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連載小説:034

034:log
 酷く痛む右手に、思考の全てが持っていかれた興は、ただただ痙攣を繰り返し涙と涎と鼻水にまみれていた。
 頭の中で痛いという叫びだけがこだましている。だがそんななか、興は一瞬小崎の叫びを聞いた気がした。
 何を言っているのかまで、頭は理解できなかったが。それがなんだか大切な言葉だというきがして、胸の辺りに軋むような痛みが走ったのだけは確かだった。
 暴れだしたいほどの痛みが全てを塗りつぶしていくなか、遠く滲んだ視界の隅で小崎が走っているのが見えた。なんだか、また泣いている気がした。

 気絶を許さない痛みは、しかし記憶することも拒否させる。どれだけ自分が痛みにもがき苦しんでいたのか、興はさっぱり思い出せない。
 ふと、気がついた時には暗い倉庫のような場所に体を固定され捉えられていた。こめかみに強烈な痛みが走る。殴られたことを思いだし興は眉をひそめた。
 ――どこだ、ここは。
 埃くさく、空気は湿っていたが冷たい。足を動かしても体を動かしても壁にぶつかることはないが、狭いきがした。倒れて地面を這い蹲ればともかんがえたが、現状が見えないいまそれはなんとも恐ろしいことに思え興はその選択を諦める。
 代わりに声を出そうとして、そして口にテープが張られていることに気がついた。代わりに足を無理やり動かし床へたたきつけた。かつんという、平べったい音は、思ったよりも狭く、辺りに広がる。
 ほとんど棺桶、いやロッカーのようなものか。そうでなければクローゼットがいいところだろうか。自分の耳と経験でいうならば、である前提を無視して興は頷く。暗闇に目が慣れてきてもあたりは一向に見えてこない。判るのは鼻に届く空気の匂いと、周りの音だけだった。

 ――小崎。
 ふと、己の主を思う。が、別に超常的な絆でつながってるわけでもない二人が、五感を遮られて意思疎通をすることは不可能。ただじっと、興は自分の置かれてる状況を確認しようと体を動かし続ける。
 右手に突き刺さったままの棒は、アレだけの痛みを発していたのもすっかりわすれたのか、体の一部のようにのんきに生えたままだった。ただこのままにされたところをみると、この棒は引き抜けなかったのだろう。それだけは安心した。失禁しそうになるほどの痛みに、もう二度とこんな物を体に突き刺すのはごめんだが、かといって今すぐ引き抜けるわけもなく、体に刺さった異物を床で引っかいては硬い音を聞くしかなかった。
 ――だいたい、どこなんだ。ムイは来てくれるのか?
 夏場だというのに冷たい湿気た空気があたりに漂っているというのが、なんとも気味が悪かった。まるで地下や洞窟のなかのようなイメージに、もしかしたら自分は埋められているのではないかと、彼は恐怖する。
 もし埋められたのなら、外の音は聞こえないだろう。興は身じろぎするのをやめ、耳を澄ませる。
 音はなく、耳鳴りと自分の呼吸音がうるさい。せめて風の音だけでも、必死で耳をこらせばこらすほど心臓の鼓動は早くなり息が荒くなる。
 音は聞こえない。地面に箱に入れてつめられたのでは。その恐怖に、背筋が凍る。
 ――どこだよ!
 声も出せず、身動きもできず、ただただ空気が無くなるのを待たなければならない。それは消して耐えられるような恐怖ではなかった。大声を出して逃げ出したい、叫んで誰かに気がついてもらいたい、こんな所で死にたくは無い。だいたい、ここはドコなんだ。死にたくない。
 パニックに陥り、興はむやみやたらに暴れだす。そして勢いでかれは倒れた。
 体育座りの形で座っていたので、そのまま肩口を壁に打ち付けるところで止まった。頭が揺れるほどの衝撃に、パニックになっていた頭が少しだけ我を取り戻す。
 あせっても、もうどうしようもないことだけは確かだ。そしてこうして生かされているのは、自分がアレにとって殺しても無価値であり、利用価値だけがあるからだということだろう。つまるところの人質。下僕が人質とは情けない。
 ため息を漏らそうにもため息がでずに興は鼻で大きく息を吐いた。

 人質であるのなら、少なくても殺されることは無いだろう。そう考え興は壁に肩を寄りかからせたまま、眠りに付くことにした。両手の親指同士をワイヤーで、指を組むようにされたまま指一つ一つを括り付けられている。あまりに本格的で偏執的な縛り方に自分を縛った相手が自分のことを恐怖しているのかがわかった。
 ふと興は考える。もし逆の立場だったら。拳一つで体を引きちぎられる怪力、殴ればその部分が、掴まれれば付け根が、もし武器をもってるなら障害物にすらならないであろう敵がいたら。たしかに恐怖だった。そして、己を縛ったものがなんだか人間的におもえて少しだけおかしくなる。
 体を動かすことをやめると、ほどなく呼吸が整ってくる。興は体の動かせる部分を確認しながらじっとその場で座り続けた。音はなく、空気の流れも無い。だが一向に苦しくなることはなく、この場所が完全に密閉されてる空間ではないということがわかった。けれど外の音は相変わらず聞こえてこないし、周りに変化は全くといっていいほどなかった。
 ――寝るしかないかな。
 目をつぶり、興は壁に寄りかかった。右手の甲に突き刺さった棒が壁にあたって、硬い音を立てた。

 どれだけ時間がたったのか、目をふさがれ体の動きを封じられた興にはわからない。ただ、体の痛みが長い時間同じ姿勢を強いられていたことを教えてはくれている。
 目が覚めたことに気がつき、彼は身をよじる。状況は何も変っておらず、ただからだが少し痛いといったところだった。
 空腹だったが、食事を与えられるとは思えない。便所に行きたくなったら地獄だなと、興は苦笑する。
「おはよう」
 いきなり声を掛けられた。驚きに心臓が跳ね上がり、思わず倒れそうになった。
「こっけいな姿だね。美甘・興」
 その声に記憶がある。そのしゃべり方に記憶がある。目をつぶっても思い出せる、何色か判らない不思議な髪の毛をした女を、興は知っている。
「おっと、しゃべれないんだったっけ」
 すっと近づくと、彼女の匂いが鼻に届く。かすかな花の匂い。なんの花だっけ、と首を傾げようとした瞬間、唇が燃えた。
「いてえええええええええええ!」
 暗闇で相手は見えない、が息遣いが判るほど近くにいる。興の痛がりかたにくすくすと薄く笑うと、すっと離れた。風が動く。
「少々やっかいなことになってねぇ。君の両親なんだが」
 一呼吸の間。言葉を紡ぐのを躊躇うような無言のあと、ムイはゆらりと言葉を吐き出す。
「捕まった。君と同じだ。家族揃って人質とは面白すぎる見世物ではある、が……」
「見世物ぉ!?」
「さすがに放っておくのは朝弓が気に病むしね。さて、もうすぐこの場に朝弓がくるけど、どうしたい?」
 くすくすと、闇の中で笑う声だけが耳に届いた。

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