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今日の三題話

「山脈」「直進」「臨機応変」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 そう、似たような音を聞いたことがある。ヒサキは、暗く光の届かない部室の入り口を眺めながら思った。
 どこで聞いたのだろうか。口の中が胃液で荒れて気持ちが悪い。鼻の奥はまだツーンとしている。涙はもう流れていないが、目じりに涙の感覚が残っている。志茂居に運び出されて気絶したものの、すぐに目を覚ましたヒサキは廊下に背を預け座り込んでいた。顔を上げると、志茂居が歩き去っていく背中が見える。急いでいるのか志茂居は小走りで、肉が揺れているのが遠めにも判った。
 音はどこまでも続く。どこで聞いた音だったか。ヒサキは、半ば呆然とした頭の隅っこで思い起こそうとしていた。

「ああ、そうか台所」
 家で昼寝をしたときに目を覚ました感覚に似ていた。そう、親が台所でご飯を作っているときに聞いた音だ。水の音ではない。定期的でリズムのある音。でも、何かが足りない。そうだそうだ、ヒサキは一人納得する。まな板に当たる包丁の音がないのだ。そう、
 これでは、
 ただ、
 肉だけを切っている音じゃないか――
 
 瞬間、脳裏にあの白い固まりを鮮明に思い出した。
「うっ」
 せりあがるのは、吐き気。肉が切れる音が耳に届く。あまりに小さいが、頭の裏側にこびりつくような音。ああ、人間の肉も似たような音がするのか。
 思い至り、また胃が痙攣する。
「げえぇぇぇっ」
 けれど、既にはくものは無く出るのは搾り出される声と涎。
 ふ、と音が止まった。自分のうめき声で聞こえなくなったのかと、ヒサキは息を潜める。そして、潜めた後にあの音が聞きたかったのかと自分に驚く。どちらかといえばリズムを刻むように響きつづけていた音が、いきなり止まったことに対する疑問であるのだけど。
 口をあけていた扉が、音も立てずに閉まる。一瞬その闇の向こうに、ヒサキを心配そうに見つめているステラの顔が見えた。丸い音を立てて扉が閉まる。扉の窓からは光が漏れている。その違和感を頭の隅っこでくるくる回しながら、ヒサキは呆然と目の前を見つづけている。もう音は聞こえない。
 何度かフラッシュバックする記憶に、胃が痙攣する。しばらく肉は食えそうに無い。ヒサキは自嘲めいた笑いと共に涙を流す。鼻水も涙もお構いなしに、ヒサキはただ『卓球部』という看板が掲げられている扉を見上げている。扉の曇りガラスからは、光が漏れた。
 部室棟と縦に突き抜ける廊下は風のとおりが丁度良い。埃が舞い上がらない程度に、けれど肌には感じられる程度に。その風に揺られ、少しだけ体調を回復させたヒサキの耳に足音が届いた。その音に、ヒサキは顔を向ける。逆光になった部室棟の外から、コチラに向かって直進してくる人影が見えた。
 先ほど小走りに歩いていった、志茂居だろうか。それにしてはシルエットがスマートな気がする。ヒサキは、流石にこの状態は不味いと思い、口元を力任せに拭った。涙の跡までは、消せないなと、諦めそして近付いてくる足音に身構える。
「いよっ、後輩。ボロボロだなぁ」
 現れたのは、カズだった。軽薄な笑みを湛え、逆光にすける脱色された髪の毛が揺れている。何がそんなに楽しいのかと思うほどの笑顔だ。
「先輩……」
 カズは、ボロボロのヒサキを見下ろす。
「吐いたか。もう大丈夫か? それともトイレまでいくか?」
「いえ、もう大丈夫です」
 そうか、とカズは言いヒサキの横に腰を下ろす。タバコの匂いは未だにしたが、別にもうどうでもよかった。臭いと伝える気力もなかったが、どちらかと言うと志茂居が居なくなって心細かったというのもある。
 あの扉の向こうに居るはずの賀古井と沢村は、なぜか扉を挟んで永遠の距離を離れている。
「みたのか」
 カズが呟くように言う。目線は、合わせずただ扉の向こうを見ながら。ヒサキは、声に出さずゆっくりと頷いた。
「えぐいよな実際。俺も一年の頃見せられたときは吐いたよ。ああいうのは女の方が強いな、カゴメは真っ青だったけど、吐いては無かったし」
 カッコワリィよな、そうカズは言う。ヒサキは少しだけ親近感が沸いた先輩に、愛想笑い以外の笑いで相槌を打った。
「んで、どうする? 部活やめるか? 今ならなーんもない普通の人生が歩めるかもよ? もう見ちまったから完全に一緒ってわけじゃないだろうけどな」
「……」
 ヒサキは答えられなかった。あんなものが何で卓球部に居るのか解らなかったし、大体なんであんな物を相手に部活動とかいうレベルで何かをしてるのかも解らない。解らない事だらけだった。ただ、ヒサキには一つだけ解っていることがある。今、やめますと言えばきっと普通の日々が送れるということだ。
「安心しろ。知ったからといって黒服が来て、記憶操作されるってわけじゃないからよ。大体、今のこと言っても誰も信じてくれねぇよ。ただの頭の可哀相な人扱いされるのが、関の山だ」
 そういって自嘲めいて笑うカズの視線は、じっと扉の向こうを見ていた。ヒサキは思う、湯木先輩にはあの扉の向こうが闇に見えているのだろうと。それは、既に済んでいる土俵の差だ。大陸に連なる山脈の如し壁がそこにはある。ヒサキが見上げる扉についている曇りガラスには、部屋の中の光が見える。まるで、自分だけ光を浴び、湯木カズには光が届いていないような錯覚。隣に座っているのに、ヒサキだけが日向に居るようなそんな疎外感だった。
「事実逃げ出した部員つーのもいるんだ。アレを見てすぐに逃げ出したやつ、アレの意味を知って逃げ出したやつ、そして――」
 扉が開いた。扉の向こうはやはり闇。しかも光りがないという闇ではなく、まるで黒いゼリーのように、その奥は完全に何も見えない。黒いゼリーを掻き分けるように、賀古井と沢村が顔を出した。何事も無かったように、歩み寄ってくる。
「加賀ヒサキ、調子はどうだ? もう歩けるか?」
 いつもの物言いに、ヒサキは部室で見たものが夢だったのではないかとかんぐってしまう。沢村が後ろ手に閉じた扉からは、既に部室の中からの光が漏れている。
「は……い」
 答えることで精一杯だった。
「アレを見てやめていくものも居る、去るものは追わないが、加賀ヒサキは居てくれると信じているよ。あと、沢村ステラ」
 ヒサキは沢村に振り返る賀古井を見上げている。やめないと高を括っているのか、それとも興味が無いのかその姿からは解らない。
「もう少し、臨機応変に対応するように。沢村ステラの世界を切り捨てるスタンスについて、どうこう言うつもりは無いが他人どころか、沢村ステラ本人にまで害が及ぶようなら考え物だ」
「はい」
 まるで解っていないような興味の無い返答。だが、賀古井は別にそれをどうこう言うつもりはないらしい。
「あの……」
 ヒサキは、どうしても聞かなければならないと、体を上げ賀古井を見上げる。
「うん?」
「アレは……なんですか?」
 その問いに答えたのは、風だった。一瞬、鉄錆びのような匂いがする。いや、もっと近い匂いがある。そう、血の匂い。
 一拍をおき、賀古井はポケットから銀と赤に光を反射する長細いものを取り出した。
「アレは、人間だよ加賀ヒサキ」
 ナイフから血の滴が廊下一つ落ちた。



 もうすぐ80000hit。良くここまでいったなぁ。
 4/1に8万ヒット行けば、最高にネタだと思うけど旨くいかんでしょうな。
 エイプリルフールネタなんて、いまどき流行りませんよ!

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