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連載小説:045

045:log
 興が勢い良くあけた扉が、ほんの少しだけ軋み金属のこすれる音が部屋に響いた。
 あとにのこったのは、ムイのため息と興の遠のく足音だけだ。
「さてと、馬鹿を追いかけないと」
「待ちたマえ」
 歩き出そうとしたムイの背に、白衣をきた男の言葉が飛ぶ。先ほどまでとは打って変わって底冷えするような語調に、ムイは舌打ちを一つ。
「見逃ス、と思ってたのか? さすがに舐めすぎじゃないノかね」
 ぎし、と椅子の背もたれに体をあづけ、男は呟く。
「なんのはなしだ」
「あくまでしらを切るというのなら、別に構わない。それとも言い訳があるカい?」
「お前が言い訳を信じるとはおもえないが?」
 苦笑まじりにムイがいうと、男もそれはそうだと、笑いをかみ殺しながら呟いた。
「ではこれで、契約は反故された。今すぐ、この基底から消えたまえ」

「ことわる。あれは同意の上だ」
「本来の意味を彼が理解しているトは思えない。先ほドも、全くわかっていないという顔だったじゃないか」
「そうでもしなければ、死んでいた。朝弓の安全を考えれば、適切な判断だと思っている」
「ユキ」
 返事もせず、男はメイドの名前を呟く。
「めんどくさいな、お前は」
「君は、他のものたチと違い人間を喰べないという言葉を信じ、それの約束が守られる限り私は君に手を出さず協力関係を結ぶという契約だ。信用が無くなれば、契約は破棄されてしかるベキだとおもうわケだが」
「だからそれは――」
 仕方なくだろうがなんだろうが、信用をうらぎったのは間違いない。そのことはムイも承知していた。信用に例外はない。だからこその信用である。例外をみとめれば、つぎからはその例外の可能性を考えなければ行けなくなる。すでにそれは信用ではなくて妥協だ。
「残念なのは、私もダ。君のおかげでユキは完成をみたわケだし、あそこまで成長するにいたった。君は間違いなく申し分ない天才だと、私はみとめていル。全くもってざんねんだ、ボクは、君のような頭脳にはとても寛大なんだ。死ぬ前にせめて弔いの黙祷をささげてあげヨう。さようならダ、物理法則すら思い通りにしていた、今は無き基底の最後の魔法使い」
「わたしは、最後じゃない!」
 手元にあった椅子を持ち上げると、ムイは力いっぱいそれを投げた。回転もせず、とんでもない速度で飛んだ椅子は、しかし男の目の前で止まる。
「ユキ。できるだけ苦しませないデやれ」
 無言のまま、ユキとよばれたメイドが男の前で椅子を掴んだままたっていた。何時現れたのか、どうやってきたのかすら誰も知覚していない。ただ、間違いなくメイドはそこにいて、ムイを無表情のまま見つめていた。
「まったく、興のめんどうみないといけないのに」
 逃げ出せないと悟ったのか、ムイはゆっくりと二人に向き直ると深く息を吐いた。
「朝弓の安全は?」
「抜かり無イ。彼の右腕を食べたとき、そのときからこうなると判っテいたんだろう? 気にしなクて良い、契約の破棄さ先ほどだ。小崎・朝弓の受け入れはすでにすんだ後だ」
「そうか。ならば、けじめよう」
 同時床がえぐれるほどの爆音が轟く。

 廊下にも赤い光は絶え間なく瞬いており、まるで血管の中にでもいるんじゃないかといった様相だった。
 床に伝わる振動で、アレらがもう底まで来ているという気がした。這い上がるよう恐怖が体を満たしていくが、それと同時右腕にも力が入る。外部からの影響を受けづらい、まるで魔法の手がそこにある。
 同じような通路が永遠と続いている。帰り道も同じか、などと当たり前のことを考えながら興は坂道を走っていた。走ってみて判るがこの廊下は思ったより急勾配だ。一回転で一階分の高さを上下しなければならないのだから当然だろう。すぐに息が上がりからだが重くなったからこそ判るが、見た目にはそれほど坂になっているようにはおもえなかったし、歩いていた時は全く感じ取れなかった。
 錯覚でも利用してるのだろうか。首をひねったところで判らないのなら意味はない。上がった息を整えることもせず、興は前へ前へと走り続ける。



 鉄の軋みが警報にまざって聞こえている。椅子の背もたれをもったムイは、ぎりぎりと前へ進む。ソレを椅子の足をつかんで押さえ込もうとしているのはメイドだった。二人の力の拮抗で、椅子が軋みを上げているのだ。
「興様が、接敵されました。現在交戦中」
「意外と足が速いじゃないか、彼ハ」
「変種の存在を確認。興様が認識されました。存在確率変動波を観測、確定します。確定が完了しました。変種三個。通常種二十個――」
 状況を淡々と説明しながらも、メイドはムイが押す椅子を押しとどめている。ゆっくりではあるが押され気味な状況に全くあせりもせず、メイドは淡々と口を開きつづける。
「確率確定擬似観測機に通常とは異なるエラーを確認。予想通り、施設を利用されました。存在確率が通常より三割増しです。変種は前回観測した存在確率より一割増し、ほぼ一〇〇%に到達しています」
「完全同一存在を、世界がみとめタのか」
「いや、変種は興の観測を必要としなかった。あれらに同一存在はいない」
 ムイが口を挟む。が、そのてはやはり休まずに押し込まれている。椅子が悲鳴をあげ、金属がひしゃげていく音が聞こえる。
「興様だけでは、対応不可能と判断します。失礼します」
 ふっと、いきなりメイドが掻き消える。
 相手が居なくなり、椅子だけをもったムイがたたらを踏んだ。
「とと、……さて、ドクター都紙。君を守る盾はいなくなったわけだが」
「……」
 男の頬を冷や汗が伝っていく。そのまま深く腰掛けた格好で彼は乾いた笑いを浮かべると、
「さテさて、ムイ君。早くしないと興君が大変なことになっちゃうヨ?」
「調子の良い奴め」
「何のことだ。ボクは、朝弓君の調子を見てこないといけないんでね。失礼するよ」
「声が裏返ってるぞ」
 ムイのいやみに耳もかさず、男は乾いた笑いを繰り返しながらその場を去っていった。

 人数はざっと二十人以上だろうか。
 数も数えないまま興は影の群れに飛び込み、右腕を振るった。が、いつもとちがった感触に一瞬からだが躊躇する。いつもより、心なしかアレの抵抗がつよかったのだ。右腕だからだろうかと、次に左腕を振るったときには、いつもなら振りぬける拳が、途中でとまった。
「?」
 とはいえ、絶対的有利なのに変りはなく、疲れているからだと自己完結させると興は構わずに人の形をしたものたちを破壊しはじめる。
 だがその快進撃も長くつづかなかった。いきなり横殴りに吹き飛ばされ、興は地面を這う。
 泥と木の葉の上をすべり、木の根に頭をぶつけてとまった時には、目の前に三人の見慣れない人型がたっていた。
「アイツ一人だとおもったらさ」
「さすがに考えが甘いんじゃない?」
「それとも、諦めて特攻?」
 ニヤニヤとした笑みを張付けたそれは、間違いなくあの時興をさらったモノと同じものだった。
「……」
 何もいわないまま、地べたに伏した興は三人を見上げる。研究所はまだ警報が鳴り響き続けていた。

連載小説:044

044:log
 施術はもうすぐ終わる、そんなことを到着したそうそうに言われても意味がわからなかった。興は首をひねりながらも、ムイの後ろについて研究所の中を歩いている。
 なんだか外観より中が広いように思える不思議な研究所の中は、あまりにも静かで油と鉄とコンクリートの匂いだけが漂っていた。
 二人はどこまでも続く長い廊下を歩いている。緩やかに左側にカーブを描いている通路は、先が見えない。同じ作りのまま繰り返す廊下を、ずっと左曲がりに歩き続けているのだが、すでにかれこれ一〇分以上を歩き続けているきがした。いくら緩やかとはいえ、興の経験上このカーブであるのなら既に一回転しているきがするのだが、入ってきた通路は見えてきてはいない。
 まるで、いつのまにかにドーナッツの中を歩いているようなそんな錯覚にとらわれている。
 灰色の通路に、等間隔で存在する扉。控えめな間接照明は床を照らすのみで見通すための光ではない。どこまでも同じ景色が永遠と続いている。間違いなく外から見た研究所の大きさは超えているはずだった。

 あまりの繰り返しに眠くなり始めたころ、興は一瞬からだが傾ぐ感じを受けてたたらを踏んだ。
「とと」
 あやうく、前を歩くムイの背中に抱きつくところだったがソレをなんとか寸でのところでこらえる。
「大丈夫か? まだもう少し歩くんだが」
 目ざとく興の足音の変化を聞き取ったのか、ムイが振り返り笑った。なんだか失敗を見られたようでいやに恥ずかしい気分になった興は、ついと、顔を背けてべつにと呟いた。
 歩き出したムイの背中をおいかけ、興も慌てて一歩を踏み出す。と、そこで彼は違和感にきがついた。なんだか、目が回っているきがするのだ。同じ場所をぐるぐるまわってるからだろうか。
 興は首をかしげる。やはりおかしい。この場所はすでに一周以上しているはずだ。疑問というよりは恐怖にちかい感覚がこみあげてきて、興は立ち止まる。
「どうした?」
 振り返ったムイが、興をみあげていう。
「……ああ、そうか」
 興はつぶやき前に飛び跳ねる。目をつぶり、軽く前に。
 とん、と軽い音がして着地。
「下にむかってるのか、これ」
「良く気がついたな。あの博士は頭が変態でな。いつかこの場所で密室殺人が起きたときのためにトリックにつかえそうな仕掛けを建物の中にたくさんしかけてあるんだ。そら。見えてきた、あそこだ」
 ムイに指された扉をみる。他の扉と差は全くない。外に出たら確実に迷うだろう。
「もう、手術もおわってるだろう。そして、この建物はあいつ等がでてきやすい。早く朝弓を返してもらわないと」
「まじ?」
「まじだ」
 扉が開き、室内から明るい光がもれだしてくる。あまりの光量の差に興は思わず目をつぶった。



 真っ白な壁と真っ白な床、真っ白な天井に、白い照明。完全に統一されたあまりにもまぶしい部屋の中央には、白衣をきた一人の男がすわっていた。奥には大きなガラスが張られその奥に吹き抜けのような大きな部屋が見えている。しかしその部屋もまた白く、唯一の色彩はその博士の髪の毛の黒ばかり。
「ようこソ」
 微妙にイントネーションのおかしいしゃべり方で興たちを迎えたその博士は、座ったままこちらに視線を向けている。無精ひげと癖のある髪の毛が印象てきで、表情がみえない。
「どうも……」
「朝弓は? 急がないと位置を特定される。早く別の場所へ移動したい」
「そう焦らないでクれ。腹部の銃弾は思ったより形がかわっててね……これ、彼女に撃ち込まれる前に、人間の体かなにかを通過したダろう? おかげで結構内臓の損傷が激しい」
 思わず興は右胸に手を当てた。
「だから?」
「絶対安静。傷はなおしたが、内臓の代用は利かない。彼女に別の物を埋め込むわけにはいかないのは、君もしっているダろう?」
 座りたまえと、彼が指し示したさき、椅子が二つおいてあった。先ほどまでは無かったはずの場所に忽然と現れた椅子に一瞬驚きを覚えたが、建物のおかしな作りもあったせいか、興はすんなりと受け入れその椅子に座る。
「たしかに、転移する前に体に別の物を入れるのは避けたいが」
「なんのはなしだよ」
 眉をしかめた興をみて、ムイは今更きがついたように目を見開いてしまったというような表情をつくる。
「なんダ。何も教えてないのか」
「忘れてたんだ」
「美甘・興君。君は結構非現実的なことに首をつっこんでいるんだ。だから、信じるのも理解するのも期待してないので、聞き流しテくれ。いいかい? 彼女は始まりも終わりもない存在でね、というかそうさせられてしまったといったほうがいいか。世界の原因と結果の一本道から外れてしまったんダ」
 いきなりわけのわからないことをいわれ、興は無言で男をにらむ。が、彼は全くそれを意に介さず言葉を続けていく。
「彼女が、アレらを見分けられるのは、彼女がアレらを呼んでるからだ」
「意味が……」
「小崎・朝弓はこの先の時間、子供を身ごもル。そのときに、彼女は転移する大体三ヶ月ぐらいのはずだ」
「はぁ?」
「その子供を腹に抱えたまま、彼女は時間転移し、今からおよそ四十五年前にたどりつく。その子供はその時代で育ち、そして今から十七前に子供を生む」
「え? えーっと、小崎の孫がいま十七歳?」
「いやちガう、それが小崎・朝弓だ」
 頭が理解を放棄する瞬間を興はかんじた。なにをいってるのだ、逆に怒りが頭をもたげてくる。
「だから、理解しなくて良いし信じる必要もない。ともかく、彼女はこの先子供を身ごもる。時間にしてあと六、七年後だ。その子供は既にいまから四十五年前に生まれている。そして今から十七年前に子供をうんだ。それが小崎・朝弓だ」
「いみが……つまり、小崎はこの先自分の親を……」
「そう、いまから七年後ほどたてば、彼女は自分の親を身ごもル」
「えっと、じゃぁ、小崎の親は……」
「彼女の子供だ」
 目が回ったのか、それともあまりに突拍子も無い言葉に頭がついてこないのか。興は椅子にすわったまま頭をかかえ深いため息をついた。
「弾丸は間違いなく下腹部から体内に侵入している。弾丸の形が正常だったラ、間違いなく子宮へ一直線のコースで。しかし弾丸は何かに当たり変形しており、彼女の体の中で軌道をかえ内臓をえぐるにとどまっタ」
「思わず、因果の自然治癒を疑いたくなるな」
 ムイが呟く。
「むしろここまで作為的な結果をみると、アカシックレコードの存在すらボクは疑いたくなるネ。過去も未来も変えられない。正確にいえば、変えた未来もすでに用意された過去でしかない、選べるが自由ではないといったところかナ。まるで、ゲームの選択肢のようダね」
「だが、無数にあればそれは自由とかわらないだろう」
「しかしそこに決定的な結果と結論の帰結をもちえる存在があるとしたら?」
「無数にあるとおもっているのは、内側の存在のみ……か? 外に出れば思わず世界の選択しの少なさに愕然とするかもしれないな」
「なにいってんだよ、あんたら!」
 思わず椅子から立ち上がり、興が叫ぶ。
「美甘・興」
 ぴしゃりと、さえぎったのはムイだった。
「朝弓の存在は矛盾だらけのままこの世界にある。彼女の血縁は彼女が身ごもった時点で費えるし、彼女の祖先は書類でしかたどれない。彼女には始まりも終わりもない」
「それがなんで、アレとかんけいあるんだよ」
「彼女と彼女の子供は、たった二人で世界の矛盾を背負い込んだんだ。いや、背負い込まされた。世界は常に矛盾し続けている。どこかにほころびがでてくるんだ。聞いたことぐらいあるだろう、怪談や不思議な話しの類に、時間をとんだ話や、見たことの無い景色をみた人間の話しぐらい。あれは真実ではない。といっても、現実だ。世界は常に壊れそしてそれを修正している。そのなかで出てくる老廃物の捨てる場所がひつようなんだ。つまり、未来を見てしまった人間の話を嘘にしたり、過去からやってきたといいはる人間の言葉を虚言にするために必要な修正をする過程で出る、世界の垢だ。その捨て場はどこになると思う?
「垢? 生物なら排泄すんだろ」
 ぶっきらぼうに答えた興のことばに、ムイは満足したのか薄く笑みを浮かべる。
「そう、排泄するんだ。世界が溜め込んだ垢、つまりアレらは。本来存在しない確率ともいえるアレらは、彼女という捨て場にあつまる」
「人が捨て場って」
「あくまで存在確率を捨てるといういみだ、空間とか施設が必要なわけじゃない」
「わかんねーよ!」
「彼女は、世界が存在する上で必要なゴミ処理場だ。しかも永遠己の親を生み続けるという業を背負い、永久に同じ時間を繰り返す矛盾した存在なんだよ」
 ムイの言葉と同時だった。いきなり真っ白だった部屋が赤く染まる。照明がいきなり赤くなったのだろうか、上を見上げると天井までもが赤くそまっていた。
「時間切れのようだネ。早速かぎつけられた。すでにこの施設は取り囲まれたようだが」
「のんきだな、やっぱり選択はミスか」
「事情がわかる医療設備のあるばしょなんて、ここぐらいしかないダろう?」
「たしかに。興、でるぞ。眠れるお姫様を守るのは君の役目だろう?」
 ムイがいい終わるまえに、興は部屋を飛び出していた。

連載小説:043

043:log
 銃創を面倒なく見てくれる医者なんて、興は知らなかった。手をかけた携帯電話を掴み取られ、彼はそこでやっと気がつく。
 腹部を押さえ荒い息をしている小崎は、既に唇が青く一刻の猶予も無い状態に見えた。ずいぶんと落ち着き払っているように見えたムイは、一度だけ興と視線を合わせると意味ありげに笑いを浮かべ電話をかけはじめた。
 どこにかけているのか判らず、興は不安な時をただ小崎を抱いてすごす。
 手の中でたまに痛みに痙攣する小崎の体は、あまりにも不安定で、すぐにでも崩れ落ちそうな気がした。思わず、興は手を離しそうになる。力強く抱きしめてしまえば、そのまま折れてしまいそうで、けど掴んでなければどこかへ行ってしまいそうで、そのせめぎあいのなかで彼はただじっと震える小崎を腕の中に抱き続けていた。
 手の中で、人が死んでいく感覚というのは、高校生の彼にとってはあまりにもリアルで、あまりにも強烈な経験だったのだ。
 もしかしたら興のほうが顔色が悪い、ソレぐらいに怖気づいていた。
 ゆっくりと、しかし確実に小崎の体温は冷たくなっていく。荒い息は変らないが、少しずつ息を吸う量が少なくなり、浅くなってきている。
 身じろぎするときの体の力が、たしかによわまってきている。

 それは、着実に死へと向かう人間の体であり、そして己の主人なのだ。

 まだなのか、叫びだしたい気持ちを必死にこらえ興はじっと小崎を抱きかかえていた。電話をかけ終えてから、ムイはずっと背をむけて何かをまっている。そうしているうちにも、小崎の体温はじわじわと空気と同じ温度へと近づき始め、呼吸も痙攣なのか呼吸なのかわからない物に変り始めている。内臓の中にとどまってるであろう銃弾のことを考えると、むやみに傷口を押さえるわけにもいかず、何もできないままただ見下ろすしか方法がなかった。
「そう、あせるな。もうすぐだ」
 背を向けたまま、ムイが呟く。なにがもうすぐだ、こんなに待たされるならこの際拳銃のことは置いておいて、治療してくれる病院へ連れて行ったほうがマシだった。いくら拳銃を打ち込まれたとはいれ、こちらは銃を撃ったわけではないし、小崎は被害者だ。そして、警察沙汰になろうがなんだろうが、そのまえに治療はしてもらえたはずだ。
「お待たせ致しました」
 抑揚の無い平坦な声がいきなり背後からきこえ、興は危うく小崎を落としそうになる。
「小崎様をこちらへ」
 すっと、近づいてきた影に顔を向けると、一度バスで一緒になったメイドがたっていた。
 ゆっくりと彼女は興の前に回りこみ、小崎を受け取るとゆっくりと歩き出した。
「あ、あの」
「私たちは、別の道から行こう」
 慌てて追いかけようとした興の肩を掴みムイが呟いた。

 電車にのり、自分の町へ。そこから、タクシーを広い山のほうへとタクシーは進む。
「なぁ、どこにいくんだよ」
「多分この世界で一番施設が整ってる場所だ」
 はぐらかすような答えに、興は質問するのを諦める。
「……なぁ、この右手」
「その右手は、もう君のものじゃない。悪いが、片肺でもこうして元気でいられるのだから許してくれ」
「でも、思い通りに動くし、感覚も――」
 いきなり、右手がぐいと興の頭を叩いた。
「こういうことだ。わかったかな?」
 みると、ムイの右手が興の右手とおなじ格好をしていた。ぱたぱたと、右手を振られる。全く意志とは無関係に動く右腕は、あまりにも気持ち悪かった。
「うわあああああ!」
「騒ぐな」
「だって! 大体どうなってんだよ、なんだよこれ!」
「重ね合わせの状態をマクロ領域まで拡大している。それは私の右手であり、きみの右手だ」
「いみがわかんないんだけど」
「……一部限定の存在概念に対して、選択的な未来をこちらで強制的に一定の方向性を持たせ、擬似的にこちらの思い通りの未来を作り出している状態だ。もちろん、私はそのおかげで得をしてるし、君は損をしている。だが、君は命を救われた。コレは……一応等価の取引だとおもっている」
「……ガイネン? 未来?」
「そうか、君は馬鹿だったか」
 あけっぴろげにいわれ、興は眉をしかめムイをにらむ。
「しってるよ! あれだろ……えーっと量子論だっけか」
「……」
「ほら、えーっと、昔テレビでみたことあるんだ。えーと」
 昔科学特集のスペシャル番組で、時間だか空間だか、相対性理論だとかんあんだとか、そんなことをやっていた番組をみたことを必死で興は思い出そうとする。内容はわからなかったが、判りやすいように明示されたグラフやCGが綺麗だったことは覚えていた。
「えーっと……。光が波だとか粒だとか。粒だけど波だとか」
「それは、干渉波の話しだな。美甘・興。無理は良くない。ただ、あいつ等の存在もその右腕と似たような理屈で成り立ってる。だから知っておくのは損ではないとおもう。けど、君には理解できないだろう……たぶん……いや、きっと」
「いいから教えてくれよ」
「わかった。気がついてるとおもうが、私はここでは普通の状態で存在できるような立場じゃない。それはあいつらも同じだ。根本的なところでちがっているが、状況はとても似ている。私は色々と協力を得てこうしてココに存在してるが、あいつらはソレができない。存在を確定する方法がないのだ。そして、存在を確定させるには観測される必要がある。だから、あいつらは観測された時点で形を取る。つまり、その場にいておかしくないであろう存在の確率を借りて存在するんだ」
「……」
「何度君は母親や、友人の姿をとった者たちを壊したかしらないが、そのすべてはその場にいておかしくない状態だっただろう? 母親が学校で現れたことはないだろうし、親しくない学校の友人の姿で家に現れたこともないだろう?」
「たしかに」
「そこに存在する可能性がある。という確率をあいつらは最後のよりどころにして存在している。だから、存在量の高い君などが攻撃、いや触るだけで存在の確率は一瞬にして現実に引き戻される、そして、彼らは消える。形作れなくなった時点で、完全に霧散する」
「だから、顔とか崩れると一瞬できえるのか」
 ムイは興の言葉にうなづく。
「その君の右腕も大体同じだ。君のその場所に私の右腕が存在する確率というのは、多分永遠に〇に近いだろう。だけど、君が私に右腕を差し出したおかげで、ソレが可能になる。私は、君の右腕を食べた。この世界の存在確率を食べた。おかげで私はこの世界に存在でき、そして存在確率のなくなった君の右腕の空白に、私の右腕が『本当に』存在する確率を割り込ませた。アレらも私も、『本当に』この世界に存在する確率というのは〇だ。だが、居るかもしれない確率をあいつらは食べ、そこに存在する。いわば幽霊のようなものだ。私も同じようなものだが。だが、その右腕は違うぞ」
 ずいと、ムイが顔を寄せてくる。おもわず興は扉側に後ずさった。
「この世界に本当に存在している君の右腕がもっていた、存在する確率を食べた。つまり君の右腕の代わりに私の右腕が存在する確率が生まれた。いまはまだ、君の右腕と私の右腕の存在する確率は重ね合わせの状態で、君の意志でも右腕は動く。手淫もいくらでも好きにやっても問題ないぞ」
「……」
 一瞬何を言ってるか判らず興は硬直する。
「……なっ! てめぇ!」
「ははっ。だが、もし、君の存在が全部私に食われたら。覚えておけ、美甘・興。君の存在確率をすべて私に食われたら、君がこの世界に存在する確率は〇だ」
「……」
「その右腕は、あやふやな重ね合わせの状態にある。どれだけ観測してもその重ね合わせの状態は解除できない。存在確率が食べられたというのはそういうことだ。すでに存在があやふやだから、観測による影響はほぼ無いといっていい。絶対観測者でもいないかぎりにはね。かわりに、その右腕はドコまでも影響を受けない。拳銃の弾だろうが、ナイフだとうが、のこぎりもだ。この世界の存在だけでは君の右腕へ影響を与える方法がないのだ。とはいえ、くっついているからだのほうは別だ。押されればそのぶん動く。あくまでも、右腕その物の場合だけとかんがえておけ」
「……防御力があがったってことか」
「なんとも俗的な発言だが、そんなところだろうね」
 ムイはため息をついた。ちょうどタクシーは山の中へ。そして目の前に真っ白な建物が見えてきた。たしか、自分の町の町長がすんでるとかいう、研究所だ。

週刊

■ テーマ「傘」(ツキノツバサ | 小説のログ。)
 梅雨ですかな。雨はそれなりに好きですが、傘はいつも忘れます。

連載小説:042

042:log
 誰もが後悔した。誰もが自分以外への者達へ責任を感じた。罪を感じ贖罪を望んだのだ。あえて更なる罪をかぶることで贖罪とした者。ただひたすらに悔やみ、罪を背負い続けることで贖罪とした者。代償を払い贖罪としようとした者。
 唯一つ同じ思いがあったというのなら、それは間違いなく後悔に他ならない。ただ、その後悔をただ過去においてくるのではなく、それぞれに罪にむかって正面から向かい合ったことだけは確かだった。
 一人は許してくれと呟き、一人は助けてくれと願い、一人は助けると誓った。
 
 ――ひとつ? なにを?
「……右腕だ」
 ムイの呟きは、あまりにも悲痛だった。まるで、その言葉の先に裏の意味があるがソレを伝えられず、さらに伝えられないような、そんな苦しみだ。拳銃を突きつけられ、私は大丈夫と言わされてるような、そんな感じに聞こえた。
「右肺を打ち抜かれてる、右腕といってもそのあたりまでは君のものではなくなる」
 肺が無くなるのは困るな、興はあやふやで焦点の定まらない頭で考える。
「大丈夫だ、無くなるわけではない。上手くいけば怪我も治る」
 ――願ったり叶ったりじゃないか。
 そしてだからこそ不安になる。そんなうまい話しが転がってると信じられるほど、興はのんきな性格でも人の言葉を鵜呑みにするタイプでもなかった。
「たしかに上手い話しはない。が、それ以上説明している時間が無い。マイナスはある、ソレは間違いないだが急げば、朝弓を病院に連れて行くことも可能だ。ショック症状は起こしてない、傷は比較的浅いとみていいが、まちがいなく内臓が傷ついている。急げば助かる」
 ――ならば、なんの問題もないじゃないか。
 当然のように言ってのけた興の言葉にムイは苦笑した。
「ずいぶんとまぁ……いやいい、急ごう。それが君の願いだろうから」
 一呼吸の間があった。ソレが多分、彼女にとって決断するために必要な時間だったのだろう。

「その右手は、私が頂く」

 一瞬だった。肺の中の空気が空っぽになるような衝撃で、意識が吹き飛ぶ。なにが、と疑問を思ったときには興の体は吹き飛んでいた。いやに体が軽いように思えて、それがなんとも心地悪い。まるで半身が吹き飛んだのかと思うほどで、思わず興は目をあけた。
 首の付け根あたりから右側のわき腹にかけてごっそりと感覚がない。右腕は言わずもがなで、まるで噛み切られたかのように右側の体の感覚がないのだ。
「うわあああああああ!」
 思わず叫び声をあげる。ほとんど半身といっていいほどの部分に感覚がないのだ、パニックにならないほうがおかしい。
 思わず左手で感覚のない右側の体を掴んだ。
「あ?」
 右手はあった。肩からたしかに手がはえ、呼吸で薄く上下する肩がそこにあった。が、感覚がない。麻酔でもうたれたかのように手が動かない。
「美甘・興」
 ぴしゃりと名前を呼ばれて興は動きを止めた。地面に這い蹲り右肩を抱きながら肩で荒い息をしてたが、興は落ち着きを取り戻す。ゆっくりと体を起こすと、あたりを確認しはじめる。
「……てめぇ、なにした」
 言葉は優男からだ。興はふりかえらず一瞬だけ顔を向けるとすぐに小崎をみつけ駆け寄る。
「小崎」
「供⊇?」
 体を丸め、腹部を両手で押さえながら真っ青な顔で興をみあげた小崎は、いまにも息絶えそうな声を上げる。
「美甘・興。時間が無いぞ、急げ」
 頭から血を流していたはずのムイは、平然とたって興を見ていた。
「けど右手が」
「大丈夫、動く」
 言い切られて、ふと興は気がついた。右手に感覚が残っているのだ。
「その手はもう君の手ではない。申し訳ないが」
「……動くけど」
「説明は後でしてやる。ここまでして、朝弓を見殺しにするきか」
 無言で興は頷くと、振り返り男を見る。明らかに狼狽した姿を視界にとらえ、走り出す。
 肺に穴が開いていた人間が、いきなり立ち上がり走り出したのだ驚かないほうがおかしい。大体それ以上に、脳天を打ちぬかれたのに普通にたっているムイのほうがおかしすぎる。
 疑問は多々ある。が、悠長に時間を浪費する余裕はない。
 興は、足に力をいれ前へと体を飛ばす。右手には力が戻っている。肺も全く損傷が無い、全快といってもいい。が、幾分右腕が軽くなったような気がした。
 それに不安を覚え、一度力いっぱい右腕を握って見た。
 一歩。
 感覚が違う。どこまでも底なしに力が入る気がして、思わず興は手を緩めた。
 一歩。
 だが驚いてる余裕はない。何でもよい。男を殴れるなら。右腕に力を入れる。
 一歩。男が、後ずさりしながら銃を構えた。
「右腕を前に」
 ムイの声に、興は手で体を守るように前に差し出す。
 一歩。銃声。
 右腕に衝撃がきた。体がその衝撃に耐え切れず、吹き飛ばされるように右半身が後ろに、変わりに左側が前に。体の中心を軸にぐらりと傾いだ。
 が、興の前に行く勢いは消えていない。ふらつきながらも、興は前に。男が驚いた顔というか泣きそうな顔になるのが見える。そして、興もまた驚きそして泣きそうな心境だった。
 ――銃弾をはじいた?
 右腕に恐怖を感じながらも、勢いをとめず興は前に進む。
「うわあああ! く、くるな! バケモノ!」
 ――バケモノはどっちだ。
 優男の叫び声をききながら、興は右腕を振りかぶる。銃口がこちらを見ているのが見えた。そしてまた銃声。が、見当外れのところへと飛んでいった銃弾は、風を切る音すら残さずどこかへ消えた。
「このっ」
 残り三歩。一気に飛び込み、右腕を振るう。ごつ、と重たい感触が肩に来た瞬間、優男から何かがつぶれるような悲鳴が聞こえた。
 しかし興が得た感覚はそれだけ。そのまま右腕は振りぬかれ、勢いに任せた不器用な拳で興は体制を崩したたらを踏む。
 そのよこで、優男が倒れる音が聞こえた。
「ぶ……がが」
 上あごから頭までを吹き飛ばされた優男の成れの果ては、痙攣し声にならない何かを喉から吐き出している。
 手に感触はもうのこっていなかった。次第に薄れ男は消えていく。完全に消えるのを確認して興は振り返る。
 小崎が、地面に突っ伏すようにして倒れていた。