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今日の三題話

■連載中のlog
「戦士」「激しい」「胸」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 無機質なコンクリと冷たいリノリウム、樹脂に覆われる扉と防音ガラス。角の取れた木の手すり、光量よりも長持ちを優先させた電灯。死臭を消すための消毒液の匂いに血の匂いを隠すための布の匂い。どこまで行っても無表情な病院に、ノイズのような叫び声が響いた。
 足を小刻みに、歩幅を狭く。ヒサキは、速度を落としていく。靴下で走るリノリウムの床は、取っ掛かりも無く滑りに滑る。
 声の方向は、壁と床に邪魔されて意外と近そうだということ以外判りはしなかった。

 滑る足を何とか止めながら、ヒサキはあたりを見回す。周りに白い人は居ない、視線を巡らせながら、大体のあたりをつけて歩き出す。多分、この方向から聞こえた……。
 ヒサキの足取りはしっかりとしていたが、腰がひけていて情けないことこの上ない。アレだけのことがあって、すぐだから仕方ないといえば仕方ないのだけれど。
 動悸と呼吸のリズムが上げ、激しい緊張はそのまま疲労となってヒサキの両肩にのしかかり始める。走って逃げろ、という部長の言葉が頭の中で何度もリピートされている。ヒサキもそのとおりだとおもう、だがそれに反し体は声をした場所を突き止めようと彷徨っていた。
 動悸の激しさに胸が痛い。呼吸の激しさに目が回る。それでも足だけは、静かに音が出たところを探して踏み出していた。
「ハッ……ハッハッ……」
 叫び声がした後から、またあたりは静まり返っている。そのせいで自分の荒い呼吸がやけに耳についた。すっ、と背中に気配を感じて振り返ると、
「ひっ……」
 そこに白いアレが在った。人だというが、やはりどう見ても人型であって人ではない。靄のように向こうが少し透けてるくせに、肉感がある。いつの間に現れたのか、後一歩後ろを歩いていたら、体の中に入り込んだのだろうか。内臓を抉られ体中を引きちぎられる自分を想像して、ヒサキは後ずさる。見てはいけないといえど、目の前に白いのが居るのだから視界に入るのは仕方がない。恐怖に取り込まれた目は、その白いものから視線を外せないでいる。
 腹の中で、虫が這いずり回っている。食道から外へ―――
 錯覚だ。
 吐き気は具体的な想像になって、ヒサキの胃を痙攣させる。必死で背を向け、ヒサキは走り出そうと足に力をこめる。
「うっ……」
 口元を抑えながら、ヒサキは走り出す。
 体中から嫌な汗が出続けている。服が張り付いて気持ちが悪い。ヒサキはそれを振り払うように足を速める。
 速度に集中すれば吐き気を忘れられる、そう信じているかのようにヒサキは必死で走りつづけている。ロビーへの案内板を、視界に認めヒサキは一瞬弛緩する。
 一気に視界が開けた。暗闇に、輪郭を滲ませながら佇むのは茶色い合成皮の長いすだ。鉄色の足にほんの少しの光を反射させ、懸命に自己主張をしている。
 天井で、どんなときも光を消さない非常口案内のライトが暗闇に溶け込んでいた。
「だれ? 誰か居るの?」
 声に体が弾かれたように、ヒサキは声の下方向をみやった。
 長いすの隙間に隠れるように、小さな体が見え隠れしている。震えているのが、遠くからでも判るぐらいその背中は揺れている。丸まった体を、それでもなお小さくしようと試みるその姿は小動物のようであった。
 ヒサキはそれに近付くようにゆっくりと足を進める。動きを止め、ヒサキは自分の息が上がっているのを自覚した。自覚した瞬間、体中を襲うのは疲労感。
 少しずつ、声の主が見えてくる。服装は、寝巻き。入院患者だろうか? 闇になお明るい薄いピンク色の寝巻きは、遠めに見てもふかふかのタオル生地のようだ。
「大丈夫?」
 声を絞り出すと、はじかれるように顔を上げる。
 小学生ぐらいだろうか。暗闇でよく見えないが、髪の毛は長く今にも折れそうな体をしている。表情もわからないが、彼女の緊張だけはそれでも伝わってきていた。
「……だれ?」
 落ち着いて聞かなくても、女の子らしい声。ただし、敵意と不安と恐怖の入り混じった人を寄せ付けない声。暗闇でなお、自己主張するその声にヒサキは一瞬たじろぐ。
「……」
 返事が出来なかった。助けに来た、なんていえなかった。自分が助けて欲しいぐらいだというのに、助けに来たよなどといえるわけは無かった。言葉につまり、連動するようにヒサキの足も止まる。手を差し伸べれれば、良かったのに。自分は、正義の味方でも、勇敢な戦士でもない。それを思い知らされただけだった。
「だれ?」
 幾分、落ち着きを取り戻した言葉がヒサキの耳を打つ。「一緒に逃げよう」そう、言葉を発しようとした瞬間。
 ヒサキと、女の子の間に白い人が立っていた。
 視界を遮られる形で、白い人がゆらりと目の前に立ちはだかっている。少し透けてる姿の向こう、なぜか暗闇で見えるはずの無い向こう。
 ヒサキは、うずくまり恐怖に歪んだ女の子の顔を見た。
 
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
「うわぁっ!」
 既に嫌悪なんて物よりも、驚愕と恐怖に彩られた叫び声が上がる。
 尻餅を突いた視界に、聳え立つように映る長いす。ヒサキははいずるようにその場から離れていく。
 僕は正義の味方なんかなれやしない。
 ずるずると下がりながら、距離をとる。白い人は、ただじっとその場に佇んでいるだけだというのに、掻き毟るような恐怖がヒサキの襲う。
「いやぁぁ! こないで!」
 その叫び声に、白い人が反応するようにゆらりと震えた。まるで一時停止していたビデオがいきなり再生されるように、全く溜めも躊躇いも何もなく、そのままふっと、
 ヒサキを見た―――

 白い靄の癖に、なぜか顔がどこにあるかわかる。どういう表情をしてるか見えないくせに、なぜか理解できる。目玉から脳みそに直接叩き込まれるような恐怖は一瞬にして思考を蒸発させた。
「ひっ……あっ」
 気がつけば立ち上がっていた。滑る足を何度も床にたたきつけ、ヒサキは体を進ませようと必死になる。
 滑った感触と同時、膝に強烈な衝撃を受ける。だが、もうヒサキには痛みを感じている暇は無かった。
「うああぁぁぁ!」
 何度も手をついて、必死で体を起こそうとする。そのたび、足を滑らせ膝や手を床に打ち付けることになるというのに、止めようとはしなかった。何度目になるか、本人すら覚えられないほどにすべり、やっとの思いでヒサキは上体を起こす。
 壁に手をつき、ふらふらになりながら、ヒサキはすぐに走り出した。空回りする足を必死で押さえつけながら、ヒサキは走る。
「いやあぁぁぁ!」
 背中から、聞こえる声なんかに耳を貸している暇なんか無かった。

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