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連載小説:008

008:log
 それは無造作に、まるでスイカが転がるように。
 養護教諭の頭が、ごろんと転がった。毛髪で肌の半分を隠し、首の断面には生々しい肉の質感。鼻の奥に鉄の臭いが突き刺さり、思わずむせる。興は逃げようとすら思いつかないまま、じっとソレを見下ろしている。
 養護教諭の頭がゆっくり角度をかえ、興を見上げる角度になった。髪の毛が血でべっとりと汚れ、肌に張り付いている。その奥から双眸をぎらつかせ、養護教諭が興を見上げていた。
「……」
 双方とも、無表情。あまりにこっけいなその光景を、なぜか見下ろしている感覚に襲われ興は頭を振った。
 ドコまでも広がる真っ黒な世界。上下だけはたしかにあって、臭いは間違いなくしていた。現実味がないのは、光がさしこまないのに、自分と養護教諭の頭だけは普通に見て取れるというところだ。
「近衛メ……」
 コノエ。聞きなれない単語に、興は目を細める。
「あと少しで折れたものヲ……」

 ブツブツと、頭が何かを呟いている。喉から先がないのに、どうやって声を出しているのだろうか、興はふと疑問に思い目を凝らした。
「まずは監視者ダ。次に主をなくしたオマエを殺してやる」
 そういって、ぱかりと玩具のように口を開き、首が笑った。顔の長さはその顎のせいであまりに長くみえ、驚きに興は後ずさる。
「主を守れないまま、醜く後悔するがいい。近衛」
 笑い声がだんだんと大きくなっていく。永遠に広がっている空間のくせに、なんだか声が反響していた。耳障りな声は、大きくなるというより頭の中から消えてなくならないまま増え続けている。
「くっ」
 興があまりの音の大きさに、思わず両耳を覆った瞬間。
 世界にかかっていた、いや今まではわからないがかかっていたらしい靄がいっせいにはれた気がした。

「がはっ!」
 何分も呼吸を忘れていた。そんな感じの大きな息を吐き、興は手足をばたつかせて起き上がった。
「はっ……はっ……はぁ?」
 荒い息と同時に入ってきたのは、かぎなれない甘い匂い。保健室ではない、自分の家ではない。体にはどこにもへんな箇所は無く、記憶とつながっている。しかし、見慣れない場所に思わず興は身構える。
 ――どこだここ?
 答えは後ろからやってきた。
「おきた?」
 驚きに、弾かれるように振り替える。その勢いに、相手も驚きたじろいだ。
「ど、うしたの?」
「――小崎」
 腰を浮かした小崎の姿が其処にあった。落ち着いて周りが見えてくると、やっと自分の居る場所がどこかわかる。
「もしかして、ここって」
「そ、私の家。ご飯できてるからこっちきて。それともまだ寝る?」
「え、あ。いや。じゃなくて」
 状況が見えてきてさらに混乱する興をみて、小崎はため息をついた。
「あの後、保健室で倒れたの。学校終わっても目が覚めないから、仕方なくつれて帰ってきたわけ。どうせ、自宅に送り返しても誰もいないだろうしウチのほうが都合いいから――」
「朝弓ー?」
 と、声が遠くから聞こえた。たしか、朝インターホンで聞いた声だ。興が顔をあげると、あわせるようにして小崎が立ち上がる。
「あ、おい」
「質問ばっか……。そんなに信用ならない?」
「い、いや! そんなことない……です」
「言葉遣いは別に気にしないでいいから。そうでないと、この先もやりづらいでしょ」
 いいながら、すたすたと小崎は歩いて部屋を出て行く。あわてて立ち上がり、興はその小さな背を追いかけた。相変わらず、絹のように細い髪のけが光を浴びて光っている。
 廊下を渡り、居間へと続く扉の前で小崎は立ち止まり興を見る。
「それにしても、興。学校にいる時と、全然ちがうね」
「む……腹が……」
 空腹はテンションも落とす。育ち盛りの腹は生活するには、存外足手まといなのだ。
「あー、なるほど。てっきり、保健室のこと思い出してへこんでるのかと思った。いや、朝からだからソレはない、か」
 言われた瞬間、見ていた夢を鮮明に思い出す。
「うっ!」
 フラッシュバックした記憶に、興は一瞬身じろいで自分の肩を掴む。
「ま、慣れるしかないから。アレにかんしては。諦めてご飯を食べて寝て忘れることね」
「な、なぁ。小崎、は大丈夫なのか?」
「慣れてるし。アレは人間じゃないから。それに、貴方の前任だったあの女は、私なんかよりもっと凄惨な壊し方をしてたから。はじめ見たときは、私三日はご飯食べれなかったもの」
 壊し方。その言葉に、幾ばくかの救いを得たような気がする。人殺しではないのだ。自分に言い聞かせるようにして頷いた。
 居間の扉が開くと、いいにおいが一気に廊下へとながれこんできた。
 瞬間から、現金な腹は体中をつかって食べ物を欲しがり始めた。空腹による虚脱感と、食欲にめまいを起こす。
「いらっしゃい、美甘君。もう体調は大丈夫?」
「――あ、はい。お邪魔してます。おかげさまで、ずいぶんと良くなりました。ご迷惑をおかけしました」
 まるでスイッチが入ったかのように、挨拶する興をみて、小崎だけが目を丸くした。
「な、なんだよ。そんな驚いた顔して」
「いや、あんなに参ってたのによく余所行きの対応できるなーって」
 心底呆れたようなかおで、小崎がため息混じりに呟く。
「礼儀ってのは……」
 腹の虫が盛大に鳴り響く。礼儀もなにもあったものじゃないほどの盛大な音に、小崎の母が噴出した。
「ふふっ。どうぞ、召し上がれ」
「あ、はい。いただきます」

 ◇

 血糖値が上がり、やっと頭が回り始めた興は食事を口に運びながら周りをみた。
 テーブルには所狭しと食器が並んでいる。料理はどれも旨い。空腹がそうさせているのかもしれないが、そんなことは今はどうでもよかった。
「そんなに、急がなくてもいいのよ?」
 小崎の母が勢い良く食事を食べていく興をみて笑いながら言う。その横で相変わらず呆れた顔をして興を見てる小崎は、既に食事を終えたのか箸をおいていた。
 こうして親子が並ぶと、間違いなく親子なのだとわかるほど二人は似ていた。輪郭はほぼ同じで、口元がそっくりだ。目元は小崎のほうが母親よりも釣りあがっており、きつい印象をうけるが、笑いかたや顔の筋肉の動かし方がほとんど同じだった。
 そして何より、二人の髪質が同じだった。細い細い髪の毛。白いライトに照らされれば、銀色に見えるのではそんな気がするほど細く、そして輝いている。
「……んぐ。ご馳走様でしたっ」
 久しぶりに声が出た気がする。興は、生き返ったとばかりに大きく息をすってテーブルから立ち上がる。
「お粗末さまでした。美味しかったかしら?」
「ええ、とても。本当にありがとうございます」

 ◇

 いまだ夜の冷え込みは少なからずあった。涼しくなった風に、興は身震いを一つ。
「食事ありがとう」
 玄関の前にたった小崎に言うと、あいも変らずな表情で小崎は軽く手を振る。
「コレは義務。だから、貴方も義務を果たして」
「……わかってる。出来る限りはやるって」
 まだどこか、楽観的な考えだったのは否めない。どちらかといえば、次の日の学校での騒ぎのほうが胃が痛かった。
「本当は家に居てもらいたいんだけど、さすがに世間体があるから」
「まぁ、そりゃそうだなぁ。でも、なんですんなり俺は小崎の家に入れたんだ?」
「へ? あぁ、親には彼氏ってことにしてるから」
「……」
 ……。沈黙。
「――そんなにいやな顔しなくてもいいでしょ。さすがに傷つくわ」
 俯き、興は微動だにしない。
「……」
「? 興?」
 さすがに不安におもったのか、小崎は興の目の前までゆくと顔を覗き込む。
「えーっと。あ、うん。いや、別に驚いただけ」
 普通こういうのは逆じゃないか。そんな思いを振り払うように興はかぶりをふった。
「もしかして、付き合ってる娘でもいた? それだったらさすがにまずいか……」
 首をかしげる小崎。
「いやいやいや、いない。大丈夫。うん」
「そ、ならよかった。それじゃ、明日」
「お、おう」
「ちゃんと迎えに来なさい」
 頷きを返す興。小躍りしたい気持ちを押さえ込み、興は歩き出した。
 だから、もう、昼前にあったことなんて、見た夢のことなんて、忘れていた。

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