉の勢いに驚いたが、見知った顔が出てきたので興は胸をなでおろす。
「なんだ、おどろかさ――」
 先に動いたのは、小崎だった。薬棚に置いてあったハサミやカッターに飛びつくと、躊躇いも無くソレを引き抜いた。そのままの勢いで、刃物を投げつける。彼女の体の回転に合わせて、制服がふわりと広がり髪が綺麗に流れていく。その姿に気を取られた瞬間、壁にハサミがぶつかる。金属の甲高い音。
「人に、刃物を投げつけるなんて。なんて手癖の悪い」
 ずるりと、顔だけ扉からだしそのままの姿で養護教諭が小崎を見る。
「そんな生徒には、教育をしなけれバ」
 言葉と同時、首が落ちた。
 水っぽい音をたて、天井を見上げる形で首だけが床に落ちた。まるで胴体から外れたかのようにして落ちた首は、そのままゆっくりと小崎へと向かって滑っていく。
「ひっ!」
 あまりの恐怖に、興は声を上げた。
 声に反応するように、首が興を見た。恐怖と不快感に、何もはいっていない胃がキリキリと痛む。
「なンダ……? へぇ、この女以外に感染者が。いや、近衛か……ふん役立たずの近衛を連れるとハ」
「……それは私が決める」
「ア?」
 床を転がっていた首に。胴体のない養護教諭の首に。躊躇も手加減もなく、小崎の足が振り下ろされた。
 骨の砕ける音。生まれて初めて聞く、頭蓋の砕ける音を興は聞いた。

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