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連載小説:031

031:log
 すっかり暗くなったあたりから、虫の鳴き声が聞こえている。知らない家の垣根に半身をつっこみ、興は苦しげに息を吐いた。
「あとすこしだ」
 といっているものの、手は垣根の向こう側へおちてしまった柱の上部をこするだけだった。人の身長より少し高いであろうその垣根と道路との高低差は、きれいに柱を飲み込んでいた。垣根の向こう側へ回り込もうとも考えたが、興たちがいる側はどうやら家の裏側、出入り口は存在していない。それどころか、家に電気がついていないところをみると、どうも留守らしいのだ。
「留守なのか……」
 困ったように眉をしかめ、地面に這い蹲る興をみながら小崎は呟いた。彼女の視線のさきでは、うんうんと唸る醜い下僕が一人。
「ぐ、おおお」

 角に手がかかった。少しでも手が届きやすい場所、柱がまっすぐに立つ方向へと興は必死に指に力を入れる。
 が、まったく柱は動かない。
「ふおおおおお」
 情けないことに腹は痛いわ、体制が悪いわで指に力が入らないのもあった。口から漏れるうめき声とおなじで、なんとも情けない結果だった。
 指の先、柱が滑る感覚を得た瞬間重たい音をたて、少しだけ浮き上がっていた柱はまたもとの場所へと収まった。指の先の喪失感は、なんだか泣きそうになるほどで興は一度鼻をすすってソレをこらえる。
「興?」
 後頭部のあたりで、しゃがみこみ自分を覗き込んでいる気配。興は、無言で一度頷くとまた手を伸ばした。しかしやはりどれだけ指を伸ばしても届くものではないのだ。
「ぐおお!」
「ちょっと!」
 諦めて垣根に体ごとつっこむ興に小崎は思わず声を上げた。体半分以上を垣根側へと落とし、支えているのは道路側の腕と足のみ。人に見られたらさぞこっけいな姿だろうな、興は自虐的な笑みを顔に張付ける。
「もういいよ興。明日明るくなったらとりにくるから」
「でも、あとちょい」
 頻繁に体を動かすほうじゃない興の声は、あきらかに震えている。入れたこともないところに力がはいり、体が痙攣しているのだ。
 幾分手がのび、柱に手がかかる。
「お、お」
「興あぶないって。やめなってば」
 しかし興は小崎の言葉を聞かず、掴みかけた柱をしっかりと掴みなおそうと手を伸ばす。
 ――いける。
 すでに手は限界までひきのばされ、垣根に入れるだけ体を滑り込ませている。道路に寝そべるかたちになっても気にしていないのか、彼はそのままの体制でもう一度からだを伸ばした。
「興!」
 ずるりと、体中の肌があわ立つ感覚。やばい、と思ったときには重心がすでに垣根のあるほうへとずれていた。

 木が揺れるけたたましい音といっしょにコンクリの壁に体が跳ね飛ばされる感覚が体中を塗りつぶしていった。
「うわぁ!」
 一瞬にしてからだが落ち、興は地面へと叩きつけられる。
 といっても高さにして一メートル程度で下は土だ、打ち付けた背中より木でひっかいたからだと顔、それに転がり落ちるようにしてコンクリに打ち付けてしまった腕ががいたかった。
「興! 大丈夫?」
 声が上からふってきて、顔をあげる。土の匂いが鼻に届くのと同時、垣根の向こうに肌色が見えた。
「お、う。大丈夫。生きてる。つつ……」
 頭を振りながら上半身を起こす。垣根がすぐ傍にはえていて、思わず顔をひいた瞬間だった。
 けたたましい葉のこすれる音。なんだ、と思った瞬間に音の主がふってきた。
「ぐぇ」
 内臓がでるかとおもうほどの衝撃。柱が倒れたのか、とおもったがそんなことはなかった。
「……ごめん」
 降ってきたのは小崎だった。ずいぶんと気をつけて降りてきたのか、衝撃はそこまではなかったのか、アバラがおれるようなことがなかったが、それでも呼吸がまともに出来ない。興は、咳き込みともかくどいてくれと小崎にむかって手を振る。
「大丈夫? 興」
 息が苦しく、腹の上にのられてまともに口が開けない興は答えられずに手を振る。
「あ、ごめん」
 危うく胃の中のものが出掛かっていた。小崎がどいたのをかくにんすると、興はいちど大きく息をはいて立ち上がる。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だって」
「ほんとに!? ねぇ、ドコもけがしてないよね?」
「小崎だっておちてきたじゃんか……」
 そうだけど、と口を噤み小崎はうつむく。会話がとまり、興は居心地がわるいのか頭をかいてあたりを見回す。柱はというと垣根とコンクリの壁に挟まれたままびくともせず其処にたっていた。
「だって、家の前まで回るのとおいから……ともかく、よかった。無事で」
「そんなに酷い落ち方したのか、俺」
「ひっくり返ったカエルみたいにおちてった」
「……ひどいな」
 痛みからだをさすりながら、柱を持ち上げる。みたかんじ酷い壊れ方はしていないようで興は安心する。
「いこう、人の家の庭にいるわけにもいかないし」
 無言でうなづく小崎をかくにんして、興は歩き出す。
「つ」
「どうした?」
「……足挫いた」
 いやな無言が流れる。興の目は泳ぎ、すまなそうに小崎は興を見上げている。
「……あー」
「……」
「わかった、おぶってくから」
「……」

 背に小崎をおぶい、彼女の足をくぐらせた手は柱をかかえている。遠回りになった道をトボトボと興は歩く。背中にあたる感触は必死で頭の済みにおいやり、一秒でも早く、一歩でも短くと夜道をあるいていた。
「ごめん、怪我しちゃったかとおもって」
 呟くように聞こえた言葉に興はため息を返した。すぐよこをクルマが通り過ぎていく。
「自分が怪我してどうするんだ。ご主人様が怪我してどうする。そういうのは俺の仕事じゃないのか」
「そうだね……ごめん」
 呟いて彼女は興の首を少しだけ力強く抱きしめた。

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