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三題話「ライブラリ」「落胆」「昼食」

 埃の匂い。差し込む光すら、その匂いに遮られ真っ直ぐ進む事を許されては居ない。
 乱反射した光は、先へ進むたび己の存在を削り取られていく。床にたどりついた幾許かの光は、控えめに反射していた。
 リッテは顔を上げると、目の前に広がる途方もない本棚の列を見る。遠く、ドコまでも続いているようにすら思えるほど、整然と途切れなく本棚は続いている。
 見下ろす位置にいるとはいえ、それでも全容を一望できるほどな大きさではすまない其処は、世界の情報全てが集まる集積図書館。プラネットセリブラムと呼ばれる場所だ。
 司書は一人と一匹。

 なんとも安い世界だ、とリッテは常日頃から思っていた。
「ナ」
 短い鳴き声に、手元をみると猫のワンがリッテを見上げていた。
「あ、もうご飯?」
「……ナァ」
 心底呆れたというような、嫌に人間らしい表情をうかべワンはリッテを見上げている。この猫、リッテが司書になるまえから居るので、リッテには出生も何も知らない。ただ、名前と、へんに人間っぽいところがあるというところぐらいだ。
「じゃぁなに? お客さん?」
「クアァ……」
 飽きたといわんばかりのあくびを返されて、リッテは丸く大きなメガネの位置を戻す。
「わかんないよー」
「……」
 リッテに何かを伝える事を諦めたのか、ワンはリッテが座る司書席から飛び降りて本棚の立ち並ぶ下階へと降りていった。
 音もなく、軽快に闇の向こうへと消えて行くワンをみてリッテはため息をつく。
 することもなく、二階を見渡す。二階は、一階を見下ろすように、壁にそって廊下のような通路がずっと続いている。二階というよりは観客席のようにしかみえない。
 そして思い出したかのように、向かい側へと橋が渡されている。一体どういう理屈でそれが成り立っているのか判らないが、支えもなく薄い板はこの広い図書館を縦に橋渡ししているのだ。
 採光窓は、二階にしかなく、どんな季節のどんな時間でも直接光が一階へ届く事はない。全ては二階にある通路に当るように出来ている。綺麗に並ぶ光の列をみると、幻想的なイメージを抱かざるを得ないが掃除をするのは自分なのだとおもうと、リッテは素直にその外観を楽しめなかった。
「ワンー、どこいったのー」
 呼んでも、ワンが姿を現すことはない。リッテ本人も帰ってくるとはおもってないのか、座りほうづえを突いている。
 図書館はドコまでも静かで、物音一つしない。客がこないのだから当然だと、ため息をつく。
 と、ちょうど正午を告げる鐘がなった。遠く曇っているが、よく響く鐘の音。
「お昼」
 呟くと、リッテは立ち上がりいそいそと一階へ続く階段へと姿を消した。
 
 リッテの呟きがなくなると、いよいよ無音が部屋の隅からにじみ出る。鐘の余韻は、さらにその静けさに拍車をかける。かすかに響いた鐘の音に、本棚の間を歩いていたワンが耳を動かした。
「ナ」
 短くなくと、ワンはちらりとリッテがいた場所をみる。既にリッテは昼ごはんへ向かったのか、ワンの視界には入らなかった。
 一度首をかしげると、彼ははたりと尻尾を揺らす。彼はしばらくリッテが座っていたはずの席をみあげて、そして無言のまま目を細めた。
 
 鐘の余韻完全に消え去って、今度は逆に静寂の向こう側に音が聞こえ始めた。
 日の光に暖められた空気がながれ、埃っぽい空気が滞留しているゆるやかな音。そして、その空気の温度に本棚が軋む音だ。
 その音に身をゆだねながら、ワンはため息をつくように一度頭を体の中にもぐりこませる。
「ナァ」
 そして、しかたなさそうに呟くと彼は本棚のならぶ通路の奥へと駆け出した。

 プラネットセリブラムには社員食堂も無ければ、事務室もない。昼食をとるには、外へ出るしかないのだ。外にでて、プラネットセリブラムをみあげるとその大きさは思ったよりも小さく見える。行きつけのカフェからみる自分の職場は、それはそれで誇らしいものがあった。
 なにせ、世界中の情報が集まる場所なのだ。地下は数十階を数え、蔵書の数は数え切れない。閲覧不可能な禁書庫も含めれば、きっと本で山が作れるに違いない。
 リッテはピザをぱくつきながら、一人自分の考えに首を縦に振る。
「あら、リッテ。珍しいじゃない、七の曜日なのに早いなんて」
 いわれて、顔を上げると店の店員がリッテを見下ろしていた。
「……」
「ん? どうしたの?」
「……きょうって」
「七の曜日でしょ。毎週整理があって、ご飯も食べられないってぐちってるじゃない」
「!」
 思わず、口にピザを咥えたままリッテは立ち上がる。驚いた店員がのけぞってるのもきにせず、リッテはお金を机に置くと走り出した。
「ちょっと! リッテ!?」
「ごめん、おつりいらないから!」
 そういって、彼女はプラネットセリブラムへと消えていった。
 残されたのは、半分以上のこったピザと、無造作に置かれた小銭。そして、あっけに取られて身動きの取れない店員が一人。
「……お金足らないんだけど」

 頭に本をのせ、ワンはとことこと本棚の間を歩いている。
 まるで曲芸のように器用にあるいているワンは、そのまま目的の本棚にたどり着くと頭に本を載せたまま飛んだ。
 そして、本棚の隙間に本を器用に差し込むと、そのまま手で押す。
 人に見せれば天才猫だと大騒ぎ間違いなしの手さばきで本を本棚にしまうと、またワンは奥へと歩み去っていった。
「ワン〜?」
 声が、静かな室内に響く。その声に、疲れきったため息をつくワン。
「ナァ」
 仕方ないといわんばかりに彼は鳴き声を一つ。それでワンの場所をみつけたのか、リッテが走りこんできた。
「ごめん、ワン。忘れてた」
「……ナ」
 心底呆れたような表情でワンはリッテを見上げると、尻尾をひとふり本棚の上へ飛び移る。
 そして、見上げているリッテに顎で奥のほうをさした。
「……うえ」
 目の前に山となって本が積み上げられていた。世界の情報を全て集めるプラネットセリブラムには、常にリアルタイムで情報が流れ込んでくる。それはほぼ整理された状態で保管されるが、あぶれたものは司書が手作業で戻さなければならないのだ。
「……ねぇ、ワン?」
 助けてくれといったふうなリッテの顔をみおろして、ワンはふんと一度鼻を慣らすと本棚の上で丸くなった。
「たすけてよー!」
「……クアァァ」
 大きなあくびで返事が返ってきた。

三題話「スパイス」「刺青」「ちらリズム」

 紫水は空を見上げていた。
 横に一直線に屋根が走っており、空は横半分きり取られていた。それが別段悲しいわけでもなく、眼前に広がる半分の空を紫水は見上げている。
 視界を落とせば、冬の気配が色濃く残る草原が広がり、遠く山波が広がっている。
「じゃあね、紫水」
 そういって、雛叶は扉の向こうへ消えていった。

 気がついたら扉は無くなっていた。紫水はもう二度と雛叶に会いに行ける扉はないのだと、どこか心の隅っこで思う。
 雛叶が居なくなったのは、夏。まだ、紫水が座ってる場所から青々と茂った草原が見えていたころだ。日は高く、地面はいつも熱いぐらいだった。紫水は暑いのには慣れていて、ソレほど苦痛ではなかったのだけれど、織叶が心配してよく紫水に合いに来てくれた。
「紫水ちゃん、あつくないの?」
 頭をなでられ、紫水は振り返る。するといつものように、日傘をさして影にいれてくれるのだ。もう夏は終わった。だから、織叶がやってくるのは本当にたまになってしまった。
 それを紫水は残念だとは感じない。ただ、自分は雛叶が帰ってきてくれると信じてこの場所に座り続けているのだと、そしてそれだけが雛叶が帰ってくる唯一の方法なのだと信じていた。
 もう、雛叶が居なくなった扉はない。雛叶につながる扉がいつかやってきた時、雛叶を迎えることが自分のやくめなのだと、紫水は信じている。
「紫水ちゃん、へんな日焼けしちゃったわね」
 そういって、織叶が夏の終わりごろにつぶやいた。
「ごめんね、母さん毎日これなくてね」
 紫水は返事をしないで、一度だけ織叶をみて首をかしげた。
 全く日に当らないばしょと、ずっと光に当り続けた場所で色が変わってしまったのだ、と気がつくのには時間がかかった。
 気がつけば体はツートンカラー。でも、紫水はそれを誇らしく思う。まるで、体に刻まれた印だ。雛叶を待ち続けた証なのだ。だから、紫水はソレを誇りだと思う。刺青のように、永遠にはのこらないその体の印ではあるが、きっと雛叶が帰ってくるまでこの印は残るだろう。
 紫水は信じている。
 いつか目の前に、雛叶の消えた扉が現れ雛叶は帰って来るのだと。
 体は二色に切り取られ、ソレでも紫水はは冬の風を気にせず座り続けている。
 毎日五回ぐらい、目の前に扉がやってきてはどこかにいく。
 けれども雛叶がはいった扉は、やはりやってこない。
 遠く連なる山の色がどれだけかわっても、扉は毎日淡々と開いて閉じる。何人もの人間が出入りしたが、雛叶はいない。
 そして、今も扉がやってきた。
 鉄をこするようなけたたましい音と一緒に、扉はやってくる。ぽっかりと開いた扉の向こう、だれも居ない空間が広がっている。紫水は何度もそこへ足を踏み出したい衝動に駆られている。
 もしかしたら、自分から雛叶に会いに行かなければならないのではならないか。そんなきもするのだ。けれど、体に染みついた印が思い起こさせてくれる。
「紫水、ちょっとここでまっててね」
 居なくなる前、雛叶はよくこの扉から消えていった。あのときも、だからすぐに帰って来るのだと紫水は思っていた。
 けれど、その日雛叶は、
「じゃあね、紫水」
 といって消えた。その言葉は、どうしようもなく紫水を不安にさせる。結局、不安は的中し、雛叶は今の今まで姿を現さなかった。
 何がいけなかったのだろうか、そんな事を考えているとベルが鳴る。
 扉が閉まる合図だ。と、誰かが扉の向こうから駆け出てきた。あまりに騒々しい足音に、紫水は体をビクリと振るわせる。
 目の前に降り立った人影。紫水が顔をあげると、向こうも紫水を見下ろしていた。
「あ、紫水ちゃん。あなた、まだ雛叶のことまってるんだ」
 紫水をみつけ、彼女が声を掛けてくる。
 見覚えのある姿に、紫水は頭を下げて返事をする。
「けなげだねぇ」
 いいながら彼女は、紫水の横にしゃがみこんだ。短いスカートが風に揺れ紫水にぴたぴたと当る。それがきになったのか、紫水は一度身じろぎをかえした。
「雛叶、かえってくるかな? 全然連絡とれないみたいなんだけどね。織叶さんもいってた」
 紫水は、彼女をみる。寂しそうに、前に広がる草原を見ている横顔をみて、紫水もつられて草原を見る。
 風に揺れる冬色の草原は、見るだけで寒くなるほどに寂しい。ふっと、紫水は雛叶の事を思い出して、うつむいた。
「んじゃ、私行くね。紫水ちゃんも、無理しちゃだめよん」
 ぽんぽんと、軽く紫水の頭を叩くと、勢い良く立ち上がる。紫水はスカートがひらひらと揺れるのを見上げていると、気がつけば彼女は居なくなっている。
 ゆっくりと視線をもどし、また紫水は空を見上げた。
 だれも居ない、鳥も飛ばない、静かで寂しい空。ただ、薄い青にそまった空は吸い込まれそうなほど綺麗だった。

 ◇

 夜。
 紫水は寂しかった。雛叶はまだ帰ってこない。じっと同じ場所で座り続けていくつ日を見送ってきただろうか。ろくに食事を取らなくなって、体はやせていくかにおもえたが、動く量が少ないのでそうでもないらしい。
 ただ、少しだけ夏の日差しの下にいた跡だけは消えかけていた。それが、また寂しい。
 遠く、光る丸いものが二つこちらに近づいてくる。
 今日最後の扉がやってくるのだ。重苦しい音をたて、ゆっくりと動きを止め。扉が目の前にやってきた。
 何度きいてもなれない空気が抜けるような音をききながら、紫水は扉を見上げる。
 一瞬、雛叶の匂いがして、体中が粟立った。目を見開き、扉の向こうを凝視する。
 ゆっくりと開いてく扉の向こう、人影が見えた。
「――紫水ちゃん」
 出てきたのは、雛叶ではなくて織叶だった。明らかに残念がる紫水をみて、織叶は薄く笑い紫水の目の前にしゃがみこんだ。
「ごめんね、雛叶じゃなくて。今日はもう電車お終いだから、帰りましょ」
 そういって紫水を抱き上げる。
 紫水は抵抗しないまま織叶に抱かれ、無言で目を細める。
「きょうね、雛叶から連絡があったの。まだ帰ってこれないんだって」
 ごめんね、と紫水の頭を撫でる織叶の手は少し冷たかった。
 目を細め我知らずと紫水はあくびをした。明日も、あさっても紫水は同じ場所に座り続ける。雛叶が帰ってくるとしんじて、紫水は座り続けるのだ。
 いつまでもいつまでも。

三題話「城壁」「爽快」「脱線」

 風のない町の景色は、少し沈んだイメージ。どこか動きの無い、いわば活気や熱気がこもらないような、そんな拍子抜けな印象。
 それは、その町全てを大きく取り囲む壁の所為だ。おかげで町の外は何があるか判らない、どころか町が壁に囲まれてるのか崖に囲まれているのかすら、中からでは理解しようがない。
 機戸・秋希(きど・しゅうき)は崖なのか壁なのか判らないその巨大な物を見上げていた。
 風が無い。
 彼の空へ向かって伸びたツンツンの髪の毛も、動きやすい服の裾もぴくりとも揺れてはいなかった。
 真下から見上げる町を囲うモノの切れ目は、霞みどれほどの高さなのか判らない。材質は鉄。幾重に連なる鉄板と配管、それにくわえ物々しいボルトがうちつけられている。まるで、壁や崖というよりは、戦艦の装甲とかそういった風体ですらある。

「よし」
 まだあどけなさを残した顔に、力をこめて秋希は一つ頷くとおもむろに壁に手をかけた。
 つかまるところはいくらでもある。だが、その高さは常識を越えた高さを誇っている。その高さに全く怯えもせず、秋希は壁を登り始めた。
 
 町にあるどの建物よりも高いところまでくると、秋希はいつも一度だけ動きをとめ体を休める。其処から見える町は、丸く壁に切り取られてはいるものの、広くそして雄大だった。
 中央にはひときわ高い塔が立っている。そこから、放射状に道が伸びその道にそって家や店が立ち並んでいた。そして、どの家の屋根にも風車があった。
 昔は町にも風が吹いていたらしい。だが、今は無風。風車が動いた記憶なんて、秋希にはなかったし、彼の両親も見た事はないといっていた。たしか、大昔大きな地震がおき、それからぷっつりと風が止んだのだと言う。地震の爪あとは綺麗さっぱり残って居ないが、この風の無い町が爪痕そのものにみえて、秋希はため息を一つついた。
 中央の塔には、巨大な風車がある。塔を飾るように周りについた小さな風車は数え切れず、その中央に鎮座する巨大な風車はあまりにも異色だった。
 だが、その小さな風車ですら民家にある風車の数倍という巨大さなのだ。
 回らない風車を飾り付けた風車の町は、風の無い壁の中に囲まれて静かに煙っていた。
 と、声が聞こえた。なにか叫んでいるこえに、秋希は下を見る。
「おーい、秋希ー!」
 遠くはなれて、掠れてはいるが秋希には自分を呼ぶ名前だとすぐに判る。
 少し大きく出っ張ったパイプの上に座っていた秋希は、体を傾けて下を見た。数人の子供達がはしゃぎまわっているのが見える。
「あそぼーぜー!」
 無邪気な問いかけに、秋希は薄く笑うと、いきなり。
 飛び降りた。

 高さは既に塔を越えている。体中に息苦しいほどの空気を感じる。
 風だ。
 目も口も開けられないほどの風を浴びて、秋希は心の其処から笑った。いつからあの壁の上を目指して登り始めただろうか。けれど登りきれるとは、秋希も思って居ない。むしろ、この落ちる時がすきなのだ、体中を風に任せる瞬間が彼にとって至福の時だ。
 どんどん地面が近づいてくる。子供達がはしゃいでいるのが見える。
 ――そろそろだな。
 秋希は体をひねると、地面に背を向け懐から紐を取り出した。先にフックのついた丈夫な紐だ。ソレをためらわずに壁に投げつける。
 放物線を描き、紐はそのまま壁に引っかかった。
 同時、秋希の体を衝撃が襲う。腰に巻きつけていた紐が、軋んだ。秋希は体を回すと一気に力を逃がす。まるでゴムがはじかれるように紐が弾けとび、秋希はくるくると体を回しながら地面に着地した。
「おー!」
「相変わらずすげー!」
「早くあそぼーぜ!」
 一斉に子供達が秋希の周りに集まっていく。並べば判るが、秋希とて大人ではなく彼らとほとんど大差はない。ただ、その薄汚れ方は遊びによってつけられたものではなく、目標に向かって同じ行為を続けた結果についた名誉のある傷なのだ。
 紐を外して懐におさめながら、秋希は子供達を連れ立って歩き出す。
「サッカーしようぜ」
「野球がいいよ」
「いいや、かくれんぼ」
「えー!」
 子供達の騒ぎを聞きながら、秋希はゆっくりと彼らの後をついていく。
 


 結局、人数の関係でかくれんぼになった。秋希はじゃんけんにまけ、鬼として辺りを走り回っている。ルールは簡単。家の中なし、縦横2ブロックから出ないようにというだけ。あとは、全員が捕まったら秋希の勝ち。時間までに見つけられなかったら子供達の勝ち。
「捕まえた!」
 走って逃げる子供を追いかけ、そのまま飛び越える。目の前に音もなく着地した秋希ぶつかり、少年が尻モチをついた。
「あー、くそう」
「これで、最後だな。もどろう、啓壱」
「うん……」
 連れ立って、開始場所に戻りはじめる二人。ちょうと、開始場所の広場が騒がしくなっていた。
「なんだ?」
 不穏な空気を感じ取り、秋希は走り出す。無言で後ろを追いかける啓壱。
 と、広場の中央に大人が数人いた。
 ――塔の守り手……。
「お? これはこれは、何も出来ないからってガキ大将やってるのかバカ秋希」
 飾り布をまとい、腰にはサーベル。人ゴミで探すのにしか役に立ちそうの無い派手な帽子。塔にいる管理者を守護する塔の守り手だ。
「お前らこそなにやってんだ」
 みると、守り手の足元には女の子が一人倒れこんでた。
「……! 薙っ!」
 飛び出そうとする啓壱を手で制し、秋希は守り手の二人をにらむ。
「何をした。なぜ薙が倒れてる」
 懐に手をいれ、秋希は腰を落とした。
「いやぁ? べつにぃ? バカ秋希がまた壁のぼったってつーから、馬鹿な事をやめさせろって管理者様にいわれてな」
「ここまでやってきたわけ。そしたら、お前いねーしよっ だから! こいつに聞いてたんだよ!」
 言いながら、守り手の男は薙を蹴り飛ばす。
「薙!」
 秋希の手から逃れた啓壱が、薙に走りよる。しかし、その啓壱の背中にも容赦なく、けりが飛んだ。
「なにこいつ。ああ、このガキの兄貴か。なんだぁ? ナイトきどりかよっ」
「やめろっ! 貴様ら!」
 秋希は、懐から取り出した紐を投げた。先端についていたフックが一瞬にして、蹴りつけようと振り上げた足に引っかかる。
 ソレを確認して、秋希は一気に紐を引いた。男が倒れるのと同時、魔法のように紐は秋希の手に戻る。
「がっ」
「秋希、貴様! 何をしたのかわかってるのか!」
 腰にさしたサーベルを引き抜き、もう一人の男が秋希につめよる。
「無抵抗の子供を蹴りつけることでしか、自分の強さが表現できない哀れなヤツに、現実をおしえてやっただけさ」
 サーベルにもひるまず、秋希は前にでる。眼前に突き出されているサーベルが震えているが、秋希は微動だにせず、じっと男をみていた。
「働きもせず、毎日壁に登っているお前が……いえることじゃねぇだろ」
 サーベルをひき、男は秋希を蹴りつけた。
「だいたい、貴様の行為がガキどもに悪影響を与えているんだよ。反抗すりゃいいとかおもっていやがる。考えもなしにそう言うやり方を覚えさせたのは、お前だろうがっ」
「……ぐ」
 地面にふし、咳き込む秋希に男は言う。
「お前が、あんな事をしなければ、全て綺麗におさまるっつーのによっ! お前が壁を登るたびに呼び出される俺達の身にもなれや!」
 背中を踏みつけられた。
「秋希!」
 声が掛けられるが、秋希は返事を返せない。地面につっぷし、蹴りつけられながら男の声を聞いていた。
「くやしかったら、なんかいってみろよ!」
 足で押さえつけられ、動かせない体で必死で秋希は顔をあげた。
「……少なくても腹いせに、子供を蹴りつけて町を守ってると言い張るやつよりましだ。俺には目的がある。お前達みたいに、人の言いなりになって何も見えて居ないやつといっしょにするな……」
「うるせぇ! だったら、登って見ろよ。あの壁のてっぺんまで登ったら認めてやるよ!」
 叫びと同時、秋希の腕が踏みつけられた。
「があぁああっ」
「「秋希!!」」
 秋希の悲鳴と、子供達の叫びが広場に響いていく。


 
 いつものように風は吹いていなかった。埃くさい匂いに、鉄のさびた匂いが鼻に届いている。
 ただいつもより、周りの熱気は高かった。
 無言で秋希は壁を見上げている。周りに居るのは塔の守り手と、いつも秋希と遊んでいる子供達。そして、野次馬で現れた町の人間達だ。
「いけよ。あんまりじらすな」
 守り手の一人が呟く。背中でソレをききながら、秋希は壁に手をかけた。
 いつものように壁を登る。なれた手付きでまるで走るがごとく速度で秋希はドンドンと壁をのぼっていった。
 あの先に何があるのか、じつのところ秋希には興味が無い。
 どんどんと小さくなっていく街並。動かない風車と、美しく放射状に伸びる道。ディティールが沈み、代わりに現れるのは町そのものの形。
 ソレを横目にみながら、秋希は壁を登っていく。
 
 すぐに、いつも登るのを止める塔より高い場所にある大きなパイプのところまでやってきた。
 一度そこに腰掛けると、秋希は一息つく。
 上がった息が少しだけ億劫で、彼は大きく深呼吸をする。
「のぼれー!」
 まだ見えているのか、守り手の誰かの叫びが聞こえた。上を見上げれば、だいたいこの場所が半分だとわかる。
 右手を開きもう一度閉じる。
「よし……」
 そして、今まで一度も登ったことのない場所へと秋希は進み始めた。
 同時、右手に引きつった痛み。あの時踏み抜かれた腕が、筋をいためていたのだ。
 けれど秋希の速度は落ちない。まるで走るような速度て、彼は壁をのぼっていく。いまだ風はふかない。
 壁の上でも風はないのか。と、すこしだけ意識がそれた瞬間右手が、パイプを掴み損ねた。
 バランスが崩れた衝撃で、踏ん張っていた足が外れる。
 あ、と思った瞬間には既に遅かった。両足は壁からはなれ右手は痛みに力が入らない。
 左手だけで、全体重を支えている状態。最悪なことに、伸び切った体に届くようなあしがかりがなかった。
「秋希!」
 声が聞こえる。かすれていて誰の声だかわからないが、声が聞こえる。
 見下ろせば、豆粒ぐらいになった人だかりが見える。目がいいな、なんて同でもいい事をおもって、秋希はもう一度左手に力を入れた。
 痛みをこらえ右手を上に。まだ壁の終わりは遠い。
 
 痛みになんども意識をもって行かれ、ソレでも何とか彼は登り続けていた。
 けれど、まだ壁の終わりはやってこない。既に壁の終わりがみえてはいるが、なぜか登りきれないのだ。そして、秋希は気がつく。
 自分の登る速度が遅いのだと。いつもであるなら、一瞬で登りきれるはずなのに、疲れきりいためた腕では速度がでていないのだ。
 意識と現実の速度のさに、精神が削れて行く。
「はっ、はっ、はっ」
 上がった息が嫌にうるさい。もうすぐ、もうすぐ終わる。
 もうすぐ、登りきれる。
 何度もいいきかせ、秋希は自分をこぶし上を目指す。一瞬右腕の感覚がもって行かれた。真っ白に染まりそうになる。
「秋希! がんばれ!!」
 聞こえないはずの声が、聞こえた。
 啓壱の声だ。届くわけない声が、聞こえる。目の前に、壁の終わりが見えていた。
 力いっぱい上に。まるで飛ぶように、秋希は体を動かした。
 


 風が吹いている。
 壁の終わり。壁の上で秋希は微かな風をうけていた。
 風と言うよりそよ風といったほうがいいていどの、微かな風だ。
 壁の外の世界には、ゆっくりとした風がふいていた。
 けれど、秋希の表情はさえない。うつむき、壁に座りこみただ壁の外の世界をみていた。
「壁ですらなかったのか」
 丸い町を覆う壁は、町を仕切る壁なんかじゃなかったのだ。
「まるで城壁じゃないか」
 町を守るために立てられたとしかいい用の無い壁。そして、その壁にまもられ、町は何とか生きていた。
「ん?」
 外の世界は、砂と岩しかない地獄のような世界だった。ただ、その世界と町の境目である壁から何かが出ていた。
 遠く良く見えないが、二本の線が延びている遠く、遠く外の世界の端っこまでつづきそうなほどずっとまっすぐ。
「レール、なのか……そうか、この町は移動していたんだ」
 レールは砂にうまりかけ、風にあおられところどころ顔を出している。町はその上を動いていたのだ。
 地震が起きて脱線するまでレールの上を町は走っていた。
 だから、風が町にあった。けれど脱線し、町は止まり風もとまった。
「もう、風車は回らない」
 諦めたように秋希は壁に紐を引っ掛けると、そのまま町のなかへとためらいなく体を躍らせる。
 風だ。心地のいい風が吹いている。
 自分のすきな風はここにある。
 紐の長さはたりず、なんどにもわけて秋希は壁を落ちて行く。
 体中を気持ちのいい風が通り抜けて言った。だんだんと、人影が見えてくる。
「秋希!!」
 声が聞こえる。風につぶされて耳に届きづらくなってはいるが。声が聞こえていた。




 ながっ

三題話「懐古」「電波」「きらめき」

 非通知の着信を眺めて、波貴は咥えていたタバコを灰皿に押し付けた。
 一呼吸。電話は鳴り止まない。波貴の掌のなかで、電話はその間も震え続けていた。
 思わず波貴は外を確認する。窓はカーテンがかかっているが、其処をつきぬけて太陽の光が差し込んでいる。多分昼前ぐらいだろうか、布団に座りシャツとジャージという姿で眠そうな目をした無門・波貴(かどなし・なみき)は、手に持った携帯に視線を戻した。
『非通知着信』
 漢字が踊っている。
 一体どうしたものかと頭をかいて見ても、電話が諦める気配はない。
 仕方ないなとばかりに、小さく咳払いをすると波貴は携帯の通話ボタンをゆっくりと押した。

「はい」
 用心して名乗らなかったわけではないのだが、波貴は自分の名を名乗らずに電話に出る。
 しかしスピーカーから響くのは細かいノイズだけだった。首をかしげ、耳をすませるがなぜかマイクの前にだれもいない気がする。
「もしもし?」
 やはし、返事は無い。
 ただ間違いなくスピーカーの向こうは、風が吹き地面があり、空があって雲が流れている。そんな気がする。
 遠く、車の走る音が聞こえた。
「もしもし?」
 間違いなく、あいてのマイクの向こうは存在している。こちらがいくら声を掛けても反応がないので、波貴はいい加減電話を切ろうと携帯から顔を離す。
 瞬間耳に、聞きなれない雑音が届いた。
『……じ……だ! 誰……たぞ! ……しゃだ。いそ――』
 そこを最後に、ぶちりと電話が切れる。驚いて、波貴は目をしばたたかせた。嫌に緊迫した空気だったのが、不安を掻き立てる。どこかで事故でも起こったのではないだろうかと、そうで無ければ、もしかしたら、
 事故にあった人の携帯が、偶然自分の携帯へとつながった。
 いや、知り合いの誰かが事故に――
 
 波貴あわてて立ち上がると、片っ端から着信履歴を調べていく。過去に非通知設定で自分に電話をかけてきた知り合いが居るかどうか、確認するためだ。
 もし事故にあったのだとしたら、わざわざ非通知で電話をかける理由がない。つまり、初期設定から非通知だったはずだ。
 弾みで電話がかかったとしても、電話番号が押される可能性より、履歴や電話帳から自分の携帯番号が呼び出されたと考えるべきだ。
 自分の電話をしている人間で非通知の人間を調べていく。 
 ――居た。
 と、名前が流れていくなか、非通知着信の履歴が顔を出した。日付は、先週の日曜日。一件のみだ。すぐに誰かを思い出した波貴は迷わずに、電話をかけた。
『どうしたのー?』
 間の抜けた声がかえってきて、波貴はいきなり体中の力が抜ける。
「あ、いやごめん。ちょっと気になって電話かけたんだ」
『えー? なにそれ。新しい告白かなんか?』
 携帯のディスプレイには駒渡・醒花(こまわたり・せいか)という名前が踊っている。少しくせっ毛のセミロングを揺らして走り回っている醒花の姿を思い出して、波貴は頬をかいた。
「いや、さっき非通知で電話があってさ」
『はぁ? ああ、私の携帯非通知のまんまだったね』
「そうそう。んで、気になってかけたわけ」
 電話の向こうに聞こえた音の事はふせ、波貴は平静を装う。
『そうだ、なみちゃん。非通知設定なおしてよー』
「……何で俺が。説明書でも――」
 言いよどんで波貴は口を噤む。一瞬の思考のあと、波貴は彼女に待ち合わせ場所を伝え携帯を切った。
 


 駒渡・醒花は詰まらなそうにベンチに腰掛けていた。
「ごめん」
 寝起きだったのを忘れて時間を伝えたのが失敗だった。ため息混じりに波貴は頭を下げる。
「呼んどいて遅刻ぅ? ま、いいけど。電話でも言ったけどこのあとバイトだから」
 立ち上がると、波貴と同じぐらいの背。醒花はくせっ毛を揺らしながら歩き出した。駅前の店が立ち並ぶ通りを二人は歩き出す。
「なに食べよ?」
「なんでもいいけど。高いのは簡便」
 醒花の後を突いていく形で波貴は歩く。バイトがあるといったわりに、特に急ぐでもない彼女は、そのままふらふらと店が並ぶ通りを歩いていく。
 一通りウィンドウショッピングならぬ、ウィンドウイーティングをすませると、パスタ専門店の前で醒花は立ち止まった。
「ここにしよー」
 無言で頷く波貴を確認すると醒花は扉を勢い良く開いた。
「二名でー」
 そんな声をききながら、波貴も店の扉をくぐる。湿気と美味しそうな匂いがいっせいに飛び込んで、一瞬むせそうになる。こちらへどうぞという店員の後を突いていく醒花の背中がみえて、あわてて波貴は歩き出した。
 
 水がはいったコップの周りには、水滴がついている。ソレを波貴はじっと眺めていた。と、目の前にかわいらしい携帯電話が置かれた。
「はい、お願い」
 無言で受け取り、メニューを開いていく。出来るだけ、メールや履歴などをみないようにそうさに注意しながら、波貴は携帯を弄っていった。と、いきなり視界が暗くなる。なにかとおもえば、醒花が携帯を覗きこんでいたのだ。
「べつに、変なところいじらないよ」
「わかんないじゃーん」
 波貴は信用のない自分に、心の中でため息。ちょうど、目的のメニューを見つけると、波貴は設定を切り替えた。
「はい、おしまい」
「はやい。こんな事の為に昼飯おごり〜ぃ?」
 いかにも不満たらたらな表情の醒花を、波貴は鼻で笑う。と、店内が嫌に静かな事に気がついた。客は他にもいるが、まるで食事中は静かにしなければならないといわれ続けた子供のように、音もたてていない。
「静かな店だな……」
「でしょでしょ。お気に入りなんだ」
 ちょうど店員がこちらに歩いてくるのが見えた。無言になる二人。遠くで車が走る音が聞こえる。
 一瞬音が途切れた。
 嫌な沈黙。と、店の前を誰かが叫びながら走っていく。ソレにつられて何人もの人間がついていくのが見えた。店のなかに喧騒がしみこんでくる。
「事故だ! 誰かが轢かれたぞ! 救急車だ。いそげ!」
 どこかで聞いた声。ソレにおもいあたった瞬間、波貴は立ち上がった。
「どうしたの?」
「あさ、聞いた電話だ……」
「え?」
 間違いない。波貴は一瞬店をでようとして、目の前に置かれた料理にきがつく。
「とりあえず食べよ」
「あ、ああ」
 言われて波貴は席につく。そこでやっと携帯が震えてることに気がついた。
 取り出すと、予想通り『非通知着信』の文字が躍っていた。
「電話?」
「うん。朝とおなじ非通知だ」
 促されて電話を取る。
「もしもし」
 やはり、返事はない。ただ、マイクの向こう、風が流れている音が聞こえる。
「もしもし」
 と、一瞬ノイズがはいった。とおく、声が聞こえる。
『なみちゃん、なみちゃん! 携帯かったんだ!』
 利き覚えのある声。
「醒花?」
「へ?」
『みせてみせて!』
 ノイズ。
 そして、電話の切れた事を知らせる電子音だけが聞こえた。
「どういうことだ……」
「どうしたの? なみちゃん」



 結局それからも、なんどか電話はかかってきた。
 その全てが昔の音を聞かせて勝手に切れると言う、迷惑いがいなにものでもないことを繰り返す。
 ただ、波貴は携帯電話を始めて手に入れたとき、無意味に通話ボタンをおしたりしては遊んでいた事を思い出していた。まだ携帯電話が民間に発売されてすぐのころ。珍しさに購入したあのときの、電話をまっていたなつかしさ見たいな物を思い出した。
 よい思い出の過去だけは、まるで輝いて見える。電話はいつも機嫌がいいときの事を思い出させた。それは、自分が機嫌がいい時に限って、通話ボタンを連打していたからだろう。
 きっと、懐古主義の電波が、気まぐれにあそんでいるのだ。
 ふと波貴は思い出す。あのひ、携帯を買った日、醒花はとても欲しそうに波貴の携帯をながめていた。気がつけば、彼女もすぐに携帯をてにいれていたのだけれど。
 今にして見れば、いい思い出ではあるのだと、波貴は薄く笑いを浮かべる。
 おもむろに、波貴は電話をかけた。
「ああ、醒花? あのさ――」
 外で車が走っている。
 

三題話「羽」「周期」「徳」

 夕乃が死んだ。
 
 いくら親から伝えられても、虎路はまるでその言葉が理解出来なかった。ゲシュタルト崩壊でもおかしたかのように、なんだか不思議な言葉にしか聞こえなかった。
 目の前で動かなくなった夕乃をみて、やっと虎路は理解した。
 もう二度と夕乃が飛ばなくなったのだと。
 
 嘉能・夕乃(かのう・ゆうの)は幅跳びの選手だった。幼馴染の虎路から言わせて貰えば、文武両道非の打ち所のない、まるでなにか間違えて存在しているのではないかと言う、そんなイメージしかない。高校の陸上大会で優勝をかざってからは、さらに彼女は生き生きと人生を過ごしていた。
 まるで、世界全てが彼女を祝福しているかのようにすら見えたものだ。けれど、幼馴染の田ケ久保・虎路(たけくぼ・とらじ)は、まるで逆の人生をあゆんでいた。
 幼馴染ゆえに比べられるおかげで、さらに虎路は日陰を歩むしかなく、気がつけば家とバイト先を往復し、あとは部屋から出ないと言う生活をしていた。
 虎路は、ベッドに寝かされている夕乃を見続ける事ができず、思わず目をそらす。横では夕乃の両親と自分の両親がすすり泣いている音が聞こえた。
 病院の窓から見える三徳ジェネレーターは、今日もゆっくりと空の上で浮かんでいた。
 三徳ジェネレーター。人間の三徳を燃料とし、莫大なエネルギーを生み出す世界を支える発電機だ。三徳とはすなわち、天徳、地徳、人徳の三つ。社会への運、家庭への運、人間関係。つまり、敬神崇祖・施与・奉仕・仁・義・礼・智・信である。
 どんないきさつであんな物が空にういて、そして世界を支えているのか、虎路は知らない。とにもかくにも、あれは人間の”運”その物を食って電力へと変換する変換機であるのは間違いないのだ。
 世界はホンの少しだけ運が悪くなった。しかし、代わりにもう星を傷つけなくても生活していけるめどが立ったのだ。みなが平等に運がわるくなるのだから、相対的にいえば結果として現れないというのが専門家のいうところであったが、結局そんな事はなかった。
 運が悪い人間はやはり存在し、そして彼らは文句を言う。曰く「三徳ジェネレーターは間違って自分の運を大量に奪って行ったのだ」だから、政府は納徳量の開示を始める。
 結局それも旨くいかず、最後には税金とおなじく、運を大量に持ってる人間は大量にとり、少ない人間は少なくとるという、誰もが口を噤むしかない決まりに落ち着いた。
 それが、虎路が生まれた年だった。
 生まれながらに徳の低い虎路はいつも夕乃に守ってもらっていた。彼女は、命に溢れ力にあふれ、生きる喜びそのものの体現者だった。
 虎路はいつも彼女の後ろをあるいていた。恥ずかしくは無かったと、本人は思っている。少なくても虎路は、恥ずかしいという事実より夕乃の背中が好きだったから。
 
 もちろん、夕乃が高納徳者であったことは誰もが知るところだった。
 
 世界は、三徳ジェネレーターで成り立っている。
 
 虎路は、低納徳者だった。
 
 誰もが言う。
 
 嘉能・夕乃ではなくて、
 
 田ケ久保・虎路が、
 
 ――死ねばよかったのに。
 
 もう、夕乃は飛び立つ事は無い。観客席で夕乃が幅跳びをしているところをいつも見ていた。半ば引きこもりに近い虎路が、唯一仕事や用事ではない理由で外にでるのは、夕乃の大会の日だけだ。
 いつもぼさぼさで伸び切った頭と、微妙に生え揃わない情けない髭。誰も構うなというような猫背で彼はうつむきながら家を出るのだ。
「トロ。私、大学にいく」
 トロというのは虎路のあだ名。夕乃はいつも虎路の事をトロという。
 彼女は、企業や有名な体育大学などからオファーが来ていたのに、普通の大学へと進むといった。誰もが止めるなか、彼女は笑って家の近くの大学へ進学する。
 それでも彼女が別に幅跳びを止める事はなく、むしろ勢いを増したようにすらみえたものだった。
 いつも、虎路は彼女が走る方向と同じ方向から応援する。そこなら、夕乃の背中が見えるから。飛ぶ瞬間の夕乃には、羽が生えているようだった。
 その姿を思い出して、虎路は首を一度振った。
「虎路?」
 横で母親が呟いたことばに、虎路は我にかえる。病院の一室に居る自分を認識し、彼は小さく息を吐いた。
「ごめん、外でてる」
 もう動かない夕乃の姿を最後に横目でみて、虎路は病室をでた。
 廊下の空気はヒンヤリとしていて嫌に肌を刺す冷たさで、虎路は身をかがめるようにすると歩き出す。

 同時、背後で叫び声があがった。
 
 夕乃の母親と自分の母親の声だろうか、と虎路は驚きながらも病室の扉を開く。
 そして、彼はベッドに寝かされていた夕乃と目があった。
「……え?」
 上体を起こし、まるでいま目を覚ましたというように、夕乃は眠そうな目をこすり虎路をみる。
「あ、トロ。おはよう」
「はぁ!?」



 医者が言うには、高納徳者にはたまにあることらしい。医者は輪廻転生だというが、どうみても黄泉返りにしかみえないそれは、三徳ジェネレーターが可動してから数年で起こり始めたのだという。高納徳者のなかで、天寿を向かえる事の出来なかった人間が、ふと生き返るもしくは死亡するしかないような病気が治るなどの事が起こるという。特に公にされていないのは、それがどういった理屈で成り立っているのかがわかっていないためでしかない。
 そういわれて、夕乃の家族と虎路の家族は病院から追い出された。
「ほんと、よかったわ! 夕乃何が食べたい? そうだ、折角だから――」
「本当になんとも無いの夕乃ちゃん。もう大丈夫?」 
 大喜びの両親に困り顔の夕乃と、その横で大喜びする自分の両親をみて虎路は一人ため息をついた。
「なぁ、なんで夕乃は生き返ったんだ?」
 夕乃の背中に声をかけると、夕乃は振り返る。長い髪が風にまって揺れた。
「きっと、運がよかったのよ」
 そういって空を指差した。つられて顔を上げると、真上に三徳ジェネレーターが浮いているのが見える。ゆっくりと巨大なリングは何の支えも無く空をゆき、人々の運を吸い上げているのだ。
「さすが高納徳者の言うことは違う」
 虎路は視線をそらして笑った。二人の両親は、ドンドンと先へ歩いていく。置いていかれないように二人は、足早に歩き出した。夕乃は飛び跳ねるようにあるく。今にも飛びたいといわんばかりに、とんとんとリズム良く。
「周期があるのよ、運には」
「周期? ああ、バイオリズムとかなんとか」
「そうそう。ちょうど私の運がよかっただけ」
「じゃぁ、いまは下り坂だな」
 からかうようにいうと、夕乃もつられて笑った。
「そうだね、事故は気をつけないとね」
「だったら、はしゃがないでちゃんと歩きなよ」
 とんと、一度大きく跳ねて着地すると夕乃は振り返る。
「うん」
 まるで羽が生えたような姿に、虎路は見ほれ足を止めた。遠く車が走る音が、いやに他人行儀に響いた。
「クルマには気をつけないとな」
「そうだね、いまは下り坂だ物ね。前のようには行かないかもしれないから」
「ああ……」
「また」
 立ち止まった夕乃が振り返る。
「突き飛ばされないようにしないと」
 風が吹く。夕乃の羽を掴もうとして掴み損ねた手が――
 ――彼女の背を押した両手が、うずいた。