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連載小説:039

039:log
 口の中に広がったのは鉄錆の匂いのする血の味と、臭い脂肪の臭い。しかしソレも一瞬で、すぐに味も匂いも消えてなくなった。残ったのは、肉を噛み切るあまりにもおぞましい感覚だけだった。
 思わず興はえづく。胃からこみ上げてくる嘔吐感を必死で飲み込むと、ムイにばかり注意を向けている優男の背中を見た。
 あまりにも無防備。今までとはまるで違う無防備さ加減に、思わず首をかしげる。そしてただじっとソレはムイの言葉に耳を傾けていた。極力無表情に、極力無反応に。

 ムイと優男は向き合ったまま動かない。
「一体、お前たちは何だ」
「……」
「はじめは世界の垢程度だとおもっていたが、君のような高密度な存在がいる説明にはならない。間違いなく君のそれは、その他の何倍もの密度をもってるが」
「知ったところで何も変らない。教えたところで何も変らない」
「それはそうだね、ああ、間違い無い。でも、私が判らないというのは」
 すっと、ムイは目を細め優男をねめつける。
「とても不愉快だ」
 顔面を蹴り飛ばす勢いで足が振り上げられた。背が高くないムイの蹴りは、階段の上にいる男の顔どころか胸にもとどかない。が、彼女は体ごと飛び上がりそのまま体を回しながら優男の顔面を蹴り上げる。
 自分の真上を人間が飛んでいくというとんでもない経験を興は味わった。思ったより空圧がすごい。思わずよろめき、次に急いで彼は飛んでいった優男の姿を探した。
「大丈夫、壊していない。これは、美甘・興。君がやらなければいけない仕事だ」
 無言で頷き階段を登っていく。一階へつづく扉の傍に、すでに優男の面構えを崩したソレが床に崩れ落ちていた。
「ぐ……う」
「なぜ小崎を狙う」
「……」
「なぜこんなことをするんだ」
「食物連鎖の頂点に立つやつらにはわからない。だから、死ね!」
 隠し持っていた小型のナイフを振り上げると、優男は一気に興との距離をつめた。興にとって幸運だったのは、口の中に広がる嫌悪感と胃からこみ上げる嘔吐感のおかげで相手の動きにだけ集中できたことだった。
 視線に殺気をみなぎらせ、いつ飛び出してもおかしくない優男の姿は、たとえしっかりと動きが見えなくても予想通りだった。
 しゃがんだ状態から、一気に前に踏み出す足。拳を振り上げるが、それは体重移動につかうブラフ。本命のナイフを掴んだ腕は視界の外側を回りこむように大振りで、狙うのは興の目。
 ゆっくりと一歩。相手が動き出すのと同時に体をずらした。双方とも体捌きすらまともにできないものどうし、予想があたったものの勝ちだった。
 振り下ろした銀閃は、風だけをきり勢いでたたらを踏む優男。
 冷ややかな目でソレをみていた興は、ふと片足でふらふらとしている男の足を力いっぱい蹴り飛ばした。
「ぐあ!」
 悲鳴をあげ、階段から落ちていく男。顔面から滑るようにして階段をくだりきった。跡を残すように赤い血が階段についていたがすぐにまたその形も色も失って元に戻る。
 そんな不思議なはずの光景をみても、興はなにもおもえなかった。ただ、地下一階へと続く階段の踊り場に無様に転がった姿が、かえるのようだな等と愚にもつかない考えで男を見下ろしている。
 ふらりと興は階段を飛んだ。風を切る音が耳に届く、体が支えをなくし不安に彩られ始めたと同時、踊り場に着地。が、ねらった着地点の足場が悪く、足を滑らせた。
「とと……」
「なかなかエグイことをする」
「ふつうに壊れないなら、勢いでもつけないと」
 淡々と言ってのける彼の足元には、踏みつけられ首をあらぬ方向へまげた優男だった物が転がっていた。
「足、挫いたかな……」
「ずいぶんと暢気だな」
「吐きそうで余裕が無いだけ」
 そういうと、興はふらふらと階段を登っていく。後ろを追いかけるようにムイもまた階段を登り始めた。一度彼女は踊り場を振り返った。蛙の死体のような男の死体が一つ。
 閉まりだす扉に手をかけ、ムイはその死体から目をそらすとそのまま一階へと歩き出した。

 外の空気は次第に湿気から開放される代わりに熱を持ち始めていく。
 いまだ外が夏なのだと、思い知らされる。地下の湿気とはまるで逆ベクトルの肌にまとわり付く湿気が肺にまでしみこんできて、興は一度服をずらす。ふとおもいだす、夕暮れどきに捕まえられたのだと。
「昼……そうか一日たってたのか」
「あんな狭いところで、良く寝れるな」
「気絶してたんだよ」
「なるほどね」
 廃ビルの一階は思ったよりしっかりと出来上がっていた。電気まではとおっていないし、窓ガラスは入っていない物の、内装はほとんど完成といっていいほどである。
「小崎は?」
「タイミングてきには、そろそろだ」
 そういって、ムイは出入り口の辺りを指差す。廃ビルの周りは、入り口から見るにかぎり何もなかった。遠く、建設中のビルを覆い隠すような仕切りの向こうが見える。
 じっとそのあたりを興がみていると、風ではない揺れ方をする仕切りが一つ。ゆっくりと開いていった。
「小崎……」
 小柄で、遠くから見ればいやがおうにも彼女の細くきめ細かい髪の毛が目立つ。これほどまで遠くはなれれば、まるで銀色に見えるその髪の毛はあまりにもまぶしかった。
「興!」
 ムイは気を利かせたのか、するすると興から離れビルの外へと出て行く。
 小崎によばれ興はすっと前へ歩き出す。まるで意志のない反射のようだ。
「大丈夫?」
 目の前まできて、ムイの存在に気づいた小崎は、ぐっと足を止めた。それをみてムイは、目をそらし口もをと引き上げる。きっと、飛びつきたかったのだろう。自分が居た手前遠慮してしまった小崎の姿に、思わず笑いがこみ上げてきた。
「あ、ああ……」
「よかった」
 どこかでせみの鳴く声が聞こえる。誰も居ない工事現場の垂れ幕が、寂しそうに揺れた。

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