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連載小説:036

036:log
 小さな非常灯が、暗闇のなかでぽつりと光をともしている。影を作れるほどでもなく、ビルの内装を淡く照らすにとどめているその光は、あまりにも控えめで光といっていいのか戸惑うほどだった。埃くささと、地下とコンクリートが作り出す冷たく湿気た空気は、嫌が応にも退廃的なイメージを喚起させた。
 興は、同じ姿で長い時間拘束されて凝ったのか、体をなんとはなしに動かしていた。彼の目の前で、色のわからない色をしたロングヘアの女性が面白そうに天井を指差してはふらふらと指を動かしている。
「八十人程度か。そんなかに一人変なのがいる」
「それそれ、そいつなんか今までのと違った」
 いまだ重たい感じのするコメカミを抑えながら、興はすっと彼女の横に立った。

「へぇ、ちょっと厄介だねこれは」
 いいながらムイはじっと上を見たままだった。指をふらふらとゆらしながら、何か確認しているようにも見える。
「アレじゃないのか?」
「いや、本質はいっしょじゃないかな。どこにでもいる例外……だといいけど」
「例外、ね」
 なんとも頼りの無い答えだ。と興は苦笑交じりに頭をかいた。
「なんか変な感じだな。うーん、調べるのも面倒だな。まぁいいか」
「いいのかよ。なんか普通の人と同じだった。いや、俺を片手で抱え上げてたから、普通の人より力あるかも」
「べつにその程度ならどうでもいいんだ。ユキ一人でも十分だし。ソレより、そいつがどうして出てきたのかがきになる」
 ふと、ユキという名前がでて駅前のことを思い出した。人間相手でも端にも棒にもといったかんじの乱闘。いっしゅん興は背筋に冷たい物が流れるのをかんじた。
「今考えてもしょうがないんじゃ?」
「いや、今すぐ外にでてもしょうがない」
 くるくると指を動かしたまま、彼女はじっと天井を見上げている。何かが見えてるかのように。

 辺りはあいも変らず静かで、何も変ったところは無い。暇をもてあました興はうろうろと部屋の中をうろついている。非常灯だけの明かりではあったが、それでも十分物が見えるほど瞳孔は開ききっており、苦労することはなかった。
 廃ビルとはいえ、老朽化してるようには見えない。どうやら、建築途中で工事が何らかの理由で止まったものだろう。コンクリの柱は塗装もされずにのこっていて、壁は張られておらず枠とコード類が顔を出したままだ。
「何のビルだこれ」
「ん? ああ、有賀のビルだ」
「……ありが? アリガコーポレーション?」
「そう、その有賀のビルだ。建築途中で気が変わって放棄したビルらしい。アレの巣窟になるのはわかっていたが、判ってる場所を巣窟にしてくれたほうが手がうちやすい」
「なるほどねぇ」
「さて、そろそろ上に行こうか」
「結局なにしてたのさ」
 興の疑問に、ムイは答えずに笑みだけを返してきた。非常灯の下、大き目の鉄扉が大きな口を開いた。軋みもなく滑るように開いていく扉のむこう、階段が顔を出す。そして、初めて自分たち以外の音がもれ聞こえてくることに気がついた。
「なんだこれ」
 まるで休み時間の校庭を見下ろしてるような感覚。あの遠くから聞こえる喧騒にすごくよくにていた。しかしそれは駅や人の多い場所ではなくて、学校の校庭など少なくても皆が声を張り上げてるであろう喧騒にちかいなにかだ。
「アレの声だな。獣の声にしかきこえないが」
 注意して聞いて見る、がやはり意味を成さない叫び声ぐらいにしか聞こえなかった。
「んで、何するんだ」
「朝弓と合流する。彼女と入れ違いにならないようにタイミングをまってた」
 いって、ムイは軽い足取りで階段を登り始めた。
 ふとその背中を追いながら興はおもう。どうやって目の前に現れたのだろう。家に来たときも、突然だった。一体目の前にいるモノが、なんなのか、アレとおなじ存在なのではないか、と疑問が浮かんでくる。
 が、すぐにその疑問を興は首をふって否定した。小崎が彼女のことを信用していた。それだけで信じるには足る。それで十分だ。言い聞かせ、階段を登る。
 遠く響く喧騒が、少しずつ近づいている。
「たとえばさ、重さ一トンのハンマーを持ち上げろといわれて、君はできるか?」
「は?」
 いきなり何を言い出すんだ。
「できるわけないだろう。漫画じゃあるまいし」
「手の平大の大きさのハンマーが、とんでもない質量で一トンぐらいの重さだとして」
 とんとんとん、と軽快な足取り。
「ソレを振り回されたとしたら、君は受け止めることができるか?」
「さぁ。腕が折れる。いや、千切れるか」
「ご明察。君と、アレの差は其処にある。簡単にいってしまえば、この世界の存在にしてはアレは薄い」
「薄い?」
「君をそのまま雲まで届く大きさにしたら、君は自壊するだろ」
「あ、ああ。なんかウルトラマンが存在できないとかなんとか」
「対応策はその重さに耐えうる強度をもつか」
「軽くする」
「そういうことだ。アレは、軽くした結果だ。したがって薄い」
「だからどうしたんだよ」
「その中に一つおかしいのがまざったってことは、軽くする必要がなくなった。ということだろう」
 それは――
「そう。それは、これから君の言う変な奴が大勢表れるってことだ」
 一瞬倒れそうになった。いままでは、自分でもアレを壊すことができた。もし、ソレができなくなったら。ただのあしれまといじゃないか。
 ――だったら。
「だったら」
「だったら、意味が無いから殺せと?」
 言い当てられた言葉に、興は思わず足を止める。
「馬鹿は休み休み言え。馬鹿」
「う……」
「そんな考えでは、たしかに死んだほうがマシかもしれないが。そら、そろそろお出ましだ。今は悲劇のヒーローを気取る暇はない」
 いそげ、とムイがいう。急き立てられ、興は階段を登っていく。踊り場に、アレの影が現れるのが見える、上から降りてくる足音もだ。
 興は生唾を飲み込んで顔を上げる。

連載小説:035

035:log
 どうしたい、といわれてふと自分のいる状況を確認する。それは、思うほどに確定した立ち位置ではなかった。捕まってるから逃げ出したいが、逃げ出したところで小崎はやってくる。ともかく苦しいこの紐をほどいて欲しいが、かといってその後どうするかもわかっていない。この場所を知ったところで、なにか自分にできるかといえば、きっと否だ。
 じゃぁ、どうしたいかなんて一つしかないじゃないか。興はガムテープのはがされひりひりする唇を一舐めしてため息を付いた。
「俺に出来ることを教えてくれ」
 興の言葉に、ムイは一瞬ほうと言葉を漏らして薄く笑った。
「あるとおもうかい?」
「人質にされた人間が、役に立たないわけがあるかよ」
 いやな揺さぶりだ、興は視線をそらしながら呟く。といっても暗闇の中で、目の前にムイがいる確証はなかった。人質なのだ、現状邪魔になっていて開放しても役に立たないのなら、殺すのが一番てっとりばやい。開放して何か役に立てる状況なら、それでじゅうぶんだ。嫌な問いかけだ。興は胃が軋む感覚を得る。
「いいね、自分を売り込むきなわけだ。死ぬこともいとわない、やれることなら何でもやる。泣かせる下僕精神だ」
「事実をいったまでだろ……あんたはほんとに嫌な奴だ」

 暗がりになれたところで、全く光が入ってこないこの場所は周りが見えてくることは無い。
「ああ、なるほどなるほど。うん、わかった。じゃぁ君が逃げ出す手助けをしてあげよう」
 ムイは心の其処から笑う。完全に小崎の下僕になってしまった美甘・興という人間を見下ろしながらムイは彼の足に巻きついているワイヤーに手をかけた。
 ココまで順応するとは彼女も思っていなかった。選択肢に、このまま救出されるのを待つという選択肢はなく、逃げ出すという選択肢もない。小崎・朝弓にとって有益になれる状況なら生かせ、そうでないなら殺せと表情一つ変えずに言ってのける目の前の少年に、ムイは今にも大笑いしそうになっていた。
 ――ある意味末期だな。
 興の足に巻きついていたのは、金属製のワイヤーだった。
「ここは、廃ビルの地下だ」
 ふと、ムイが呟くように言う。彼女の手は興の足首に巻きついたワイヤーにかかっている。
「廃ビル?」
 自分の町にそんなものがあったのかと、興が首をかしげた。
「隣町の廃ビルさ。そういえば、君はアレがなんなのか知りたがっていたね」
「え、あ……ああ」
「アレらはね、世界中が彼女に押し付けたゴミなのさ」
「ゴミ?」
「そう、生贄ってしってるかい? 神様に供物をささげるっていう風習」
「そりゃまぁ、しってるけど」
「あれの現実はみたことないだろう」
 ぐい、と足が引っ張られると同時、一気にワイヤーがはずれ足が自由になった。そのまま背を向けろといわれ、興は狭い箱のなかでぐるりと体を回す。
「神様にささげる供物、なんて聞こえはいいけどね。実のところを言えば、魔女狩りとなんもかわらない、責任の押し付けとそれ以外の人間の心の平静のためなのさ」
「責任の取れない現実に、無理やり責任者を選んで責任を取らせる」
「そう、そういうこと。彼女も一緒だ。彼女は被害者であり、責任者だ」
「押し付けられたというのは、アレのことか」
「正確にはちょっとちがう。アレは副産物に過ぎない。彼女は未来永劫始まりも終わりも無い牢屋に閉じ込められて永遠に責任を取らされる立場にある」
「いみがわかんねーよ」
 またぐいと引っ張られた。手が曲がらない方向へ引っ張られ一瞬興はうめいた。
「たしかに、彼女の立場はどうでもいいね。つまりだ、アレは小崎・朝弓が世界から押し付けられた世界のゴミだ」
 手がすっと楽になる。枷がはずれ、興はもう一度座りなおすとありがとうと呟いた。
「ゴミねぇ。なんかいつもと違うのがいたんだけど。あと、この右手のやつ外れない?」
「どれだ?」
 そういって、興の右手にふっとムイの手が伸びた。
「……君、もしかして自分のからだに突き刺したのか」
「あ、いや。うん……。勢いで」
「頭は大丈夫か!?」
 いきなりつかみかかられ、揺さぶられる。勢いで頭をうち、興はうめいた。
「なんなんだいきなり! やめろよ」
「いや、君に渡したあの棒は、世界に悲鳴を上げさせるための代物で……」
 珍しく歯切れが悪い。
「すまない。さきに言っておくべきだった。よくへいきでそんなもの……」
「いや、よくねーって! 死ぬかとおもった。めっちゃくちゃいたいし」
「普通なら気がふれる代物だとおもってたんだけど、そうか実はそうでもなかったのかもしれない。へぇ、そうか。気絶は出来なかったみたいだな」
 すん、と鼻を啜る音。
「失禁もなしと」
「……!」
「そいつは抜けないが、肌にあわせて折ることはできる。ちょっとまってくれ」
 と、いきなりあっけない音をたてて右腕につきささった棒は付け根からぽっきりと折れた。
「……」
「とりあえず、この狭い箱からでようか」
 同時、ごきと鈍い音がした。つづいて軋むような音。木と鉄がこすれあっている音だ。木箱に釘をうったものだろうか。
「さてと、美甘・興。馬鹿な下僕を助けるために東奔西走しているお姫様を探しにいこうか」
 淡い光が漏れてくる。自分の居た場所が照らしだされ、興にも光がふってきた。そして、ソレをみおろしてムイは目を丸くする。
「きみ……なにしてるんだ」
 体を丸め、まるで女の子のように隅っこに丸くなっている興をみて、ムイが眉をしかめる。
「……」
「へぇ、もしかして」
 匂いをかがれたのが恥ずかしかったのか。
 ずい、とムイは興に顔を近づけていく。まるで逃げるように興は隅っこへ。しかし、既に箱の隅にいる興は体を小さくさせることしかできなかった。
「面白いな……っと、朝弓に怒られてしまうか。さぁ、早く立ってくれ。急がなければ、役立たず以下の邪魔者にしかならないぞ」

連載小説:034

034:log
 酷く痛む右手に、思考の全てが持っていかれた興は、ただただ痙攣を繰り返し涙と涎と鼻水にまみれていた。
 頭の中で痛いという叫びだけがこだましている。だがそんななか、興は一瞬小崎の叫びを聞いた気がした。
 何を言っているのかまで、頭は理解できなかったが。それがなんだか大切な言葉だというきがして、胸の辺りに軋むような痛みが走ったのだけは確かだった。
 暴れだしたいほどの痛みが全てを塗りつぶしていくなか、遠く滲んだ視界の隅で小崎が走っているのが見えた。なんだか、また泣いている気がした。

 気絶を許さない痛みは、しかし記憶することも拒否させる。どれだけ自分が痛みにもがき苦しんでいたのか、興はさっぱり思い出せない。
 ふと、気がついた時には暗い倉庫のような場所に体を固定され捉えられていた。こめかみに強烈な痛みが走る。殴られたことを思いだし興は眉をひそめた。
 ――どこだ、ここは。
 埃くさく、空気は湿っていたが冷たい。足を動かしても体を動かしても壁にぶつかることはないが、狭いきがした。倒れて地面を這い蹲ればともかんがえたが、現状が見えないいまそれはなんとも恐ろしいことに思え興はその選択を諦める。
 代わりに声を出そうとして、そして口にテープが張られていることに気がついた。代わりに足を無理やり動かし床へたたきつけた。かつんという、平べったい音は、思ったよりも狭く、辺りに広がる。
 ほとんど棺桶、いやロッカーのようなものか。そうでなければクローゼットがいいところだろうか。自分の耳と経験でいうならば、である前提を無視して興は頷く。暗闇に目が慣れてきてもあたりは一向に見えてこない。判るのは鼻に届く空気の匂いと、周りの音だけだった。

 ――小崎。
 ふと、己の主を思う。が、別に超常的な絆でつながってるわけでもない二人が、五感を遮られて意思疎通をすることは不可能。ただじっと、興は自分の置かれてる状況を確認しようと体を動かし続ける。
 右手に突き刺さったままの棒は、アレだけの痛みを発していたのもすっかりわすれたのか、体の一部のようにのんきに生えたままだった。ただこのままにされたところをみると、この棒は引き抜けなかったのだろう。それだけは安心した。失禁しそうになるほどの痛みに、もう二度とこんな物を体に突き刺すのはごめんだが、かといって今すぐ引き抜けるわけもなく、体に刺さった異物を床で引っかいては硬い音を聞くしかなかった。
 ――だいたい、どこなんだ。ムイは来てくれるのか?
 夏場だというのに冷たい湿気た空気があたりに漂っているというのが、なんとも気味が悪かった。まるで地下や洞窟のなかのようなイメージに、もしかしたら自分は埋められているのではないかと、彼は恐怖する。
 もし埋められたのなら、外の音は聞こえないだろう。興は身じろぎするのをやめ、耳を澄ませる。
 音はなく、耳鳴りと自分の呼吸音がうるさい。せめて風の音だけでも、必死で耳をこらせばこらすほど心臓の鼓動は早くなり息が荒くなる。
 音は聞こえない。地面に箱に入れてつめられたのでは。その恐怖に、背筋が凍る。
 ――どこだよ!
 声も出せず、身動きもできず、ただただ空気が無くなるのを待たなければならない。それは消して耐えられるような恐怖ではなかった。大声を出して逃げ出したい、叫んで誰かに気がついてもらいたい、こんな所で死にたくは無い。だいたい、ここはドコなんだ。死にたくない。
 パニックに陥り、興はむやみやたらに暴れだす。そして勢いでかれは倒れた。
 体育座りの形で座っていたので、そのまま肩口を壁に打ち付けるところで止まった。頭が揺れるほどの衝撃に、パニックになっていた頭が少しだけ我を取り戻す。
 あせっても、もうどうしようもないことだけは確かだ。そしてこうして生かされているのは、自分がアレにとって殺しても無価値であり、利用価値だけがあるからだということだろう。つまるところの人質。下僕が人質とは情けない。
 ため息を漏らそうにもため息がでずに興は鼻で大きく息を吐いた。

 人質であるのなら、少なくても殺されることは無いだろう。そう考え興は壁に肩を寄りかからせたまま、眠りに付くことにした。両手の親指同士をワイヤーで、指を組むようにされたまま指一つ一つを括り付けられている。あまりに本格的で偏執的な縛り方に自分を縛った相手が自分のことを恐怖しているのかがわかった。
 ふと興は考える。もし逆の立場だったら。拳一つで体を引きちぎられる怪力、殴ればその部分が、掴まれれば付け根が、もし武器をもってるなら障害物にすらならないであろう敵がいたら。たしかに恐怖だった。そして、己を縛ったものがなんだか人間的におもえて少しだけおかしくなる。
 体を動かすことをやめると、ほどなく呼吸が整ってくる。興は体の動かせる部分を確認しながらじっとその場で座り続けた。音はなく、空気の流れも無い。だが一向に苦しくなることはなく、この場所が完全に密閉されてる空間ではないということがわかった。けれど外の音は相変わらず聞こえてこないし、周りに変化は全くといっていいほどなかった。
 ――寝るしかないかな。
 目をつぶり、興は壁に寄りかかった。右手の甲に突き刺さった棒が壁にあたって、硬い音を立てた。

 どれだけ時間がたったのか、目をふさがれ体の動きを封じられた興にはわからない。ただ、体の痛みが長い時間同じ姿勢を強いられていたことを教えてはくれている。
 目が覚めたことに気がつき、彼は身をよじる。状況は何も変っておらず、ただからだが少し痛いといったところだった。
 空腹だったが、食事を与えられるとは思えない。便所に行きたくなったら地獄だなと、興は苦笑する。
「おはよう」
 いきなり声を掛けられた。驚きに心臓が跳ね上がり、思わず倒れそうになった。
「こっけいな姿だね。美甘・興」
 その声に記憶がある。そのしゃべり方に記憶がある。目をつぶっても思い出せる、何色か判らない不思議な髪の毛をした女を、興は知っている。
「おっと、しゃべれないんだったっけ」
 すっと近づくと、彼女の匂いが鼻に届く。かすかな花の匂い。なんの花だっけ、と首を傾げようとした瞬間、唇が燃えた。
「いてえええええええええええ!」
 暗闇で相手は見えない、が息遣いが判るほど近くにいる。興の痛がりかたにくすくすと薄く笑うと、すっと離れた。風が動く。
「少々やっかいなことになってねぇ。君の両親なんだが」
 一呼吸の間。言葉を紡ぐのを躊躇うような無言のあと、ムイはゆらりと言葉を吐き出す。
「捕まった。君と同じだ。家族揃って人質とは面白すぎる見世物ではある、が……」
「見世物ぉ!?」
「さすがに放っておくのは朝弓が気に病むしね。さて、もうすぐこの場に朝弓がくるけど、どうしたい?」
 くすくすと、闇の中で笑う声だけが耳に届いた。

連載小説:033

033:log
 子供のころ、乳歯がしぶとく残っていた時歯医者にいって歯を抜かれた時のことを、興は思い出していた。体の一部分が異物なのだと頭ではなく、本能が理解したしゅんかんのあの恐怖と体を貫くような痛み。
 虫歯になって歯を削られた時のことを思い出す。麻酔の上からでも判るほどの痛み。いや、あれは痛みではなくて衝撃。脳みその裏側を容赦なく引っ掻き回すような痛み。痛いというより、熱い冷たいが同時にやってきて処理できなくなったような、そんな感覚に、興は涙ではなくて口から垂れる涎を自覚した。
 ガチガチと歯がなっている。焼けるように痛いのになぜかありえないほど冷えた鉄にさわり肌が切り裂かれるような感覚も同時にやってくる。
 痛みは体中を余韻を味わう暇もなく駆け回り、いつまでも新しい痛みとして彼の体を、心を切り刻んでいく。

「あ、あああああああああ!」
 こんな物に耐えられるわけがない。気絶しかけたいい具合にシェイクされた脳みそですら、目を覚ますほどの痛み。気絶を許さず、そしてなれることすら許さない痛み。
 漫画でみた、腕が切られても平然と敵に向かっていくヒーローの姿が思い出される。そして興は思う。あれはありえない。まだ骨折のほうがマシなのではないだろうか。体中の血が沸騰している。なのに凍って棘のようになった血液が体中を駆け巡っている。
 痛い、熱い、冷たい。
 あまりのショックに、息が詰まっている。思わず引き抜こうとした棒は、もうびくともせず右手に突き刺さったままだった。
「うああああああ」
 興のあまりの変貌に、彼の手を踏みつけていた男が思わず足を離した。訝しげに見下ろすかれの視界のなかで、自由になった右手を抱え必死で痛みをこらえるようにうずくまる興。
「なんだぁ?」
 呟いた言葉に、小崎は思わず顔をあげた。アレの反応ではない、少なくても彼女が記憶している物にそんな反応を示すような物はなかった。もしかしたら人間なのではないか、思わず投げかけた視線の先、うずくまる興と、小崎をにらむ顔があった。
「まだ始末してねぇのかよ。早く殺せ!」
 その言葉に、小崎の側面にいたものが反応する。既にの周りは取り囲まれているが、一向に気にしない風で彼女は足を前に踏み出だした。
「興!」
 目の前の人型にむかって腕を振り払う。躊躇い無く首にはいった彼女の手は、そのままその首を引きちぎり振りぬかれた。目の前を飛ぶ首を無視しまた一歩。崩れいく体を蹴り付けて、横から迫ってくる人型の一つへとぶつける。片側だけになった人型に振りぬいた手の勢いを殺さずに一回転。殴りつけた。
「ぎ」
 すりつぶされるような悲鳴といっしょに、手に骨の砕ける感触が伝わってくる。しかし小崎はソレを無視、前に。血肉を踏み潰し、彼女は走る。
「へぇ、騎士を助けるお姫様ね」
「興は私の下僕だ! ソレは私のだ! よるな!」
 小崎の叫びに、興の傍にいた人型は口笛を一つ。その動きに、酷く不安を掻き立てられるが、足の進みは止まらない。
「まるでこっちがお姫様だね。ふん、そうだいいことを思いついた」
 言葉が終わるか終わらないか。人型が、普通の人間で言えばさわやかな笑顔をこちらに向けた瞬間、目の前がまっくらになった。
「な!」
 思わず目の前に手を。そして、自分の目の前を人型が覆うようにしているのに気がつく。あまりに唐突で、あまりに近かったため判らなかったのだ。思わず体がとまり、目の前に張り付く人型を振り払ったときには、すでに数秒がたっていた。
 明るくなった視界のなか、すでに興の傍らにたった人型は小崎から距離をはなしていた。しかも、興を小脇に抱えたまま。右手を押さえ苦しそうにもだえる彼は、抱え上げられていることも、いま目の前に小崎がいることも理解していない。
「さて、動かないでくれ。我ら側にいる姫様」
「……」
「いい加減終わらせないとさ、ほら。消耗戦なんて不毛すぎてね。いくら僕たちがか弱くてヒトに太刀打ち出来ない分大量に要るからといって、さすがに無駄だとおもうし」
 そういって、右手で興を抱えながら、左手でぱたぱたと手を振る。いつでも飛び出せるように小崎は体重を落とす。上履きのままの足が少しだけ痛みを呟いた。
「おっと、動かないでくれ。これ見える? メス。しってる? 僕たちみたいなひ弱でか弱い存在でも、君たちの肌を切り裂けるとても便利なものさ。僕たちは素手じゃ叶わないけど、代わりに君たちが作った“君たちを殺す道具”なら使えるからね」
 そこでやっと小崎はその人型の姿をはっきりと視認した。いままで、まともに見てきたことはない、見てしまえば体の動きが鈍る。決心が鈍る。いつも目をつぶって殴りとばしていた。見ないように、まずは顔から、そして背丈がわからないように足、手。だから、こうしてまともにソレをみるのはあまりに久しぶりだった。
 優男といっていい、だが見たことは無い。記憶にある人間の姿はとっておらず、代わりにどこにいても目立たないほど普通の姿だった。背丈は大学生ぐらいだろうか。背の小さめな興とくらべるとそれなりに大きく見える。
「彼は人質だ。僕たちに彼を殺す理由はないしね。ま、入れ替わった暁には死んでもらうつもりではあるけど……。殺意をもった一対一の殺しじゃなくて、ただの掃除よって排除されるであろうその他大勢としてだから、まぁ諦めて……」
「興を返せ!」
 飛び出したいが、しっかりと興の首にはメスが当てられている。小崎はただ動かずに叫ぶ。
「ソレは、私のだ!」
「おおー。かっこいいねかっこいいね。言われて見たい物だね僕も。ま、そんなことはどうでもいいね。とりあえず彼は人質さ、我ら側の姫。君が、言うとおりの場所へきてくれたら彼は解放しよう。力もなく、いまだ剣にもなれない、役立たずの騎士をね。それじゃ、場所は後日。ちょうど明日は土曜日だっけ? ちょうどいいじゃない。小旅行さ、オシャレだね? ま、そういうことで」
 そういって、人型は手を振る。同時、また目の前が真っ黒そまった。ぼとぼとと落ちてくるようにアレが降ってくる。
「どけ! 興! 興! 目を覚ませ!」
 およそ女子高生の叫ぶような語気ではなかった。絶叫ともいえるその叫びは、校舎の窓ガラスすら振るわせる。
「興ぇ!!」
 きっと、うれしかったのだ。小崎は人型を殴りつけながら思う。役に立つ立たないなんて関係なかったのだろう。そばにいてくれたことがうれしかった。ムイやユキのように、どこか飛びぬけたいつも壁のあるような相手ではなく、傍にいてくれる友人としていてくれたことが、うれしかったのだろう。他の人間には、ままごとを繰り返すカップルにしか見えなかっただろうな、と小崎は苦笑する。自分と興の間にあったのは、愛情でも友情でもないのだから、そんな風に見られても困る。二人の間にあったのは、契約。それは相思相愛の男女がかわす約束より重く、親と子が共にいる血のつながりよりも濃いものだ。契約。
「興!!」
 役に立たなくてもよかった。欲しかったのは、契約を守り続けるという姿勢だけだったのだから。
「守るって! 言ったじゃないか!!」
 叫び声は、遠く空へと飲み込まれていった。

連載小説:032

032:log
 慣れというのは恐ろしくて、それはふと立ち戻ると狂ってしまったかのような錯覚すら覚える。いつの間に自分はこんなことになったのだろうか。それとも、はじめからそうであったのか。疑問と恐怖と自己嫌悪。それらがない交ぜになった吐き気のようなものが胃からせりあがってくる。
 だから、立ち止まらず、振り返らず、前だけをみて愚に今のみを信じるのだ。
 狂気に急き立てられ、まるで逃げるように走り続ける。ソレが正しいのだと何度も言い聞かせながら。
 あの日からどれだけたったのか。数日しか経っていない気もするが、なんだか数年という月日を過ぎてきたようなきもしていた。
 もう何回友人を殴りつぶし、何回親を引きちぎったのか、興は覚えていない。

 小崎の示すアレは今まで一度も間違いはなかったし、そしてこれからも無いだろう。既にそれは特殊な能力ではなくて、目が見える手が動くというレベルの普通の身体機能の一つなのだと、興は自分を納得させていた。
 熱をだしたり、薬で朦朧とでもしていたら間違えるだろうか、そんなせんのないことを考えながら、興は誰も居なくなった教室に一人で椅子を傾け校庭をみおろしていた。
 夕方に差し掛かった時間だが、既に夏といってもいい今の時期夕暮れはまだ遠い。倶楽部活動で走り回る生徒があげる土煙が、まるで生き物のようにうごめき薄くなって消えていった。
「おそいな……」
 小崎にあうまでの興とくらべて、ほんの少し。鉄国です注意しないと差がわからないほどではあるが、目が据わっている。憮然とした表情は彼のいつもの表情だったし、つまらなそうにため息を漏らすのもいつものことだ。けれどほんの少し、ほんの少しだけ全体的に暗くなっている。クラスメイトは一人一回は、親にいたっては既に五回以上、それでおかしくならないほうがどうかしていた。
 だから、どちらかといえば興は、どうかしている。

 ――君の責任の所在はすべて君の主人である小崎・朝弓にある。

 ただその言葉だけを盾にしてきたのかもしれない。そして、その言葉に彼はドコまでも依存していた。そして、小崎はその思いに答えるようにただ己が生き残るためにその他を排除していった。
 アレがそもそもなんなのか。世界の垢だといわれてもぴんと来ないその現象は、少なくても意志があり、痛みを知り恨みを知り言葉を知っている。襲ってくるから殺すというのは、あまりにも短絡的だ、と興は思う。が、喜んで殺されるというのもまた納得がいかないのだ。
 校庭のどこかで、笛を吹く甲高い音が聞こえた。三階にある教室からでも良く聞こえるほど、とがった音で興は我に返る。
「おせぇ」
 日直になった小崎は、興を教室に残しゴミ捨てへといってしまった。もたれかかった椅子に体重を預け傾ける。金属の軋む重苦しい音といっしょに体重のかかる場所がわってほんの少しだけ体が軽くなったようにおもえた。
 胸の辺りで、冷たい感触が転がる。思わずそれに手が伸びた。
 硬い、金属のような棒。興をこんなことに巻き込んだ張本人であるムイが渡した標。ドコでもいいから突き刺せば、必ずその場所を見つけてくれるというはなしだが。
 手にとって銀色のその棒を机に置いてみる。まるで魔法のようにその棒は半分ほど抵抗もなく埋まった。机の下に手をいれてみても、貫通しているはずの場所には棒はなかった。が、突き刺さっているのは棒を持てばわかるぐらいたしかで、手ごたえも確実に突き刺さってることを示している。
「なんなんだよこれ」
 勢いをつけて、棒をひきぬき戯れに手の平に。
 ず、といやな感触と共に突き刺さった。
「うえ!」
 驚きに傾けていた椅子が滑る。背中から、床へと体が落下していく一瞬の感覚を知覚した瞬間、衝撃を受けて倒れた。
「……ぐ」
 背をしこたま打ちつけ、咳き込む。思わず口元にもってきた右手に棒が半分埋め込まれているのをみて興は驚いた。
 慌てて引き抜き服の中にもどすと、のそのそと彼は起き上がった。
「それにしても遅い……」
 嫌な予感だけがして、慌てて椅子をもどすとその足で興は廊下へと飛び出す。ゴミ捨てにしてはあまりにも遅すぎる。
 階段を飛び降りるようにしてくだり、一階の廊下へ、下駄箱に飛びつき靴を出すと昇降口を飛び出した。
 校庭を横目に、校舎の裏へ。
 ぞくりと、なにか体締め付けるような感覚に息を呑む。
 校舎を走り抜ける間、誰にもあっていないのだ。校庭に誰もいないのだ。
「小崎!」
 不安に思わず声が出る。
 校舎の角を回りこみ、裏が見えてくるとそこに少し開けた場所がある。焼却炉があるその場所へ飛び込むようにして興は走る。
「興! 横!」
 いきなりの声に、反応ができなかった。体が正直に横を確認することはなく、ただ横からのなにかを避けるため伏せる。その行動にでていた。が、その行動は遅すぎたとしかいいようがない。
 いきなり即頭部に衝撃をうけ、興は吹き飛んだ。そのさきに校舎の壁。もう一度頭を強くうつと、一瞬にして意識が遠のいていくのが判る。
 ――ああ、やばい。
 消えそうな意識のむこうで、一人でアレと対峙している小崎の姿が見えた。何か叫んでいる。視線は興の傍に立つアレに向けられていた。
 ――せめて一目、顔を。
 そうおもって必死で視線を上に。土の匂いがいやに鮮明に鼻に届く。薄ぼんやり焦点の定まらない視界のなかで、アレがこちらをみてニィと笑った。
 なんだか、アレらしくない。そんな気がする。興の知っているアレは恨みと狂気に彩られた獣に近い顔しかしない。だが、今見下ろしているその視線は、間違いなく勝ち誇った目でも、蔑んだ目でもなくて、ただただうれしそうな目だった。
「騎士とやらも、たいしたこと無いな」
 右腕を踏み潰された。痛みに少しだけ意識が戻る。何とかしないといけない。
 ――あの棒を。
 左手で首から下げられている金属の棒を引き抜くと躊躇わずに自分の右腕にさした。地面ではだめなのだ、自分でも駄目かもしれないが、少なくても自分であるなら、もしかしたら追いかけられる。そんな細かい予想をしていたわけじゃない。ただ、右手が痛くて、それが不愉快で、興はその右手に棒を押し込んだ。半分から先は、まるで灼熱の塊のように右手に進入していく。