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三題話「疑問」「連射」「写真」

 電子音の洪水に、子供の叫ぶ声が混ざる。けたたましい足音と、重苦しい物が揺すられる音。タバコのにおいの染み付いた店内は、いつものように騒音に溢れかえっていた。
 ボタンを叩く硬く乾いた音はよく響き、雑音にもそれを消すことは出来ない。鋭角なその音は、いまも重なり店内に響く。
 ひときわ声が大きくなり、それは一瞬にして店内に波及した。
「やった!」
「ハイスコア!」
 一瞬で騒ぎは広がりきり、さらにとどまることを知らず大きくなる。
 拍手がどこかで上がり始め、そうするとつられるように周りは拍手の音に飲まれていった。
 放射状に、誰に言われたでもなく並んでいる観客然とした客の中央。
 まるで周りの空気を意に介さないように、優雅に立ち上がった一人の女性がいる。長い髪の毛は腰近くまでのび、生粋の金髪が薄暗い店内でも輝いて見えた。
「どーも」
 勝ち誇ったような挨拶をひとつ、さらに歓声は広がった。

 ただの数字を競い合うだけの、簡単なゲーム。しかしそのスコアは、世界全てにネットワークと使いつながっている。そして、スコアの上限は無い。
 主役がいなくなったゲームセンターで、いまだ熱気は冷め遣らず、誰もが彼女のプレイを反芻するように何度も繰り返し話していた。
「あそこはすごかった」
「あれ、おかしすぎだよ。何やってたかわからなかったもん」
「いやーでもこれで、ワールドチャンプかぁ」
「店長もよろこんでるっしょ」
「うおおお、すげええええ!」
 思い思いに声が上がっている、そのなかで――
「たいしたこと無いじゃないか」
 ポツリと声が落ちた。
 一瞬にして熱気は冷気へと変わった。湧き上がるようなテンションは、突き刺すような視線へ変わる。声の主は一瞬にして、周りの注目を集めることになる。
「はっ、僕ならもっといいスコアが出せるね」
「はぁ? なにいっちゃってんのこいつ」
「じゃぁ、やってみろよ!」
「いたたたた」
 浴びせられる言葉に、ちっともひるまないで少年はポケットから一枚の写真をだした。
「去年の年末、メンテナンスで得点がリセットされた日。リセット前に僕がだした得点だよ」
 その写真には、先ほど女の子がだしていったスコアより一桁多い数字が映し出されていた。
「……うお、すげぇ!」
「ほんとだ」
 写真に群がる人だかりは、その写真をみて驚きの声をあげる。
 が、しばらくして一人が呟いた。
「で、このスコア本当にお前がだしたのか?」
「そうだよ」
「証拠は?」
「僕がどうして、だます必要性があるんだ!」
 ゆっくりと冷めていく観客にたいして、彼は叫ぶ。
「信じようが信じまいが、たしかにこれは僕がだした。僕がだして、自分で記念にとったしゃしんだ。事実はかわらない!」
 叫ぶ声に、あたりは逆にしらけていく。
「一度だしたんならさ、もう一度やってみろよ」
「そうだ!」
「そうだよ、やれよ!」
 声だけでは飽き足らず、彼らは少年と押し始める。プレイをしていた人間も席をはずし、彼の為に場所を譲った。
「信じないのかよ」
「信じさせてみろっていってんじゃん」
「わかったよ」
 プレイ待ちをしていた数人の人間が場所をどき、少年を座らせた。
 コインの落ちる音。ゲームが始まりを告げるBGMをならし始めた。
 電子音とボタンを押す音、レバーを倒す音。けたたましい音だというのに、周りに一切の歓声はなく、へんな静けさが漂っていた。



 それなりに長い時間、ゲームセンターは静寂に包まれていた。
 しかしそれも終わりがやってくる。
 ゲームオーバーを告げる効果音と同時、彼は席をたった。スコアはゲーム中に判らない仕様になっている、おわってはじめて計算が始まる。
 ゆっくりと数字が一桁目から姿を現し始め、スロットのように下の桁から画面に映し出され始める。
「お」
「おお」
「5」
 ディスプレイに釘付けになる少年達の視線をうけて、ゆっくりとスコアが現れた。
 そして、現在最高記録と同じ桁が――
「……え?」
 現れたのは〇。そして、さらに三桁〇が並ぶ。そこでスコアの回転は止まり、名前入力の画面へと移る。
「はぁ!? いってねーじゃん!」
「あ、あいつがいねぇ!」
「どういうことだよ!」
「おい、どこいった」
「あ――」
 一人が呟く。
「ゲームだけやって帰っていきやがった」
 もう、あの少年は居ない。ため息だけが、ゲームセンターに響いて消えた。

三題話「分割」「質感」「辞書」

 埃の匂いに混じって、微かな寝息が聞こえていた。
 風が二階の窓を叩いているが、はめ殺しの窓は大きな音を立てず軋むだけだった。二階は一階からの吹き抜けで窓ガラスを掃除するためだけにしか用を成さない通路が窓と壁にそって広がっている。一階から延びた吹き抜けは、高い天井まで邪魔されること無く、ゆっくりと空気だけが対流している。
 見た目は少し古く、由緒ただしそうな図書館。光が入らないように覆いの役目もはたす二階の通路の行き止まりには、一階を見下ろせる受付のカウンターが一つ。
 ここは世界の全ての情報が集まる、プラネットセリブラム。
 唯一人の受付と、いつから住み着いたか誰もわからない猫が一匹いるだけだ。

「ナァ!」
 自慢の肉球で、ワンは業務中に居眠りをする受付の頬を叩いた。
 が、その程度でプラネットセリブラムの受付をしているリッテが起きるわけもない。仕方なく、何度も何度も繰り返しワンはリッテの頬を叩く。
「ナッ」
 タシタシという間の抜けた音と、リッテの寝息があたりに混じって消えていった。
 風はプラネットセリブラムの頑丈なガラスを揺らすほどで、見上げると雲がまるで待ち合わせに遅れた若者のように、駆け足に通り過ぎていくのが見える。
 たまに風に巻き上げられた木の葉が、窓ガラスの近くを舞ってはどこかへ消えていった。
 ワンは、それを見上げながら昔みた妖精のようだと感慨にふける。
「……アォ」
 昔を思い出すと眠くなる。大きく口をあけ、ワンは机につっぷして寝ているリッテの傍で丸くなった。リッテは暖かい、受付としてそこだけは合格点だとワンは眠りに落ちながら考えた。



 騒々しい音に、リッテはゆっくりと顔を上げる。
 何事かと寝ぼけた目をめぐらせると、窓を雨が叩いていた。鼻に、雨が乾いた地面をぬらしていく匂いがとどく。一度だけ、その空気を肺に大きく入れるとリッテは立ち上がる。机で丸くなってるワンを見つけ、リッテはワンをつついた。
「ワン、仕事中に寝ちゃだめだよ」
 眠たげに顔を上げるワンは、じとめでリッテをみるが、彼女のほうは全く気にしていないのか、鼻歌交じりに一階へつづく階段を下りていった。
 電気も小さいく、明かりはほとんど無い。階段の隅っこには、闇がわだかまっている。けれど、リッテはなれた足取りで、軽快にその階段を下りていった。
 リッテの足音をききながら、ワンはもう一度目を閉じる。雨がふったら湿気てしまう、本に湿気は天敵だ。空調設備なんて、この広い図書館全てをおさえるにはあまりにも貧弱で期待すらされていない。だから換気扇を回し、そして禁書庫に蓋をする。受付兼管理のリッテの仕事である。べつにいまさら一緒にいって確認するまでもない、とばかりにワンはカウンターから動きもせずもう一度眠りに入ろうとした。
 その瞬間。
「キャアー!」
 絹を裂くには、程遠い叫び声が響く。客はおらず、間違いなくリッテのものだとワンは驚きで跳ね上がる自分を認識しながら思った。
 一体なにがあったのか、さすがに気になったのか。ワンはゆっくりとカウンターを降りると、飛び跳ねるように階段を下っていった。

「ワン!」
 目の前に現れた猫に、まるで助けがきたのかというような具合にリッテは声を掛ける。
「……」
 ワンは無言でしゃがみこんでるリッテをみる、彼女の両手には紙くずが抱かれていた。
「ナァ?」
「これ……」
 目の前に差し出されて、それがなんなのか、ようやくワンにも理解できた。
 辞書だ。
 しかし、なんの辞書かがわからない。それも仕方が無い、リッテがいまワンに見せようと広げている辞書は、切り刻まれていたのだから。

 分厚い辞書が安々ときられていた。それは、ページごとに切り刻むような嫌がらせのきり方ではなく、まるで巨大な裁断機によって、その形のままに躊躇いもなくきられていた。
「サムライでもきたのかな……」
 リッテのつぶやきに、呆れた顔を返すワン。しかし、彼女がいうのももっともなほど切り口は鋭利で、形だけでも合わせれば元に戻りそうなパズルに見えた。
「ナァ」
 弱り顔でワンは、辞書を並べなおしていく。ハードカバー故、ピースはまるでハンバーガーのようにすら見える。同じ切り口のために、ページ自体が入れ替わると、いかんともしがたい状態だが、今のところ形ごとに治まっていた。
「えっと、コレがこっちで……」
 辞書はゆっくりと形を取り戻していく。そのあたりでやっと、辞書がなんの辞書かが判った。判ったところで犯人がわかるわけでもなければ、直るわけでもないのだけれど。
 赤くくすんだカバーの辞書は、ほとんど原型を取り戻しつつあった。
 だが、開くことの出来ない本にいかほどの価値もない。
 一人と一匹は、禁書庫につながる通路の途中で座り込み、首をひねるほかなかった。
「えっと……セロテープで」
「ナ」
「そっか、セロファンテープだね」
「……ナァ」
 ため息をついて、うなだれるワン。だいたい、絵本ぐらいならわかるが、辞書は数千ページにも及ぶ厚みを持っている。それを一枚一枚テープでとめるという、リッテの思考が、ワンには理解できない。
「なによう、ガムテープもいいけど、あ布テープとかでも」
「……」
「布テープは手触りがいいよね、ガムテープは紙だけど……クラフト粘着テープでいっか」
「ナァウ!」
 ワンの剣幕に、リッテは体を硬直させた。
「ナッ! ……ナァ」
「……そうだね、ごめん」
「ニャ」
 やっと判ってくれたのか、とワンはため息をつく。
「そうだよね」
 窓ガラスは風に叩かれ、いまだ雨の止む気配はない。ゆっくりと湿った空気が入ってくる。辞書は諦めるほかないのだ。それよりも、禁書庫の扉を――
「透明じゃないと、文字よめないものね!」
 ワンは、目の前が真っ白になるのを感じた。

三題話「酒」「士気」「迷宮」

「いいか、ぜったいにやったらダメだ。忘れるなよ」
 先輩にそう言われて、私はただ素直に何度も頭を縦に振った。ハンドルを握りながら、そんな事をおもいもいだした。
 夜の道路は、明かりも少なく心もとない姿を目の前にさらし、カーラジオからは全く聞いた事のないアーティストらしき人間がインタビューに答えていた。
 営業周りを終え、先輩に久しぶりに会えた私は仕事の事やどうでもいい世間話をしてわかれたのが、数時間前。私は久しぶりに気分のいい帰路を走っていた。
 夜の道は、いつもながらに苦手だ。遠くまでよく見えないというのもあるが、それより何より暗闇というものが怖い。未知に対する恐怖という、種の根底に位置する恐怖ではなくてもっと即物的に見えない物が怖いのだ。
 だからだろうか、先輩の言っていた「してはいけない」という言葉が嫌に頭から離れなかった。

 ラジオの会話をBGMに、思考はずっとその言葉をぐるぐると追いかけている。横をたまに通り抜ける車の音が、次第に心地よく聞こえ始めたころ、ふと頭に疑問がよぎった。
 なぜ、してはいけないのだろう。
 先輩は、たしかやる気を出してはいけないといっていた。正確には覚えてないが、sんなことを言っていた。士気を出してはいけないとかそんなかんじだったとおもう。
 正確に思い出せれば、もしかしたらどうしてしてはいけないのか、判るかもしれない。それか、やる気を出せば判るかもしれない。
 やる気をだして、車を運転すればと思い立ったあたりで、私はふと先輩の言葉を思い出す。
 が、霞みがかかったように台詞を完璧に思い出せないのは変わらなかった。ただ、ニュアンスにもやがかかっていたのが、少し晴れたようなそんな感じ頭の中でする。
 やる気を出して運転をしては行けない、だっただろうか。
 確かそんな感じのことだ。
 運転、車なんだかそんな感じだということは思い出せるが、何を言っていたかを思い出すことはやはりなかった。
 横を車が通り過ぎる。タイヤがアスファルトの上を転がる音が聞こえ、ラジオの音を描き消していく。しばらくたてば、ラジオの音が耳にもどってきた。
 聞いた事のない、ノリのよい曲に意識が少し覚醒する。
「え?」
 思わず声をだした。気がつけば、見たこともない道を走っていたのだ。国道を下っていたはずの車は、気がつけば知らない住宅街の中を走っている。半分ぐらいの家は既に寝に入っているのか、真っ黒な輪郭だけをヘッドライトに浮かび上がらせるのみ。
 思わず、私はブレーキを踏み周りをみわたした。
 古臭いGPSを確認するものの、地図のない場所なのか自分の位置しかかれていない。国道からはそんなに離れて居ないが、どうやって其処まで行けばいいのかが判らなかった。
 いつの間にこんなところへ……。
 頭を抱えため息混じりに息を吐きだすと、少しだけ意識がはっきりするような感覚がある。
 軽く頭をふると、私はアクセルをゆっくりと踏む。かすかな震えをともなって車がするりと動き始めた。
 方向だけを合わせて、国道へと進路を向ける。
 タイヤをきるときの小石を噛む音が車内にひびくと、ゆっくり視界が開けてくる。
 ヘッドライトに照らされた、人気の無い道はなんだか湿っぽくみえて薄気味がわるい。細い路地なのでスピードもだせず、私はゆっくりと車を走らせて言った。


「ありゃ」
 思わず、間の抜けた声を上げる。
 目の前が行き止まりなのだ。仕方なく引き返そうと振り返ると、切り返せるほどの幅がなかった。諦めてギアをバックに、ゆっくりと十字路まで下がって行く。
 切り替えし隣の曲がり角へむかって車を進めると、さらに行き止まりが待っていた。
 さすがに迷ったのかと、眉をひそめて見るもののだからといって国道へ続く道がわかるわけでもない。
 夜でもなければ、誰かに聞くのだがこんな時に限って歩いてる人も居ないし店も見つからない。ため息どころか涙がでそうになるが、必死でそれをこらえると車をがむしゃらに走らせ始めた。
 焦燥感に駆られ、速度が速くなる。まるで迷宮にまよいこんだような、いやな恐怖というか圧迫感みたいな物におされ、私は車をはしらせた。
 右へ進んでも、左に進んでも、来た道をもどっても、どこへ行っても行き止まりしかたどり着かない。GPSは、さっきからのっぺりとした場所を行ったり着たりしているアイコンしかうつっておらず、どうやってもすぐ傍の国道へ近づけなかった。
 ふと、先輩の言っていた言葉を思い出す。
 やる気を出して車は運転してはいけない。
 その言葉に従うように、私は一度肩の力をぬき深呼吸をした。通ってきた道いがいのばしょへむかえば、なんとかなるかもしれない。国道から離れても、地図がある場所までたどり着ければ其処から帰る事ができるだろう。
 自分の考えに私は頷くと、ゆっくり車を走らせ始める。

 とはいえ、できれば住民に話を聞いたほうが早いのは間違いがなく、せわしなく視線だけは動き続けている。
 やる気を出してはいけない、やる気を出してはいけない。
 言い聞かせるように何度も頭の中で繰り返しながら車をすすめると、ふと、大きな道へとでた。何台も車がとおっていた。にわかに明るくなった視界の中で、私は安堵のため息をついた。
 GPSの表示はいまだ地図のないじょうたいだったが、この場所なら誰かに道を聞くなり標識を確認すれば、国道にはすぐにもどれるだろう。
 安心感と脱力感につつまれ、私は一瞬ブレーキから足を離した。がくんと動く、車に驚きあわててブレーキを踏み込む。
 誰も引いていないだろうかと、周りを確認すると、目の前に警察が立っていた。
 ああ、これで道が判る。
 急いで窓をあけ、顔を出すと警察もこちらに気がついたのか近寄ってくる。
「あの、すいません」
「どうしました?」
「国道にはいりたいんですが」
 伝えると、一瞬彼は難しそうな顔をして後ろを振り返り手をあげた。よってくるもう一人の警察が何かをもってきた。
「コレに息をはいて」
 言われるがままにすると、一瞬の沈黙。
「酒気帯び運転だね。お兄さん、ちょっといいかな」
 ああ、思い出した。酒気帯び運転はいけないって、先輩はいっていたじゃないか。




 どうみても、くだらない駄洒落です。ありがとうございました。

三題話「波」「工程」「生き方」

 鉄錆と油との匂い。それにこびりついたような潮の匂い。
 規則的に歯車がかみ合う音と、連続的なエンジン音、どこか外れたシリンダの音。
 体中を油まみれにした作業着は、染みになってもとの色を忘れてしまった。
 それでも健吾には、新しい作業着は支給された事は無い。
 目の前に広がっている工場を一回り見渡す。そこにあるのは見慣れた機械の塊と、見慣れた顔ぶればかり。
 何一つ新しい事も、面白い事もない。
 健吾は大きくため息を吐く。その小さな抵抗も、すぐに歯車が噛んだけたたましい音に掻き消された。

 すぐさま、ラインが止まった事を告げるアラートが鳴り響く。けたたましい音に、まるで工場の中全てが共鳴しているようにすら聞こえた。
 だがそれだけの音でも、作業員は全くあせったそぶりの一つも見せず、管理者のひとりがひょこひょことドコからか顔をだした。
 噛んだまま、軋む歯車の前に立つと管理者の男は、おもむろに棒を拾い上げるとそのまま歯車にたいして叩き降ろした。
 何かが外れるような、出来の悪い鐘のようなそんな音と同時、使えた物がなくなったかのように、歯車はまた噛みあい綺麗に動き出した。
 一拍おいて、アラートは収まりまた工場はいつもの喧騒にもどるのだ。
 それすらもいつもの出来事、何も変わらないくだらない繰り返しだ。健吾はもう一度ため息をついた。
「おぅい、健吾」
 野太い声で名前を呼ばれ、健吾は振り返る。
「あ、小松さん」
 目の前に現れたのは、小松とよばれる工場の主だ。工場長よりも長いあいだ、この工場にいるので主(ぬし)と呼ばれている。体突きは、とても老人のそれには見えないが顔には幾重にも皺が刻まれている。皺くちゃの顔で、小松は笑いかけると健吾の横に並ぶように立つ。
「どうしたんですか?」
「浮かないを顔しとるな、と思ってな」
「す、みません」
 頭を下げると、上から小松の笑い声が降ってくる。
「ははは、べつに何もとがめようとしとりゃせんよ。」
「はぁ……」
 とはいえ、小松の一言で工場長の意思を無視して解雇なんていうのは珍しくもなんともなく、そんな人間に、なにかいわれて気にするなというほうが無理な話しではある。
 小松にたいしての作業員達の態度は、媚びへつらい必死で機嫌を取ろうとする人間たち、出来るだけ目をつけられないようにと避ける者達、その二種類しかいない。
 健吾はどちらかと言えば、後者だ。人付き合いが苦手なわけでは無いが、かといって頭をさげ、機嫌を伺ってこんなつまらない仕事をしてもわりにはあわない。だから健吾は、出来るだけ小松から距離をおこうとしていた。まぁ、同じ職場で働いている限り、しゃべらないで済むような状況が永遠続くことはありえない。
「本当に、浮かないな。どうした?」
 わしっと頭を掴まれ、そのまま顔を引き上げられる。
 本当にこれが、齢六〇後半の握力なのかというような、万力のような力で掴み上げられ、健吾は顔をしかめた。
「あの、小松さん――」
「ん?」
 この際だと、健吾は腹をくくる。それで首になるのなら、仕方が無い。そう言い聞かせ、健吾は小松を見据える。健吾の視線になにかを感じ取ったのか、小松は手をはなした。
「この工場って……何作ってるんです?」
「……」
 小松の険しい顔をみて、健吾はやはり聞いてはいけないことだったのだと理解する。
 が、
「実はな」
「……はい」
「波をつくってるんだ」
 鼻にかすかに潮の匂いが届いた。

 ◇

 歯車とシリンダが規則的に動いている。ベルトを動かすエンジンは、くるくるといつものように周り、ベルトの上を何かよく判らない物が流れていく。
 これら全てが波をつくるための機械なんだそうだ。健吾は頭を抱えてため息をつく。
「はぁ……」
 もとからやる気のなかったのが災いしたのか、作ってる物がくだらない物だと判るとさらにやる気はなくなる。
 いつもは普通に見上げられた重機も今日はなんだかくすんで見える。
「健吾、どうした。まぁだ悩んでるのか」
「あっ、いえ、はい。大丈夫です」
 思わず反射的に頭を下げた瞬間だった。いつものように、鉄が千切れるような重苦しい音が響いた。
 しかし、今度は自分の真上。
 驚きに顔を上げた瞬間、目の前に鉄の棒が迫っていた。
 動けない。健吾は、まるで現実的じゃない目の前の出来事に息すら忘れていた。
「ばかやろうっ!」
 叫び声と同時、みしりと体中が軋むような衝撃をうけ健吾は吹き飛んだ。
 視界がぐるぐると回る中、健吾は叫び声を聞く。波を作る工場の、単調で退屈な音が、どこか遠くからひびいてくるように体にしみこんできた。
 
 ◇

 新しい服をきて、消毒薬の匂いに包まれていると、なんだかとても居心地が悪い。健吾は、歯噛みをしながら小松を見下ろしていた。
「すみません」
 病院の真っ白な布団のしたで、小松がうっすらと目をあけた。あの頑丈でどんな事をしても壊れないような体をした小松の姿はもうなく、そこにあるのは年齢どおりの壊れそうな体をした老いた男の姿だった。それでも目の力は衰えず、にらまれた健吾は震え上がる。
「ばかやろう、なぜお前が謝る。あのパイプはお前の管理じゃなかっただろう」
「でもっ」
 あの日、あの時、上を走っていたパイプが破砕し、重力にまけ落ちてきた。
 小松の機転で、一命を取りとめた健吾だったが、小松は逆に腹にパイプが刺さるという大怪我をおったのだ。
「あの工場はな、ずっと俺がみまもってたんだ。死ぬのもあそこだって決めてた」
「小松さん……」
「でもな、だぁれもあの工場で何を作ってるかなんて、興味持っちゃ居なかったんだ」
 ぴくりと、周りで見守っていた作業員達が震える。
「俺だけが、あの工場を好きでやってたんだがな。他のやつらは誰もどうでもいいかんじだった」
 ゆっくりと苦しそうに、小松は息を吐く。
「でも、健吾だけは、工場に疑問をいだいた。お前が生きているのなら、文句はねぇ」
 ゆっくりと閉じられる目。それになにか、不吉な予感をかんじ、健吾は顔を乗り出す。
「小松さん!」
「ま、つまらん仕事だが、みかぎらないでやってくれや健吾」
 ふっと、いやな呼吸を吐いたとおもった、そのときが多分最後だった。



 健吾はいつものように工場をみおろしていた。体中にすでにがたがきていた。もうなんねん、この工場で働いただろうか。なんども機械はこわれ、なんにんも人間がやめては入ってきた。
 何年すぎたかもわすれた。
「あの健吾さん」
「おう?」
 最近はいった新人が、目の前にいた。まだまだ若いが、少しやる気の無い目をしている。
「この工場って、なにつくってるんですか?」

三題話「おじいちゃん」「まっすぐ」「城壁」

 爆音が轟いている。地面を揺らすような激しい音、そして地平線の向こう側から少しずつ頭を出し始めた土煙が朝日を受けていた。
 荒野にぽつんと存在する、小さな村は大きな町をつなぐための拠点として発展したいわば宿のための村だ。小さいが、商人や旅人でごった返し一番にぎやかな日には市もたつほどである。
 しかし、いつもにぎわっているわけでも無いし、活気に溢れてるといっても村そのものの許容量を越えることはない。
 つまるところ、小さな村にはかわりがない。そんな町に爆音が響いていた。
 それは、まるで軍隊がせめて来たといったふうな強烈な足音。
 朝日を背に、土煙だけが村からでも確認できた。

 あまりの激しい音に、立て付けの悪い宿の看板がカタカタと共振を起こし始め、次第にそれは窓や床、壁にまでおこりはじめる。
 けれど住民は全くその音に反応していなかった。音は次第に近づき、さらに土煙も大きくなってくる。
 しかし、誰も窓から顔を出すそぶりもなければ外へ出てくるものもいなかった。
 ただ揺れるがまま、まるで廃墟のように揺れだけが町に響く。

 煙が大きくなり、そしてその中心に人影が一つみえた。
 ゆっくりと豆粒大だった影が大きく、人の形にかわってくる。
 爆音は既に地面を揺らすほどになりさらには空気そのものが震えるような音へとかわる。
 とうとつに連続した爆音以外のべつの音が混じった。
「じじぃ! いい加減にしやがれ! 毎朝毎朝!」
 怒号のような叫び声に、先ほどまで連続していた足音が止まった。
 土煙の塊のようなものがゆっくりと風に揺れて広がり始める。その中心に、人影が一つ。
「そこをどけ、小僧」
 しわがれ、そして嫌に老獪な声が響く。今まで走ってきたはずのそれは、全く息切れの一つもなく淡々と声を紡ぐ。
「私は、其処を進む。何度じゃますればきがすむ」
「あんたの為にこの村は何度も破壊された。今日こそは、てめぇを止める!」
 土煙がゆっくりとはれ、其処から現れたのは棺おけに片足を突っ込んだような老人がいた。たいするのは、あまりに巨大で一瞬人間だと理解できないほどの巨躯の男。まるで壁のように立ちはだかる男をまえに、老人は全くおくするでもなくじっと男をみあげていた。
「退かなければ突き進む」
「あんたにできんのかよ、そんながたのきた体で」
 男は威嚇するように、巨躯を軋ませる。がやはり、老人は全くひるまずじっと前を見据えていた。
「ワシは前に進む。貴様には止められない」
 瞬間、老人の姿がぶれたように見えた。そして、自分が吹き飛んでるのだと男が理解したときには、背後を土煙を上げて走り去る老人の姿が見えた。
 


 土煙が上がっている。
 毎朝毎朝、何も変わらないタイミングでいつものように地平線の向こうに土煙が上がっていた。
 最初に揺れだすのはいつものように宿の看板だ。
 そして、窓が揺れはじめ、次に床や壁が揺れ始める。
 そのころには土煙は村のすぐ傍までやってきている。
 そして今日もいつものように、村一番の巨躯の男が進行を阻むため立ちはだかっていた。
「……」
 既に何度もふきとばされ、男の体は傷だらけになっていた。毎日行われる激突による傷は、治りきる前に新たな傷を作る。
 けっか、彼の体は傷らだけの包帯だらけだった。
 そしていつものように地面を揺らす老人の足音は男の前でとまった。
「なぁ、じいさん。なんでアンタははしってんだよ」
「語る必要はなし」
「じゃぁなんで村を避けて走らない」
「まっすぐがよいのだ、若造。まっすぐが」
 男は何も言わず訝しげに老人を見つめる。
「なにもかも、真っ直ぐがいい。みろ、ワシの通った道を」
 いわれて、今まで老人が走り続けてきた場所をみる。そこには、地平線まで続く真っ直ぐな道導ができあがっていた。
「わしは、真っ直ぐゆく。この道は、隣の町へ通じ、そして向かうさきはもう一つの町へ通じる。わしは真っ直ぐ走る。真っ直ぐだ」
「だからって、村んなかを走り回って物を壊していいどおりなんかねぇ!」
「ワシは曲げん。道も、生き方も、なにもかも曲げん」
 土煙が全くなくなっても、二人は向かいあっていた。
 巨漢と小さい老人は、あまりにも対比てきで現実味にかけている。じっとしている二人をみれば、一体何が起こっているのか理解できないであろう。
 緊迫した空気は、いやがおうにも周りに広がり思い出したように吹く風に流されていく。
「ぱぱ」
 何もかもを無視した、幼い声が響いた。
 驚きに巨躯の男が振り返る。
「お、まえ。なにしにきた。家に居なさいといっただろう」
「だって」
 父親の怪我が気になったのだろう、子供は心配そうな目で男を見る。
「そら、子供も心配しておるじゃないか。貴様が折れて諦めれば今までどおりだ。ワシは曲げるつもりは無い、もしも退かないならいつものように――」
「なんでパパをいじめるの!?」
 走り出そうとした老人にむかって、子供が叫ぶ。
「わしは、ただ走ってるだけだ。おまえの父親がその道に立ちはだかるのが悪い」
「……」
「何度でもいうぞ、わしは曲げるつもりはない、行く道も生き方も、なにもかも!」
 老人は走り出す構えをとり、じっと男の奥を見据えた。
「でも、おじいちゃん腰まがってるよ」



 次の日、あの失踪する老人は現れなかった。
 腰を痛めたという噂だけが、老人のつけた道をたどってやってきた旅人によってもたらされただけだった。