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番外02「また会う日まで」

 挿絵はNEOROSIのMyu氏。いつもありがとう。
 


 まだ、私の歯車は回っていた。

 遠く地平線の彼方に、歯車が横たわっていた。昔、ゆっくりとその歯車が回っていたなんてもう誰も信じないかもしれない。
 どこまでも広がっていそうな草原に、強い風が吹いている。
 空にあいた大穴は黒くぽっかりとその口を開け、まるで草原を見下ろすようにしてたたずんでいる。世界を守るはずの大天蓋にはそんな穴が開いている。おかげで、世界には風がやまなくなった。
「めくれ放題だな」
 黒髪を風に流し、真っ黒なメイド服を揺らしてススキがつぶやいた。
 暇そうにそばでアサガオが動きを止めた歯車を眺めている。その後ろで、アサガオの真っ白な髪の毛をいじっているスモモがうれしそうに鼻歌を歌っていた。


 視界を巡らせれば、逆側には何がおもしろいのかススキと同じポーズで胸をはって空を見上げているシュンランとフィリフェラがいる。その二人の横で、あたまを抱えているのはフウランだ。さっきめくれあがったスカートの腹いせに、殴られたらしい。
 ススキは片手に竹箒、あいた片手は腰に、ひらひらのスカートをそのままにして仁王立ち。横には二人のお供を伴い、胸をはって空を見上げているものの、
「ゆれんけどなぁ」
 誰の胸もない。
 声の主にススキが振り返った。
「じじぃ」
「セクハラです!」
「変態!」
 干物のような老人がログハウスの窓から、さっさと顔を引っ込めると家の奥へと逃げていくのが見える。
「うははははー」
「ウンジン!! まちやがれ!」
 飛び込むように家に飛び込んだ瞬間だった。
 木造のちゃちな小屋だったはずの視界に、あり得ないものが見えた。
 ――霧!?
 白く煙る視界。思わず口と鼻を服で覆うが、その鼻孔に臭ったのはツンとした刺激臭。
 ――なんだ?
 知っている毒物の知識が頭の中でぐるぐると回り始める。即効性の毒ではない。体のの変調もなければ、視界も意識も今のところはっきりしている。刺激臭はしたが、記憶にある毒物のどれともすこしずれている気がする。
「ほほほ。前のようにはいかんて」
 ウンジンの捨て台詞に反応はせず、ススキは必死で記憶を探る。
 ある程度の数の毒は記憶しているが……。
 ――マニアックなのまで臭いでわかるほどじゃねぇし、臭いだけでわからないのが多すぎる。
 肌に触れているだけで危険な可能性もあると、ススキは一歩さがる。目に染みるところから、間違いなくそれが体にいいものではないと悟るが、やはり記憶に思い当たりはない。
「ジジィ……。次は完全乾燥してやる」
 いいながら、霧から離れるようにまた一歩下がるススキ。
「姉様、危ないですっ」
「なんすか? どうしま……なんスかこれ? 毒?
「え? 毒 ほんと? すっちゃったぁ。 どうしよう……」
「どうしましたの? スモモさん」
「なんの霧?」
「姉様すってはいけません!」
「これ……」
「やだぁ……え、死んじゃう? 死んじゃうの? ねぇ、アサガオちゃん、毒なの? 死んじゃうの?」
「シュンラン、フウラン、とりあえず後ろに。いま変態を追うのはよしましょう」
「おまえら、落ち着け!」
 めちゃくちゃだった。顔見知りの五人は、それぞれ好き勝手に暴れている。
 思わず突っ込んだとき、霧を大量に吸い込んでしまったススキは思わず咳き込む。
「ごほっ! がはっ!」
 ――やべぇ……。くそ、あの馬鹿干物っ!
 呼吸もままならず、とにかく野次馬五人を外に出そうと、手振りだけで家から追い出す。
「わわっ、押さないで。ちょっと……あっ」
「きゃぁ!」
 足を床の突起にひっかけバランスを崩したシュンランが倒れて、それにつられて真後ろにいたスモモが尻餅をついた。スモモの横にいたアサガオがスモモに手を伸ばそうとして、前にいたフウランの足を踏む。
「わっ、と」
「った!」

 目の前で四人がドミノ倒しに倒れるのをみながら、フィリフェラが一歩をさがってくずれいく四人を見下ろしている。
「あらら」
「どあぁぁぁぁ!」
 下がろうとして、後ろの五人を避けようとむりな体制をとったススキもまた倒れていく。
 結局、フィリフェラ以外の全員が家の入り口の前でなすすべもなく倒れていった。あくまで自業自得だったが。
「あああああああああ」


 結局、霧は毒ではなかったのか、未だに全員が全員健在ではあった。
 だがとうぜんなんでもないわけがない。
「これ……アルコールっすね」
 アルビノの真っ白なほほを、心配になるほど赤くそめたアサガオが焦点の合わない目でつぶやく。
「お酒ぇ?」
「姉様、大丈夫、ですか?」
「全く、この程度のお酒で酔うとは、はしたない」
「ごめんなさい……姉様」
 とくにかわりのないフィリフェラとスモモはべつとして、ほかの三人は驚くほど赤くほほを染めている。
 とくにアサガオとシュンランはアルビノということもあり、ほとんど色素のない頬の皮膚をすかして血の色が浮き上がっている。
「アサガオちゃん、顔まっかだよぉ。リンゴみたい」
 ゆらりと、怪しげに伸びた手はスモモの手だった。冷たいと、思わずアサガオは驚くが自分があつくなっているのだと一呼吸置いて理解する。
「んー、酩酊してるかって自分じゃわかんないもんっすね……」
「ったく、あのじじぃ」
 ススキが起き上がりめんどくさそうにため息をついた。
 ほとんどすっていない自分も、軽く頭の奥がずきずきと痛む。かなりの濃度だったのだろう、アルコールはいまだ微かに風に混ざって独特の臭いをまき散らしている。鼻や目などの粘膜が直接アルコールにふれて血管拡張されいるのがわかる。きっといま自分の顔をみたら、真っ赤な目をしているだろう。
 ――うえ……酒は飲むに限るな……。
 無理矢理酔うだけ酔わされた気分に、ススキは顔をしかめて立ち上がった。すでに霧は晴れ、家の中が見渡せるようになっている。
「とりあえず、あのセクハラ干物をとっつかまえましょう」
 フィリフェラがシュンランに手を伸ばしながら言う。
 ようやく皆我を取り戻し始めたのか、なんとか格好だけでもと立ち上がり始めた。
「ウンジン様、捕まえてどうするの?」
 スモモの素朴な疑問に、シュンランはふと我に返ったのか首をかしげ、真逆にフィリフェラは当然だとばかりに顔を赤くする。
「侮辱されて黙っていては、名折れですっ!」
「あー、スモモちゃんにはわからない悩みっスよ」
「えー? なにそれ。私仲間外れなの?」
「そうですわ、スモモさんにはきっと一生ご縁のない話ですっ! ほっといてください」
 語調を荒げ、フィリフェラがきんきんとわめくが、ほかの誰もがついてきていない。
「私も関係ないっス」
 フウランはこっそりと女陣を眺めて一人品評会にはいる。
 一番はだれがどうみてもスモモだ。最近また一段と大きくなった。といっても年相応であって取りただすほどのものではない。周りが周りだけに目立つといえば目立つのだけれど。生まれも育ちも普通、ススキの弟子ではあるものの一番式術のへたな本当に普通の女の子だからこそ、やはり大きさも普通なのだろう。ただ普通と評価すると、あたりから総スカンを食らうのは間違いがない。
 ――だいたい、お城にはもっとすごい人多いし……。
 二番目はシュンランだ。スモモよりは控えめな大きさではあるものの、問題視するようなものではないとフウランは思う。いつも一緒にいる分、本当の悩みがわからないところはあるが、もとより彼女はそんなことを気にするようなタイプではない。いまもなぜフィリフェラと一緒になって語気を荒くしているのか、フウランにはわからない。姉であり、フィリフェラの家に引き取られる前から似たような境遇で育ってきたにも関わらず、たまにシュンランはよくわからない行動をする。
 ――服より剣な人だしなぁ。
 三番目はアサガオだ。スモモと比べてしまうと、残念の一言になる。が、本人は全くこれっぽっちも気にしていないし、大きさも自覚している希有なタイプだった。くだらないと、鼻で笑い飛ばすわけでもないが、負い目としてもかんがえていない。アサガオの興味は、すでにそういうところからかけ離れているのかもしれない。もとよりフウランと同じアルビノでしかも親にいいように利用され続けた彼女だ、どこか超然としててもおかしいところはない。
 ――僕は、これぐらいのほうが控えめで……。
 四番目は、フィリフェラだった。誠に残念なその直線は、上手く言葉にできない。ないのかえぐれているのか、それともなにかそういう決まりなのか。あらたな物理法則とでもいうべきか。
 ともかく、みていられないほど酷いとはこのことだ。フウランは、思わず目を背ける。
 ――お母様の血を引いているはずなのに。
 遺伝子というものが存在しているのか、疑問視されそうなレベルである。養子であるシュンランとフウランの母であるカトレアはフィリフェラの実の母だ。ただほんの少しその事実が揺らいだ気がした。
 ふと、視線を感じてフウランは顔を上げる。
 みなの視線が痛かった。
「いえ、けして僕は皆様を評価できるような、そんな大それた人間ではありま……えーと。参りましたね。せめて、立っておくべきだったと。走って逃げる余裕はなぁぁぁぁぁぁ――」
 語尾は空遠くへとかすれて消えた。フウランの姿もまた、地平の彼方へと消えていく。
「さて、とりあえず奪われたプライドは取り戻すのが必然ですわ」
 フィリフェラが煙を上げる拳をひらひらとしながら言う。
「えー、ウンジン様もうどっかいっちゃったよー」
「スモモさん!」
「はいぃっ」
 スモモはフィリフェラの一括で、はじかれるように姿勢を正す。
 五人から一人ぬけた四人の集まりを、ススキはあきれた表情で見下ろしていた。相変わらずすぎて、逆に新鮮なぐらいだ。
「見つけましたよ、ウンジン様」
 声を上げたのはアサガオだった。なにやら彼女の周りに光る点と線が点滅したり移動したりしているのが見える。
「これなに?」
 シュンランが手を伸ばすが、点も線もただの光なのか触れられない。
「簡単な式術の固まり、かな? ちっちゃな式術を大量に起動させてるっス。最小単位はこの点。この点一つが、この『天球儀』のある程度区分けした範囲に対応するっす。んでこの線が走査中の区域の帯。定期的に『天球儀』全域を走査してるっス。んでこの点滅してるのが、大きな式術を使用してる区域。ここが私っす、んでこっちに四区画にわたって式術反応がでてるっす。あ、この薄い点滅がススキさんの家っス」
 感応式マップの仕組みだった。本来式術師であるなら、こんなまどろっこしいことをせずに、全域走査するだろう。アクティブソナーと同じ要領をつかえばいい。問題は反応を受け取るのは己だということだ。アルビノであるアサガオやフウランは、先天的に色がない。色がないということは、式術が反応しないということだ。色なしとはいったもので、どんな式術でもアルビノの彼女らを塗りつぶすことは不可能だ。つまり彼女らアルビノは式術をほとんど使えない。とくに己を基点にするようなたぐいの術はほぼ使えない。
 そこでアサガオが考え出したこの術だった。己を媒介にせず、空間と空間をつなぎ、感覚ではなく視覚で式術の結果を得る方式だ。
「ややこしい、式術ばっかつかうなおまえは」
 といいながら、ススキは興味津々にアサガオの式術をのぞき込む。
「ここ、ほら。移動してるっス」
 そういってアサガオが指した大きな光は、確かにゆっくりとだが走査線が走るたびに微かに反応を変えていた。
「こちらからみると、あちらの方角かしら?」
 フィリフェラが指すのは、地平線に突き刺さる大きな歯車。
「そうっすね」
「追いかけますわよ!」
 フィリフェラの号令下、皆が一斉に動き出した。


 結局、ウンジンはすぐに見つかった。
「まさか、あんなところにいるとは」
「正しく干物っすね」
「さすがに、ちょっと……」
 式術を使って隠れてはいるものの、どこからどうみてもウンジンだった。正確にいえば、ウンジンの形をした木が生えているというべきだろうか。確かに遠目からみれば、ほかの木に紛れることもあるだろう。だが、残念ながらここはただっぴろい草原だった。ぽつぽつとしか木はたっていない。もしも近づかれたらものの数秒で看破されるだろう。
「ジジィ……」
 さすがにやる気もなくなったのか、ススキがため息をつく。
「そういえば、薪が不足してませんでしたっけ」
 アサガオが皆を振り返って言う。
「ええ、そういえばそろそろ切り出して乾燥させないと、とおっしゃっておられました」
 すぐに反応したのはフィリフェラだ。
「そうなんだ、じゃぁこの木にしようっか。すぐに乾燥しそうだしね」
 さらっとスモモがえぐいことをいって、アサガオがうれしそうに口元を引き上げた。
 一人ついてきていないシュンランが、ふと弟のフウランはどこまで飛んだのかそんなことを考えている。と、ぽんと肩をたたかれシュンランは振り返った。
「じゃ、さくっときってくださいな」
「? はい、姉さま」
 よくわからなくても、姉の命令は彼女のなかで最優先事項である。
 シュンランは手を掲げ、いつも通りに剣を呼び出す。彼女の背丈をかるく超える大剣は、当然のように主のコマンドに反応し格納庫から飛び出した。一瞬にして音速を超え、圧縮された空気が水蒸気の雲の尾を引いてく。格納庫の警備兵が、隊長の剣が空に飛んでいったと腰を抜かしながら上司に報告したときには、すでに剣はシュンランの手に収まって湯気を立てていた。
「薪つくるのね?」
「そそ、さくっと根元からやっちゃってくださいっス」
 アサガオの言葉に、こくんとうなずき無造作にシュンランは剣を肩に担いだ。まるでおもさを感じさせない動きの向こう、老木が逃げようかこのままだまし通そうか二択に体を震わせていた。切り倒されるか、集団リンチを受けるか。
「……」
 あきらめたのか、このまま刈り取られようと、せめてさくっといってくれとばかりに木は動かなくなる。
「さらば、ジジィ」
 ススキのつぶやきを合図にしたように、剣が振り下ろされる。
「っ!」
 風切り音すらたてず大剣は振り切られた。地面から顔をだしていた草が揺れたぐらいで、もうそれ以外に剣が動いた形跡はのこっていなかった。
「おー、おみごとっす。さすがっすね。ほいじゃ、小屋までもってかえりましょうか」
 わかったとばかりに、シュンランが剣をはなしかわりに未だ倒れていない老木を持ち上げた。まるで置物の用に木は地面からはなれ、かるがるとシュンランの肩に担ぎ上げられる。
「さて、まいりましょう。丸太は薪にしないといけませんから」
 フィリフェラは先頭にたっていて、だれからも彼女の表情はわからなかった。ただ、間違ってもその顔を見たいと思う者はいなかった。

 小屋をまえに、数人の男が立っていた。雰囲気は焦りと不安に塗りつぶされている。彼らに見守られるように、小屋の壁にもたれかかっているのはフウランだった。腹部が破れ肌が露出している。未だ気絶し意識を回復していないのか、事情を聞けず周りの男達はおろおろとしたまま小屋をのぞいたりあたりを見回したりしていた。
「なにしてるんすかね? あれ中央の城の人じゃないっすか?」
「そうですわ。なにしてるのかしら。あら、フウランも」
「あ、私の部下だ。おーい、なにしてんの?」
 シュンランが丸太を担いだままぶんぶんと手を振る。
「隊長! 何しているのはあなたの方です! 格納庫から剣が飛び出したと報告があって、反応を追ってここまで来たんですよ。こちらの支部にも連絡がいっております、逃げ出されてもすぐに見つけますよ」
「あー」
 心底めんどくさそうに、シュンランは眉をひそめる。こちらに気がついたのか、フウランが腹を押さえながら顔を上げる。情けない弟の姿にシュンランが声をかける。
「おはよう、フウラン」
「姉様、おはようございます。……じゃなかった、今日はここまでのようです」
 当然だと鼻息荒くする兵士。
「お戻りください、隊長」
「王女も……いい加減こんなところで遊んでおられないで……」
 アサガオの背に隠れていたフィリフェラが舌打ちを一つ。
「あー、また今度っスね。薪割りは」
 アサガオがため息混じりに笑う。
「……戻りますわ、フウラン、シュンラン」
「はい、姉様」

 兵士達に囲まれて、フィリフェラ、シュンラン、フウランの三人が浮かない顔をしてる。
 ススキは無言でその三人を眺めていた。これは彼らが選んだ道だ。誰も文句を言うことはできない。
 手持ちぶさたにフィリフェラが銀色の髪をなでつけている。しかられた子供のようにうつむくシュンランと、苦笑いをしているフウラン。
「んじゃ、また。暇みつけて遊びにいくっス」
「ええ。薪割りはとっといてください」
「乾燥させておくッっスよ」
「アサガオ様――」
 割って入ったのは、一人の兵士。服装からみると、この兵士達の指揮者だろうか。
「……中央ならいかないっすよ。遊んでるときに邪魔される生活は、私にはできないっス。必要のない権利をもらって、義務をおしつけられるなんてまっぴらっス」
 とりつく島もない、とアサガオは右手をひらひらさせる。
 めくれあがった袖から、手首が顔をだす。それはアサガオの白い肌ではなかった。手首の間接部分から顔をだしてるのは、光を反射する銀色の玉。球体関節。
 フウランが手を伸ばし、アサガオの手首を隠した。
「……」
「さ、いくっス。また遊びましょう」
 右肩よりさき、彼女には腕がない。今うごいているのは、義手だ。フウランが必死で開発した式術を練り込んだ動く義手。式術近衛団の団長である彼の持つ権力と財力が作り上げた試作品だった。
「こんどは、手いがいもちゃんとしたやつ作りますから」
「……ありがとう」
 視線でフィリフェラが出発を促す。
 地面で転がっているウンジンが目を伏せ、スモモが寂しそうに笑っている。アサガオは無表情のまま三人を見つめていた。
 ススキは目をそらし、つまらなそうに空を見上げていた。
 瞬間移動を可能にする銀色の光が無音のまま広がっていくと、すぐにあたりは色を失い光に塗りつぶされる。まぶしそうに皆が目を細めるなか、大人数を移動させる銀色の式術が発動した。
 瞬きの後には、もう光は消えていた。残ったのは、なくなった空間を埋める空気の流れだけだった。
「もどるぞ」
 ススキのつぶやきが聞こえていないのか、アサガオはまだ消えた三人がいた場所を見つめている。
「おい、アサガ――」
 のばした手が、

 アサガオの肩をすり抜けた。

「……あぁ」
 そうだった。
 ――私は。
 ススキは己の手をみる。ゆっくりと感覚が戻ってくるのがわかる。
 うたかたの夢から覚める、そんな感覚だ。
「とっくに、私はここからいなくなってたんだ」
 視界が戻る。いや、意識がもどってくる。夢から覚める。

 ここは『天球儀』なんかじゃない。

 耳の奥に響いてくるのは重たい唸りだ。
「おはようございます。艦長」
 視線を向ければ、メイド服に身を包んだ女性が一人。
「ああ、おはようツバキ。それと戦争はとっくに終わった、船長とよべ」
「ユウ様と仲直りされたのですか? それに十分戦争と呼んで問題ないかと」
「ただのけんかだ。戦争じゃねぇよ」
 星間航宙艦”プルタブ”は、ゆっくりとその巨体を宇宙に漂わせている。広宙域連邦は勢力をひろげ、『天球儀』から唯一の生き残りとして登録されたススキは今も母親の下で働かされていた。むろん納得する訳のないススキが反旗を翻し、
「50万隻の戦闘艦と1千万隻の無人戦闘機をつかって、半径5メガパーセクの星という星を蒸発させるのは喧嘩とはいいません」
 全天ともいっていい大戦争が起こった。
「……すまん」
「仲直りされたのですか?」
「……すまん」
「総督府長は、また胃潰瘍で倒れたそうです。お見舞いはいかがいたしましょう」
「そうだな……」
 プルタブがゆっくりと、恒星も惑星も何もない宙域を漂っていく。遠く、ちかちかと揺れる光はどこか名も知らない恒星の光だ。塵の一つだってない空白地帯にも、恒星の光は届く。天覆うのは光の網だ。
「狭いなぁ」
 ススキのつぶやきに、ツバキは無言で昔のことを思い出していた。この大深淵たる宇宙を前に「ちいせぇ」とつまらなそうにつぶやいたススキの母親のことだ。
 ――親子なのですね。
 親子げんかはまだくすぶっている。この血族は、こんな世界ではまだ物足りないのだ。そう思うと、機械の体とコードの心が柄にもなく震える。
 まだ彼女たちは先の世界を見せてくれるかもしれない。
「次はどこへ? 艦長」
「久しぶりに、『天球儀』でもよってくかぁ……」
 ツバキは無言で了解の意を伝えると、プルタブがゆっくりと回頭を始めた。涙滴型よりも細くとがった紡錘型をしたプルタブの頭が『天球儀』のある方へと向く。静かに唸りを上げていたエンジンに本格的な火が入ると、艦がきしむ音が混ざり始めた。
「発進」
「了解」
 数秒後、その場所には光のかけらも残さず、プルタブの姿は消えていた。


 『天球儀』の夜は、静かだった。
 未だ過去の事件の名残が残る、穴の開いた天蓋から星の光が漏れている。
「アサガオちゃん、もどろ? 今日は、泊まってくんでしょ?」
「なんか……」
 三人が連れて行かれて、それからずっとアサガオは煮え切らない顔をしてウンジンのすむ小屋から外を眺めていた。
「どうしたの? ほら、晩ご飯できたよ」
 スモモはここのところずっとウンジン宅であるこの小屋で過ごしていた。ウンジンの世話と、式術の特訓という名目で家から逃げ出してきたのは、誰もが知るところだ。実のところ彼氏と喧嘩したのだと、風の噂はこの町外れのぼろ小屋まで十分とどいていた。
「なんか、今日ススキさんがいたような……」
「あー、うん。そうだね、なんか私も一緒に走り回ってた気が……。懐かしいね」
「いまなにやってんスかねぇ。ここからじゃ、宇宙のことは全然わかんないから」
「ひょっこり帰ってくるかもよ?」
「……そういうこと、いうと」
「え?」
「……うわぁ。なんかいやな予感が」
 ぽっかりと空いた穴から星が見えている。
 いや、見えていたはずだった。
「星が、消えてく」
「違うっす……」
 プルタブだ。真っ黒な船体をしかもまっすぐこちらに向かって突き進んできている。
「夜目が利くアルビノの目はこういうとき最悪っス」
「え? え? アサガオちゃん、顔真っ青だよ!」
「ははっ……」
 スピードを落とさない宇宙船の先端が、とんでもない速度大きくなっていくのがよく見えた。

 その日、ようやく修繕工事が始まった大天蓋の穴の工事は一時中断することになった。

 空から真っ黒な剣が差し込まれている。
 大地震かとおもわれた、次の日の朝。『天球儀』にはプルタブが刺さっていた。
 草原に吹き続けていた風がやんだ。
 世界中の誰もが、そのことに喜べず深いため息をついたという。
「いやー、すまんすまん。ここってビーコンねぇからさ」
 大笑いしながら、ススキが肩を揺らしている。

 久しぶりにメイド服を着られたのがうれしいのか、上機嫌の彼女は小屋の前で箒を振り回している。
「すみません。すみません。すみません」
 ひたすらウンジンと事態を収拾にきたフィリフェラに頭を下げ続けるツバキの声が、風のない空に申し訳なさそうに溶けていく。
「大丈夫、次はミスしないって」
 ススキの笑い声に、誰かがため息をついた。

 昔、崩れ落ちた歯車は動いていない。
 それでも世界は、ずっと動き続けていた。これからもきっと。



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