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連載小説:038

038:log
 ムイは、だらしなく自分をみあげ助けを求める興を冷ややかに見下ろす。
「其処にある。それで十分だ」
 その言葉に興は、冷や水を浴びせられたように体が震えた。頭のどこかで、それはそうだな、なんて冷めたことを考えながら彼は体を起こす。
 体力的な勝ち目はない。既に息はあがっていてまともに呼吸なんかできてはいなかったし、右手に付きこまれたメスの傷口はあまりに鋭利で痛みとかゆみをともなった痺れに麻痺しかかっていた。骨も筋もきれていないのか指は動く。それで十分だと、興は拳を握った。
 痛みが体中を駆け巡る。が、あの時助けを求めるために差し込んだ棒の痛みに比べればたいしたことはなかった。もう涙もでないし鼻水もたらさないですむ。
 興の口元に笑みが浮かび、優男は一瞬眉をしかめた。

 闇雲に腕をふるって排除できる作業は終わった。
 興は必死で相手をにらみながら考える。勝っている部分はない。付け入るものは、こっちを痛めつけようとしてるあの余裕だけだろう。
 興を見下ろしながら、優男はくつくつと笑い始める。
「みすてられたねぇ」
 言葉と同時、顔面にむかって足を付きこまれた。寸前のところで首をひねったが、頭部に足が直撃、興はまた階段から滑り落ちた。
 ごつごつと、体中を叩く音を聞きながら無様にムイの前に落ちてくる興。
「……この先一人朝弓を守るのなら、アレぐらいなんとかしてみろ」
 ムイの言葉を聞いてか聞かずか、ふらふらと興は立ち上がる。酷く一階の扉が遠く感じられた。
「むりだし……」
 吐き出す興の言葉は、諦めというより呆れた語調だった。
「しっかりしろとも、がんばれともいう気はないけどね」
「いらねーし」
「頭をうっておかしくなったか。それとも、死の間際で気が狂ったか」
「ふつうだ。くそ、喧嘩もしたことないってのに……」
「ま、あまり経験の在る人間は多くはないだろうさ。一方的に攻撃を加えられた、一方的に攻撃を加えた、という二つを喧嘩にいれるのなら少しは数が増えそうだが」
 はんと、ムイは肩をあげて笑う。
「それはただの暴力だろが」
「そう、君がアレ等にしてきた行為と変らない。一方的なエネルギーの押し付け」
「……」
「そして押し付けてきた分は帰って来る。よろこべ、世界はあまりにも無慈悲に平等だ」
 階段を下りてくる足音が聞こえる。わざわざゆっくり、聞こえるように足音が響く。
 興はそれをじっと見上げていた。
「すくなくてもあんたは最低だ」
「ご名答」
 苦笑交じりにムイが答える。

 立ち上がると、酸素がたりないと体中が疲労を訴える。力が入らず思わずよろけそうになったところを、必死で踏みとどまると興は立ち上がった。
 武器になりそうなものはもう無い。位置はこちらが低く、体力もいまだ向こうが勝っている。勝ち目は無い。
 けれど、これ以上小崎に迷惑を掛けたくはなかった。
「ああ、そうそう。豆知識をひとつ」
 いきなり場の空気を壊すような言葉をムイが放った。
「人間で一番強い筋肉は、顎だそうだ」
「……顎か」
「最近の子供は顎が弱い、という話だけど……鍛えてないといういみではどこの筋肉もかわらないだろうね」
 ああ、自分は最低な事を言っている。ムイは笑いながら、胃の中に溜まるどす黒い自己嫌悪の塊を飲み下す。
「早くしないと、朝弓が来る。入れ違いになるわけには行かなかったが、ココまで来させれば彼女が無事で済むとは思えない」
「……わかってる」
「なにごちゃごちゃいってんだよ!」
 上から踏み下ろすようなけりが降ってきた。
 思わす両手を前に差し出してソレを受け止める興。だが、足場が悪く足の勢いを止めきれずに体制を崩された。
「まぁ、動かす部位でいえば足、単に力だけで言うなら舌だったりするんだけど。ああ、女性はね」
 後ろで淡々と豆知識を披露するムイを優男はいぶかしげな目でみる。と、優男をみてムイは笑った。そして手を自分の下腹部辺りに当てる。
「子宮らしいぞ」
「……てめぇ!」
 いまさら馬鹿にされたと気がついた優男は、興を無視してムイへと飛び掛った。
「いや、ホントだ。私も調べたことはないのだけど」
 飛び降りながら蹴りを放つ男の足を、一歩引くだけでムイはよける。
「でもまぁ、子宮じゃ相手をどうこうできないなぁ。あ、いや。どうこうはできるか? ははははははは!」
 笑う。
「てめぇえええええええええ!」
 我を忘れ飛び掛る優男の背後で影が揺れた。
「お前、どっちむいてんだ」
 ぼそっと、呟く言葉はあまりに異様で、男の動きが止まる。
 背中から興の顔がぬっと出てきたのをムイは見た。彼女は目をそらさない。しかしもう笑ってはいなかった。
「があ!」
 悲鳴とうめきのような声が漏れる。肩口に噛み付いた興は、そのまま食いちぎる勢いで男の肩口の肉を噛み切った。
 口の中に、血の味と……多分人が味わってはいけない味がした。しかしそれはすぐに口のなかで霧散、味すらきえさった。
「ぐ、きさま!」
 興の頭を振り払おうと男が手を伸ばす。その手に興はさらに噛み付いた。あまりにも凄惨な光景だった。まるで獣のようにしかみえない興を、ムイは無表情て見続ける。まるで自分に責任があるかのように、じっと目をそらさずに。
「ぎゃあああああ!」
 振り払い、千切れた部分をかばうように男が退く。一瞬、手そのもが霧散しかかったのをムイは見た。
「へぇ、なるほど。そうか、そういうことか」
「……」
 ムイの言葉に男は苦しげな表情を向けた。
「お前たちは、形を保てないと存在できないのか。人間が君たちの観測者、というわけだ」
「……」
「……いや、違うか。ならこんな人がいない観測されない場所に拠点は構えない、かな」
 ふむと、うつむき考え始めるムイ。口の中のこった感触を吐き出そうと苛立たしげに興がため息をつく。

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