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「正夢」「瞼」「キス」

 手にかかる重さは、確かな物で彼女は思わず体に力を入れる。
 ぐいと、力強く引っ張られた手につられ、体が傾いだ。
 落下するような感覚を、流れていく視界のなかで感じながら、彼女の意識は落ちていく。
 岩にあたり波が砕ける音。潮の匂い。だけどそれは夢のようなロマンチックな物ではなくて、彼女にとっては命にかかわる事体だった。
 引き寄せられていく腕そのものを感じ、彼女は薄れ行く意識のなかで思う。
 ――こんなのは、キスじゃない。

 波の音が遠くから近づいてくる。彼女はその事実に、眠りから覚める自分を意識した。
 己を意識し個を確定した瞬間から、精神は活動を始める。彼女はゆっくりと体を動かし、目を開いた。
「千夏、おきたのか?」
 声に、彼女は頭をふって答える。低血圧特有の座った目を、声のする方向に向け長いため気をついた。
 八畳ほどの民宿の部屋の隅っこで海を臨む窓に身を乗り出していた男は、ゆっくりとその視線を受け止めると薄く笑い返す。慣れっこになったのだろう、全く視線に動じず彼はゆっくりと立ち上がると、切れ長の目をさらに薄くしてあくびを一つ。
「朝ごはん、食べに行くかい? それともお風呂?」
「……ふろ……」
 ふらふらと立ち上がると、千夏は用意してあったお風呂セットを手に取り浴衣のまま歩き出した。
「幸弘さきにたべててもいいよ」
 それだけ呟いて、備え付けのスリッパを三回吐き間違えながら、千夏は部屋を出て行った。
 残された幸弘は、頭をかきながらテーブルにおいてあったタバコをてに、また窓に戻っていった。
 窓からは海が見えている。夏一歩手前、まだ観光客などはまばらな時期、朝だというのに釣り糸を垂れる人たちがぱらぱらと見受けられた。
 幸弘はタバコをいっぱいに吸うと、ゆっくりと吐き出す。視界が真っ白に染まるその向こう、青くない海が広がっている。
 海は真っ黒だ。日がまだ低いのだろう、大体真っ青な海なんてもっと南にいかなければ見れない。タバコの灰が落ちそうになるのに気がついて、彼は窓から体を引っ込める。
 まだ千夏は帰ってこない。



 眠気は熱い湯を浴びても取れなかった。いまだ座った目つきで千夏は温泉に体をつけている。朝なので人は居らず空気も冷たく気持ちがいい。が、まだ頭の中はもやがかかったように重たかった。
 昨晩の酒の所為かとも考えるが、大体そんなに残るほどの量は飲んでいない。しかし、いつもより目覚めの悪い自分のあたまに、彼女は首を傾げた。
 そのまま眠気が襲ってくる。
 湯気が水面を覆うようにゆっくりと流れている、風は少なく湯気そのものが一つの塊のようにゆっくりと形を崩さずに流れる。
 まるでそれがゆりかごのように見える。千夏の意識は滑り落ちていった。
 湯気とともに、どこかに流れるように。湯気と共に、風に吹かれるように、

 手にかかる重さに、あわてて体に力を入れた。
 ぐいと、力強く引っ張られた手につられ、こらえきれず体が傾いだ。
 落下するような感覚を、流れていく視界のなかで感じながら。
 岩にあたり波が砕ける音。潮の匂い。だけどそれは夢のようなロマンチックな物ではなくて、彼女にとっては命にかかわる事体だった。
 引き寄せられていく腕そのものを感じ、彼女は薄れ行く意識のなかで思う。
 ――こんなのは、キスじゃない。
 空を舞う感覚。頼りなく、なにもないただ落下する感覚。
 その感覚に、恐怖すら覚え、思わず千夏は目をあけた。
「!」
 驚きと恐怖で、心臓が早鐘を打っている。息を止めていたのか、やけに呼吸が苦しい。心臓が鼓動するたびに、体中を血が駆け巡るのが判った。
「はっ……はっ……」
 目が覚めたが、さすがにこれはやりすぎだ。
 鼓動が落ち着いてきたのを確認し、ふらふらと千夏は温泉から体を出す。
「へくしっ」
 朝の風は、夏前だというのにまだまだ寒かった。



 朝ごはんを食べ終わり、二人は海岸へときていた。
 なんどもみた夢のことを、千夏は思い出す。あれは、難だったんだろうか。瞼の裏に焼きついてはなれない光景に、千夏は幸弘の背中をみながら嘆息。
「どうした?」
 振り返った幸弘をみて、さらに嘆息。こまったように首を傾げる幸弘をみて、すこしだけ溜飲がさがった。何度も海に落ちるような夢をみたのだ、期限がいいわけがない。
 先にいった幸弘が座った。横に並ぶように千夏はすわり、海を眺める。
「機嫌わるいなぁ。どうしたんだよ」
「……べつに」
 と、手にかかる重さに、あわてて体に力を入れた。
 ぐいと、力強く引っ張られた手につられ、こらえきれず体が傾いだ。
 落下するような感覚を、流れていく視界のなかで感じながら。
 岩にあたり波が砕ける音。潮の匂い。だけどそれは夢のようなロマンチックな物ではなくて、彼女にとっては命にかかわる事体だった。
 引き寄せられていく腕そのものを感じ、彼女は思う。
 ――こんなのは、キスじゃない。
 目の前に幸弘の手が伸びる。受け止められるように、千夏はその腕の中に落ちる。
「マダイだ!」
 夢でみたように、キスは釣れなかった。

「鏡」「自信」「粉砕」

 線香の匂いがしている。畳の匂いに混ざり、お茶の匂いも混ざっていた。
 畳と木で囲まれれた仏間は、長い間居るべきではないのだ、そういっているように己の匂いを強くさせる。息が詰まるほどのその匂いに、仏壇の前で男が正座したまま動かない。
 彼はうつむき肩をすくめると、大きくため息吐き出した。彼の膝の前には、小さな手鏡が置いてあった。古臭い漆塗りの手鏡は、手入れがいきとどいてるのか、今もなお襖の向こう側から差し込む光を反射していた。
 伏せられて、鏡の部分は表に出ていない。ただ、漆塗りののっぺりとした黒いその姿をみて、彼は顔をしかめる。
 自分が写っていたのだ。

 情け無いその顔だ、そんな風に眉を寄せ視線をそらす。そこでまた、彼はため息をついた。無精ひげと生気の無い目で、ただじっと其処に正座したまま、彼は何度も視線をめぐらせてはため息をつき、何をするでもなくただ手鏡をみたり、仏壇をみたりしているだけなのだ。
 気でも違えたのかと、誰かが見たら勘違いするような姿だったが、たまに勢い良く立ち上がると便所へいったり、食事をしている風ではあり、そこに何らかの目的が彼なりにあったのは間違いない。
 うつむき加減の彼は、飽きずに呼吸の代わりにため息を繰り返す。けれど仏壇から何かが出てくるわけでもなければ、襖の向こうから誰かがやってくることもなかった。
 気がつけば日はくれ、夕日の赤に室内は染まる。障子も赤くそまりきり、周りは赤一色。手鏡の漆だけが黒を残していた。
 それでも彼は動くことなく正座したまま、仏壇を眺めていた。位牌には戒名になった彼の祖母の名が刻まれている。その横に、祖母の写真も飾ってあった。既に色あせ、白黒写真のようになったそれも、夕日に照らされて濃淡しか判別できない。それほどまでに強い夕日の色とは対照的に、部屋の空気は低く弱く冷たく沈んでいる。
 また一つため息が漏れた。
 仏壇に供えられているのは、菓子と水。そして、封筒が一つ。開けられた跡のあるその封筒には、有名な会社の名前が書いてあった。
 内容は至極簡単で、中身も簡素。そこには、ただ今回は縁がなかっただの、またの機会にだのかいてあるが、それは誰でもわかる不採用通知だ。
「ごめんな、ばぁちゃん」
 ため息ではないものが、彼の口から漏れる。同時、空腹を告げる腹の虫だけが元気に鳴いた。彼はおもむろに、祖母の形見である手鏡を持ち上げ立ち上がろうとする。
 さすがに食わなければ、生きてはいけないと思ったのか、その動きに躊躇いはなかった。が、血管はそうは行かなかったらしく、しびれた足にふらつく。
「と、あ」
 思わずしびれた左足をあげ、そのまま体のバランスを崩して彼は倒れこんだ。右手に手鏡を持っていたのをわすれ、何とか体を支えようと――
 割れるというより、折れるような軋む音。掌の下で、手鏡がひしゃげる感覚を得る。間違いなくガラスが己の形を保てる曲がり方ではない。砂をかむような感触が彼の手からそのまま肩を突き抜けた。
「……しまった」
 急ぎ立ち上がり、手鏡を拾い上げるが、砂が崩れるようにガラスの破片が畳にこぼれ落ちた。



 破片を集めて、彼はただじっとソレを見下ろしていた。祖母の形見だった手鏡は、いま目の前で役目を終えばらばらに光を弾いている。
 破片はテーブルの上に並べられていた。
 既に外は暗く、電灯の光をうけた鏡の破片はちらちらと光り、彼が覗き込むと一斉に彼の顔の断片を写した。
「どうするかな……」
 捨てるのも忍びなく、手鏡の枠となっていた漆塗りのそれはいまだに健在だった。おもむろに、彼はガラスの破片を取り上げると漆塗りの枠へとはめ込んだ。
 大きな破片は、それなりに形を残しており、すぐに場所もわかる。円なので上下左右はないのは、楽なぱすつかもしれない。彼は、一心不乱にそのガラスの破片を埋め込み始めていった。
 大きな破片はすぐに場所がわかったが、細かく指を切りそうな破片には全く統一性はない。次第に集中をはじめたのか、彼はピンセットを取り出しその破片を隙間に入れていく。
 細すぎて、ピンセットでつまんでも折れるほどのものあったが、彼は無言でそれを繰り返していった。
 静かな室内に、ガラスの破片がぶつかる軽い音だけが聞こえる。
 無駄な作業だと、彼もわかっていた。崩れたガラスが戻るわけもなく、欠片をあつめたところで机が綺麗になるわけでもない。
 最後の就職先だった会社から、不採用の通知を受け取り、すべてやることがなかった。もう時期を逸し、今更どこへいこうと何も変らない気がしていた。
 もとより社会に出ることに対しても、今までの怠惰な自分の生活を見返すと恐怖しか覚えず希望はなかったし、現在のバイトを繰り返せば別段くいっぱぐれることはなさそうだった。
 実際現在しかみえておらず、バイトが出来ない体力になったらどうするのか、そんなことすら考えられなかった。今ですら精一杯なのに、未来なんて彼に考える余裕はなかったのだ。判っていても、ソレより今が大事なのは間違いないのも、それもまた正論である。
 ため息はもう漏れていない。目の前の細かいガラスの破片が、きらきらと電灯の光をうけて光っている。音はなく、自分の息遣いすら彼は聞こえていないようだった。



「できた……」
 不恰好ではあったが、確かにガラスは元の形にもどっている。ヒビはのこり、まともに鏡として機能するかどうかは怪しいが、その鏡はたしかにもとの形にほとんど戻っているといって過言ではなかった。
 糊付けしているわけでもなく、普通に持つこともできないが、それでも彼は満足そうに机の上で電灯の光を反射している鏡をみた。
 おもむろに覗き込む。
 ヒビだらけの世界のむこう、自分の顔が写っているのを見た。
「……」
 眠たそうで、やる気の無い目と、ぼさぼさの髪の毛、そして無精ひげ。
「髭、そろう」
 体をあげ、椅子から立ち上がる。
 まだやれることはあるのだ、自分に言い聞かせて彼は歩き出した。




 こんなんみつけた。
■セブンアンドワイ - 本 - Featuring ZANKI <仮面ライダー斬鬼>
 あと、セブンアンドワイにSFマガジンのふるいのが置いてあった。俺はミサイルと海原の用心棒だけのために買うかどうかを迷い、本になる確率にかけて我慢するか……。
 ついでに、
■「月刊ウンディーネ」 1巻 姫屋特集号 ARIAカンパニー ドールハウス付き
 もみつけて見た。なんか、二巻三巻と、アリアカンパニーとオレンジプラネットもでるらしい。躊躇いなく、こっちは予約。
 二期のアニメは、せめて作画がくずれなければいいなぁ。なんておもいつつ。
 

「曇天」「痛み」「錯覚」

 昔、他人の痛みというのに、敏感だった。
 いやそれは、敏感というべき代物だったのかすら怪しい。間違いなく僕は、その痛みを感じていたし、それは心の痛みだけにとどまらず、身体的な痛みそのものまでを感じ取っていた。
 テレパシーに類する超能力だといえば、少しは座りがいいし格好もつくのだけれど、残念ながらそんなパフォーマーとして役に立つわけでも、人類を救うわけでもなく、ただ痛いだけという、至極つまらなく自分にとってはマイナス面しかない代物だった。

 最近は少なくなって、結局感受性豊かな子供時代は終わりを告げたのだ、そう思っていた。だが、完全にその病気とも言える症状がなくなったのかといえば、そうでもなかったのだ。
 深いため息をついて、僕は曇り空のしたを歩いていた。
 今もまた、痛みを感じる。
 本来その痛みを感じるというのは、相手が人間かそれなりの大きさの動物に限られていた。目で見えているという条件もあり、嫌な場合僕は目をつぶりその痛みから逃げ出していた。
 学校で、教師が説教を開始するときが一番苦痛だったのを覚えている。目をつぶるわけにも行かず、視界すべての生徒から心の痛みが伝わってくるのだ。何倍にもした暗く沈んだ意識が、体中を押し流す感覚。
 いまも、あの感覚だけは忘れられない。まだ外的な痛みのほうがましというものだった。
 とはいえ目の前で事故現場を見たときは、気絶したこともある。血をみて気絶するのではなく、実際に体中の骨が折れる痛みに叫び気絶した。
 そんなことがあるから、僕は人を見ないようにうつむいたり上を向いたりしてすごすことが多かった。いまも、空を見上げている、視界には人は居ない。
 だというのに、なぜか体の中央を切り裂かれるような痛みを感じている。
 たまに起こるこの、謎の痛みだけは、いまだに僕の体に残っていた。いまは、目の前で人が怪我をしても注意しなければその痛みを感じることすら難しくなったというのに。

 僕は目をつぶる。いつものように、その痛みから逃げるように目をつぶった。
 痛みは一瞬にしてなくなり、いつもの空っぽな自分の感覚が帰ってくる。目を開ける。またずきりと体を引き裂かれる痛みを感じた。
 出所がわからない。思わず地面へと視界を向ければ、また痛みは引いた。
 これほどはっきりとした痛みを感じるなんていうのは、本当に珍しいことだった。痛みを感じる法則みたいな物を、自分の中で作り上げてきたのに、この痛みだけは例外なのだ。
 小さい痛みは感じづらく、大きい痛みほどはっきりとする。痛みの量から痛む場所まではっきりとわかるようになる。心の痛みは、対象をみればすぐに体にしみこんでくる。外的な痛みは、見えている部分だけだ。服の下の痛みはわからない。
 しかし、今の痛みだけは昔から感じていたがその法則にあてはまらなかった。
 視界には何も見えていない。
 鳥もとんでいない。飛行機やヘリがとんでいても、中の人間の痛みなんてみえやしないだろう。
 僕は首をかしげて歩き出す。痛みはまだ、体中を引き裂くように現れる。

 風が吹く。遠くでクルマがクラクションを鳴らした音が聞こえた。
 アスファルトを踏みしめるたび、足の裏に小石を噛み乾いた音がする。汚い道路というわけではないのだけれど、かといって綺麗だといえるようなばしょでもない。砂埃に白く汚れ、隅にはタバコの吸殻やゴミが散見できた。
 体を真ん中から切り裂く痛みに、思わず胸の辺りに手をやる。自分になにかをしたって、この痛みがなくなるわけではないのに。
 川べりの、舗装された土手。すぐ横を、川が流れている。アスファルトになった土手の味気なさに咥え、既にコンクリに埋め立てられて長い川の流れが、あまりにも人工的で寂しく感じる。
 曇り空の所為で、川の揺らめきも元気がなくさらに申し訳程度にう得られた草は春先だというのに、いまだ芽吹くことすら忘れて眠っていた。
 気分は沈み、体には痛みがはしっている。と、ちょうど頭上を飛行機が飛び去っていく音が聞こえた。
 あたり一面に反響し聞こえる、風を突き破るエンジンの音。僕は思わず顔を上げる。
 また、ズキリと胸の辺りに痛みが走った。
 飛行機をみて僕は痛みを感じたのだろうか、そうおもったが晴れた日に飛行機を見ても痛みなど感じたことは無い。むしろ、曇の上を飛ぶ飛行機を見る、というよりは聞く、とその痛みは必ずやってくる。
 飛行機そのものではないのだろう。結局そのいたみがなにかわからないまま、僕はまた足を進める。
「だー、どいたどいた!」
 後ろから叫び声が聞こえ、僕は思わず川側へと飛び跳ねるように避ける。
 同時、背後から甲高いエンジン音をあげた原付が僕を追い抜いた。
「遅れるっ! 命の危険が大ピンチ!」
 叫びながら、原付は走り去っていった。
 背中を見送りながら、久しぶりにみた人通りに少しだけ安心をした。
 痛みが少しずつ引いていくのを感じながら、僕は空を見上げる。
「……飛行機雲」
 雲を切り裂き、その中央に飛行機雲が出来上がっていくのがみえる。
「あ……」
 思わず痛みを訴えていた場所を触る。
 もしかして、この痛みは。
「雲痛み」
 だったのだろうか。
 ゆっくりと風が吹く。立ち止まって空を見上げていると、雲も風に流されていくのが見える。それにあわせて、僕の体を切り裂くような痛みも薄れていった。
 あまりにも巨大で気がつけなかった痛みに、僕はほんの少しだけ後悔をこめて目を細める。
 遠く、原付が何かにぶつかる音が聞こえた。

「風見鶏」「懐旧」「秘密」

 星が薄い夜空を背後に、丸い月が浮かんでいる。それは薄雲を照らし、薄雲は空をゆっくりと流れている。上空には風が吹いているのだろうが、地上ではそよ風程度のにしか感じられない。木々は揺れず、ただおぼろげに月明かりに己を写すのみ。
 夜は、静かだった。無音ではなく、それは静寂という。かすかな木のざわめきや、どこか遠くで風が隙間を抜ける音、窓ガラスがゆれ誰かが扉を開ける。
 それは、ざわめきでもあったがやはり静かな夜だった。
 
 皆已(みなみ)は、街を一人歩いていた。春先の夜風は、肌に少しだけ冷たく寝ぼけた頭をたたき起こしてくれる。踏みしめたアスファルトは、まだ昼の熱を抱きしめたままで暖かく、風だけが皆已の体温を奪っていく。
 彼女はよくこうして、街を歩いている。海に面し、山に囲まれたこの街は田舎と都会の合間を行ったり来たりしてるような街で、夜の人通りは少ない。
 家を出てから、既に数十分が立っているはずなのに人とすれ違うことは無かった。
 駅前に行けばきっとこの時間なら、いまだ人に溢れているだろうが、少しでも街の中心部から離れてしまうと話しは別だった。
 街のはずれまで来てしまえば、すっかりと街の雰囲気は変る。まるで昔に迷い込んだかのような、そんな気にすらさせられる。皆已の家は集合住宅で、こうした町外れに並ぶ古い家というのは珍しく感じるのだ。
 風が、皆已を追い立てるように吹いた。思わずその風に振り返ると、遠く直線に道が続いているだけで何も無い。真っ暗だがところどころ街灯にてらされ、月明かりといっしょになってかすかに見渡せる。しかし、その距離もたかが知れており、すぐに道は闇へと喪失していた。
 その直線をまるで滑走路のように、風が吹き抜ける。木が唸り、窓ガラスが叩かれる。
 と、そこに別の物が響いてきた。
 鉄の軋む音だ。
 どっかで鉄扉が動いたのかと、皆已はあたりを見回すがそんな物はない。もう一度、甲高い軋みが聞こえる。もっと軽い何かだ。
 ――そう、もっとなにか軽い。

 音が珍しかったのか、それともなにか不安に駆られたのか、皆已は必死でその音のでもとを探っていた。風が吹くとなるその軋みは、まるでプロペラかなにかのようにすら思える。
 音が大きくなるほうへと、足を進めては回りを見渡す。
「なんだろ」
 その呟きは、諦めを含めた呟きだ。
 ため息混じりに息を吐き出すと、皆已は歩き始める。風に、鉄の軋みが混じるがもう彼女の足を止めることは出来なかった。
 一度だけ、そう思い彼女は首だけを振り返る。何も無いその風景のさき、視界の端で何かが揺れた。
 思わず足を止め、その動いた白い物を追いかける。
「……あ」
 風見鶏だ。古ぼけた、いや、すでに廃墟になってるであろうその家の上で、風見鶏が風に泳いでいるのだ。
 古ぼけて灰色に沈んだ家の上で、真っ白に月明かりを浴びた風見鶏が揺れている。風向きがかすかに変るたび、敏感にソレを感じ取った風見鶏は軋みをあげて己の存在を叫ぶ。
 しばらく、皆已はその風見鶏を見上げていた。



「知らない?」
「しらないってば。大体あそこお化けがでるってはなしじゃん」
「そうなの?」
「そうだよ、結構噂になってるよ。皆已、あんた良く夜にあんなところいけたね。大丈夫? なんか取り憑いてるんじゃないの?」
「そんなわけ」
「ま、とりあえず、あんま良い噂聞かないよ。廃屋なのはたぶん、そう。お化け屋敷の通りっていわれるぐらいだし」
 そういって、友人は手をふって廊下を歩いていった。結局噂好きの知り合いも、とくにそんな街の隅の家のはなしなどしらないのだった。
 当然だと思いながら、皆已はため息混じりに自分の鞄を背負う。
「あ、皆已。帰るの? これから駅前行くんだけど、一緒に行かない?」
「風見鶏、見に行くから」
「あらそ。ま、こんどね。お塩もっていったほうがいいんじゃない? それともクロスとか? じゃねー。ほどほどにね」
 友人が連れ立って笑いながら去っていった。手をふり返事をする皆已。
 彼女もまた、廊下に繰り出し帰路へとついていった。

 夕方の町外れは、夜よりも少し寂しそうで赤い色がことさら、昔を見ているように思わせる。セピアに染まった映画のように、見るものに昔を思い出させるのだ。
 この色は、木の色。
 赤くとしいった使い古され、それでも家を支え続け、手垢と油をしみこませた赤い赤い時間の色だ。
 風見鶏が、寂しそうに鳴いている。

 伸びていく影に視線を落とすと、すっと後ろから、もう一人の影が顔を出した。思わず家の主かと思い振り返ると、友人がそこにたっていた。
「皆已。本当に居たんだ。廃墟だから、ずっと其処に居てもひとなんかいやしないって。いたら、それは幽霊よ」
「あ、うん」
「で、風見鶏ってどこ? このあたりには、そんなの無いって思ったんだけど。知らないから気になってきちゃった」
 相変わらず、知らないことに対しては貪欲な友人をみて、皆已はくすりと笑う。
「あれ」
 皆已は、今まで見上げていた家の屋根をさして言う
「え? なに。どこ?」
 けれど友人はソレを見つけられない。首をかしげる皆已。
「なによ、隠さなくたっていいじゃない。皆已、どこ? どこに風見鶏はいるの?」
 風がふき、風見鶏がなく。
「あそこに見え――」
 言いかけて、口を閉じた。あれはもしかしたら、幽霊なのかもしれない。
 くるりと、風見鶏が回転する。
「秘密」
「えー、おしえてよー」
 友人の声が上がる。風がとまる。けれども、風見鶏は鉄の軋みを挙げて鳴いた。

「一瞬」「衝撃」「逆転」

 この世は、完璧である。三次の空間と一次の時間であるがゆえに完璧なのだという。人は、この三次と一次の合わせた四次の世界でしか生きられないのだ。時間は順序だてられていて、それ以上の二次三次へとかわると、既に時間という概念から飛び出る。
 空間に限った話をすれば、惑星が安定した軌道をとれる次元は〇か三しかありえないのだと。タンゲリニも一般相対論で示した。
 空間が三次でないと、惑星はできないから人が生まれないという理論の流れらしい。原子は五次以上では安定することが出来ず、四次でも特殊相対論の効果を考慮するとエネルギーの極小は存在しない。つまり三次以下でないと、安定な原子が存在しないのだ。
「てことは、二次元にはいけるってことじゃね?」
 どうでもいいコラムをにらんでいた僕の頭の上から、声が降ってきた。
「偶数次元では、まともに音が伝わらないのだと。声も聞けないらしいぞ」
 顔をあげて返事をする。
「へー。どうでもいいな」
「まったく」
「でもさ、時間が一次元だったらさ」

 其処まで言って彼は言葉を詰まらせた。既に人気の無い図書館には、埃に遮られながら光の筋を描く夕日が差し込み、生徒達に踏まれ続けた絨毯がかすかに陰影を浮き上がらせている。
 均等に並び、まるで幾何学模様のようにすら見える本棚は、その日の当らない場所にずらりと並んでいた。
「未来はきまってるんだよな」
 今日の最終講義の鐘がなる。驚きに僕の顔は面白いことになってるかもしれない。一呼吸をおき、僕は呼吸を整えて平然をたもったふうに言葉を紡ぐ。
「かもね」
 窓から講堂を見下ろせば、人影すら見えず閑散としていた。これ以上図書館にいるなという放送がながれはじめ、僕は手にしていた雑誌を閉じる。
「でもさ、ほんとうに別の次元があったら三次元の数式なんて役に立たないんじゃないの?」
「そんなのは、偉い物理学者とかが考えることだろ。実際数式で考えてるんだから、成り立つんじゃないのか?」
 そうなのかと、彼は首をかしげ僕の後をついてくる。踏みしだかれ、毛をつぶした絨毯の上は、それでも柔らかく気味が悪い。靴で絨毯を踏むという行為そのものが、少なからず嫌悪感なり罪悪感なりを喚起させる。どうやら、僕には海を渡って生活するわけには行かないらしい。
 外と内には区切りがあるからこそ分けて考えられる。もしもなければ、僕は家で服を脱ぐのもくしゃみをするのも躊躇うことになる。そんな生活はさすがに嫌気がさす。
 その区切りが重要なのだ。つまり、その区切りとして存在するのが靴を脱ぐという行為そのものだ。扉や鍵などは、外に出てもいくらでもある。だから、区別するのは靴を履いて移動するのか、靴を脱いでくつろぐのか、その二つだ。座敷で飲食ができる店がくつろげる理由とおなじかもしれない。
 階段をおりながら、人の声を聞く。誰かを見つけて呼びかける声だ。
「ああ、久しぶり」
 答えたのは、僕の後ろからの声。当たり障りがなく、やわらかいその声はまるで敵対心を抱かせない。彼の得意技、というより生まれ持った特質ともいうべきものだろう。
「まだ居たんだ。追試?」
 女性の声は親しい友人に話しかけるそれだ。追試の言葉に彼は肩をすくめて笑った。
「試験じゃないならなにしてたの? もう講義なんてないでしょ? 」
 首をかしげる女性に、笑いながら彼は近づいていく。僕のすぐ横を通り過ぎ、階段を軽い足取りで。
 僕は仕方がなく同じペースで彼の後ろを追いかけた。別段邪魔するつもりもなければ、話しに加わるきもない。
 何するでもなく二人の後を歩く。
 何気ない会話で笑いあい、どうでもいいことで驚く。僕は彼がいった時間が一次元だったら未来が決まってるじゃないかという言葉を考える。もしもそうなら、こうやって考えていることもまた決まっていることじゃないか。だた、一次元だから今をとばして先を見通すことが出来ないのだ。いつだって順当に時間を進めていくしかない。
 一歩一歩。まるで歩くように。
 多重世界論というのを、ふと思い出す。世界は可能性に満ち、原子の動き一つでも世界は分化するらしい。いろんな未来があってそれは枝葉のように分かれ、幾多にも世界は広がる。時間は二次元だろうか。
 ふと、僕は足を止める。可能性と時間は特に同一ではない。けれど時間そのものが一次元なら移動は不可能だ。出来るのは前進、後退、停止。そのみっつだけ。未来には行けず、流れ出した後ろへは戻れず、できることは流れに任せ前に一歩ずつすすみ、いつしか停止することだけ。
 ため息を一つ。目の前で二人が楽しそうに笑っている。
 これは、変えられない現実。なぜなら、目の前にあるものは既に決定した出来事であり、過去ともいえるから、変えられるのは今であり、今はもうない。きわめて限定されたその一瞬で、未来を変えられるものか。
 僕はため息混じりに、咳をする。
「じゃぁ、また」
「うん」
 キャンパスというには、少し汚すぎな其処をとおりすぎ、彼は女性と別れて校門へと足を向ける。
「なぁ、世界は一つなのか?」
「そういったのは君だ。たしかにそうかもしれない、そうじゃないかもしれない」
 大学のすぐ傍にある下宿先は、大学の古びた校舎よりも幾分汚く見える。大体、大学は毎年四月あたりになれば、綺麗になるのだ。新入生が逃げ出さないようになのだけど。
 しかし下宿先は、大学から逃げ出さない限り簡単に変えるものでもない。引越しも面倒だし、むだな出費にもなる。だから、下宿先のアパートは綺麗にはならない。その差だろう。
「なんで疑問系なんだよ」
「〇を使う数学は、観測が絶対でなきゃいけない。観測が相対的にしかできないなら、議論するだけ無駄だ。考えるのは自由」
「へぇへぇ」
 お手上げだとばかりに手をひろげ、校門をくぐる。人通りの無い学校を一度だけ振り返る。真っ赤にそまった校舎は、なんだか血の色にすら見える。
 車どおりの無い片側一車線を、平然と歩く彼の後ろをついていきながら、僕は左右を確認した。車どおりはなく、道がドコまでも続いているようにすら見える。
 目が良いひとであるなら、もしかしたら行き止まりが見えるのかもしれないが。僕は見たことはない。
「学校はめんどくさいな」
「僕は、そんなに面倒じゃないけど」
 下宿先のアパートの鍵を取り出すと、玄関を開ける。
「お前はいい、他人の相手なんかしなんだ。とうぜんだろ」
「その代わり、君は何も考えていないじゃないか」
 そりゃそうだと、笑い彼は玄関に入る。
「んじゃ」
 後を追うように玄関をくぐり、僕は靴を脱ぐ。
「ふぅー」
 大きなため息を一つ。疲れた体を意識すると、それだけで気が重くなる。
 もっていた雑誌をなげすて、そのまま万年床になったベッドに身を投げ出す。
「つかれた」
 呟いた声に、笑い声が聞こえる。
「やっぱり、お前も疲れてるじゃん」
「そりゃね、体は同じなわけだし?」
 外行きの仮面をはずす。家の中で僕はやっと自分をさらけ出せる。
 世界は一つかもしれない、でも僕は二つだ。
 ため息が布団に吸い込まれていった。




 久しぶりに三題話。
 ダメイド脱稿したんで、やっとかけました。