スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

連載小説:007

007:log
 吐き気。
 恐怖。
 疑問。
 どうしても、理解へと辿り着かない。まるでホースの途中で石を詰め込まれたように、現実がそこで堰き止められている。
 何が起こっているのか。目の前に繰り広げられた現実を見て、興は必死で理解しようとする。だが、どうしてもその先がわからない。
 えっと。だから。赤い。血の――
 思考はそこで止まって真っ白になる。そしてまた繰り返す。目の前にある光景を必死で頭の中に入れようとする。
 体中が、理解しろと叫んでいた。体は何が起こっているのか知っているのだ。でも、脳がソレを理解できないで居る。恐怖で足がすくみ一人だけ置いてけぼりにされたように。
 頭だけが、現実に追いつかない。
 鼻の奥で、ツンとした臭いを感じる。
 鼻血が出たのかと、興は反射的に手を鼻の下にやった。
 しかし鼻血どころか、鼻水すら出ていない。いつもの自分の肌の感触。しかし鼻には、
 血の臭いがする。

 えっと……。だから。目の前で、小崎・朝弓がため息をついた。
「しっかりして。先が思いやられちゃう……」
 言いながら、もう一度足に力を入れた。
 骨片がもう一度割れるような音がする。リノリウムの床に、硬い物をこすりつけるような雑音。普通なら聞くことの無い、一生聞くはずの無い類のその不快極まりない音が、保健室に響く。
「別に、殺人じゃないし。って、聞いてないか……」
 すとん、と殺人という言葉が頭の中に転がり込んできた。
 今までホースの中で現実をせき止めていた石は、その言葉に押し流される。そして、目の前に現時がやってきた。
「う……」
 血の入った風船を割ったような、そんな光景。床に四散した赤い血と、脳漿。
 脳漿ってピンク色というかクリーム色なのか、なんてどこかで自分が笑っているのを興は聞く。かすかに残った血以外の液体、リンパ液や髄液。顎の骨から顔をだす舌。赤、白、黄色。ああ、チューリップ。
 割れた歯といっしょに眼球が一つ転がって、こちらを見た。
「うわああああああああああああ!」
 跳ね起きるようにしてベッドから飛び降りると、興は一気に壁まで後退る。けたたましい音をたてて逃げる興をみて、小崎は心底呆れた顔をする。
 頭を抱え、恐怖と不快感から逃げようとしている興は、一向に顔を上げようとせず壁に体を預けて震える。
「興!」
「ひっ!」
 小崎の声に、興はびくりと体を震わせた。
「しっかりなさい。これから、コレを貴方がしなければいけないの」
「ひと、ひひ……ひと殺し……」
「人殺し? だから、コレは殺人じゃないって。よくみてよ」
 言いながら、小崎は床を踏みつける。その音にもう一度興はびくりと体を震わせた。
 ゆっくりと息を整え、彼は床に広がった赤い染みを――
「……え?」
「これがなんなのか、私はしらないけど。とりあえず、人じゃないことは確か」
 そして、といいながら血が飛び散ったはずの上履きを興に見えるように上げた。
「形が崩れて意味を成さなくなれば、これらは跡形も無く消える。ソレだけを覚えていればいいそ、それ以上なんて知る必要はない。そして、元人間ですらない。見た目はそっくりで、見分けがつかないけど、私にはソレがわかる。だから、私は狙われる。貴方はそれから守ってくれればいいの」
 いきなり現実として、跡形なくなっても記憶が消えるわけではない。幾分目の前に凄惨な光景がなくなっただけ、興は落ち着きを取り戻してはいたがまだ頭の中は混乱していた。
「保健の先生は……」
「アレは偽者。本当の先生は、どっかにいるんじゃない? 基本的にアレは、害がないから先生が殺されてるってことはないよ」
「そ、そう」
「私にだけ害のある、私の敵。だから貴方の敵」
「……」
「何か質問は?」
 ふと、現実に引き戻される感覚に、今までのことを忘れてしまおうと脳が勝手に動き出す。一気に現実味を失った過去は、すぐに思い出以下へ。
「えっと……」
 アレがなにか、聞いたところで教えてはくれないだろう。アレ等にとって、小崎が都合の悪い人間だということだけが確かで、ソレに狙われてるから自分が助けなければいけない。
 納得はできない。が、どういうつながりになっているかは理解した。
「アレについての詳しい話しは私もわからないから、聞かないで。知ってることも、全部教える気はないからそのつもりで。ただ、私にはアレがわかるってことと、アレに狙われているってこと」
「でも、俺は普通の人間で、」
「大丈夫、私でも踏みつけるだけで壊せる弱いものだから。でも、常に狙われてるの。だから、助けが必要。男手なら、大歓迎なわけ」
「……」
 自分が、あんなのを殺せるのか。喧嘩の一つだってしたことの無い自分が。問いかけは無意味なのはわかっていたが、興は考え口をつぐんだ。
「拒否するなら、今のうちにして。今のうちなら、まだなんとかなるとおもうし」
「俺は、」
 例えるなら、風呂桶の湯を抜いた時の最後のけたたましい音。物理的に言うなら、胃液とともに胃の中にある空気が腸へ移動した音。
 つまりは、腹の虫。
 くうぅぅ、というなんとも情けなく間の抜けた音に、興は顔を真っ赤にする。
「ぷっ……、かわいいお腹の虫ね。食事ならいくらでも面倒みてあげる」
 そういって、くすくすと小崎が笑った。食事の保障で命を賭けろというのだろうか、そんな馬鹿な話しが、あるわけがない。興は頭の中で、叫ぶ。が、体が動かない。
「だから――」
 ゆっくりと、小崎が興に近づいてきた。壁に寄りかかったままの興の目の前に立つと、ゆっくりとしゃがみこんでくる。
 小崎の手が、頬に触れた。反射的にこわばる興をみて、彼女は薄く笑う。体のどこかで、忠誠を誓ってしまえ、下僕になってしまえと、誰かが言っている。
「私の下僕になりなさい。興」
 唇から、目が離せなかった。女の子独特のいいにおいがする。触れられた頬が、熱い。いや、体中が熱い。勝手に開く口を、もう興は止めようとすら思えなかった。
「はい」
 自分はマゾなのかもしれない。そんな疑問が頭のなかに浮び、消えずにどこかにこびりついた。

スポンサーサイト

コメント
トラックバック
この記事のトラックバックURL